『ネイビーシールズ』(Act Of Valor)
監督 スコット・ウォー&マウス・マッコイ


 原題は“勇敢な行動”だ。それは確かにそうだと思う。だが、冒頭から「名誉・自由・正義」と並べ立て、加えて「守る」「家族」と来られると、全くもう自由度のない“硬直したアメリカ的愛国心”の5キーワードとも言うべき羅列としか思えず、その余りにものストレートさに苦笑せずにはいられなかった。「名誉・自由・正義」という印籠の前には、その個々の言葉の意味の問い直しをするまでもなく平伏せざるを得ない硬直感というものが、アメリカ的愛国心にはあるように見える。だから、フィンランド人ならアイアン・スカイのようにコケにすることができるけれども、当のアメリカ人においては、やはり大真面目のような気がする。だからこそ、本作のような作品ができあがったりするのだろう。

 それでも、現場感覚には満ちているから、身を挺して大義のために最前線に立っている者への敬意においては、必ずしも敵味方を問わずに払う態度があるように感じた。だから、イスラムに対しては、コスタリカの麻薬王のような悪辣さをもって描いていなかったように見受けられたのだろう。それはやはりそれなりの見識であって、現場知らずの“硬直したアメリカ的愛国心”の最右翼者とは違い、さすがは現職者自身によって演じられた作品だけのことはあると思った。

 戦闘アクションは折り紙つきのものだけあって、その迫真性が実に大したものだったように思う。とりわけ最初のコスタリカでの女性工作員救出作戦が凄かった。そのスピーディさとコンパクトさにリアルな現実感があり、集合場所や脱出ポイントを予め複数個所どころか十箇所近く設けていて、アクシデントの発生に合わせて次々とポイントを変えていく連絡をITC機器で細かく取り合う姿に、大いに感心した。そして、二つ目の作戦では、最初の、水上艇から潜水艦に乗り込む首尾の見事さが鮮やかだったように思う。

 原題の“Act Of Valor”というのは、おそらく二つ目の作戦行動のなかでローク大尉(本人)の取った行動を指すのだろうが、投げ込まれた手榴弾の上に自らの体を投げ出して部下の命を救い戦死した勇敢さと自己犠牲というのは、442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍で紹介されていた、アメリカ軍における最高栄誉たる“名誉勲章”を受賞した最初の日系部隊兵士サダオ・ムネモリ上等兵の行為と同じで驚いた。サダオ・ムネモリの行動は、半世紀を超えて今なおアメリカ軍において語り継がれているらしいことが偲ばれて、唸らされるものがあった。

 だが、かようにして賞揚される兵士の犠牲によって「守られる」第一のものは、決して彼らの「家族」などではなく、エスタブリッシュメントたちの利権に他ならない。そのことにおいて、古今東西南北、宗教を超えて、いずれもに違いがないことは既に明白なのに、人類が一向に歴史から学べないでいるのは、なぜなのだろう。そういうことを考えるうえで、本作のような作品は、生き証人のようなところがある気がしてならない。
by ヤマ

'12.10.27. あたご劇場



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