『彼女と彼』['63]
監督 羽仁進


 本作のタイトルを『直子と英一』ではなく『彼女と彼』にしているあたりが、いかにも清水邦夫趣味という気がしたように、60年代的な観念性が色濃く窺える作品で、直子(左幸子)がクリーニング店員(松本敏男)や伊古奈(山下菊二)に過剰に親切でコミットする感じがピンと来ず、英一(岡田英次)と学窓を共にした伊古奈が最高学府を出ながらバタ屋に身をやつしている感じというものがどうもピンと来なかった。

 それでも、五十年前の作品を観ると、そこに映っているものだけで思いがけない触発を与えてくれるところが嬉しい。昭和38年、僕がまだ5歳の頃、神奈川の百合ケ丘にできた住宅団地には焼却炉があったわけだが、地方都市に暮らしていた僕の記憶では、学校や病院のような公共施設でもないのに焼却炉があるのは驚きだった。だが、それ以上に目を惹いたのは、可燃ゴミを焼却するだけでなく、焼却炉に隣接するコンクリートボックスに「カン入れ」との表示があったことだった。

 関東のほうでは、五十年前から分別収集をしていたのかと驚くとともに、団地族がそのようなことをして、行政が回収などしたりしたら、住宅団地の向かい側にあるバタ屋集落の稼業が脅かされるわけで、ゴルフ練習場の造成以前から彼らは駆逐されるべく囲い込まれていたということに、慄然とさせられた。

 本作の主題にも関わるようなことがそのような形で垣間見える“映像の記録性”というものは、実に貴重なものであることが、改めて感じられる作品だったように思う。


 上映後には、高知大学の武藤教授の講話がセットされていたのだが、哲学を教えているとの武藤教授の最近の関心に、社会問題の根底にある“居場所”の問題と、日本人の倫理観の変遷というものがあるそうで、それらの観点からすると、本作はとても興味深い作品であるとのことだった。

 教授によれば、高度経済成長期の東京オリンピックを転換点として日本人の倫理観が大きく変わったと感じているそうで、東京オリンピックの前年に当たる本作においても、自分は普通だと語る英一が、妻が気に掛けてくれている自分の学友を「無関係」と言い切る姿に、作り手の意図したであろう“彼女と彼”の対照を感じたようだった。成程そのような観方もあるかと興味深く思ったが、それ以上に、居場所問題に関心があれば、本作において追い払われるバタ屋の姿だとか、伊古奈がバタ屋集落に求めたものだとかが、まさに哲学的主題として立ち現れるだろうなと大いに刺激を受けた。

 県立美術館が行なっている公共上映の場でもこのようなカジュアルなレクチャーが用意されていればいいと思うのだが、一時期、県立文学館が“小夏の映画会”とタイアップして行なっていたのを例外として公立文化施設のほうでは、そのような取り組みがほとんど見られないのを残念に思った。



推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/12072901/
by ヤマ

'12. 7.16. 龍馬の生まれたまち記念館



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

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