『アイアン・スカイ』(Iron Sky)
監督 ティモ・ヴオレンソラ


 世間的なタブーをものともしない恐れ知らずの毒っ気たっぷり痛快作だった。だが、その背後には実に真っ当な良識が働いていることがありありと伝わってくるのだから、なおさら恐れ入る。「フィンランド、やるなぁ」と快哉をあげたのだが、おまけにドイツ・オーストリア合作だというのだから大したものだ。

 人間のダークサイドの象徴とも言うべきものが大戦後そのまま“月の裏側”に巣食っていたなどという唖然とするような設定だったわけだが、第三帝国の国歌が響けば何をさておき挙手をするおバカさは、かつての“畏れ多くも、へーか”の我が国も笑えたものではないところながら、何とも可笑しい。そのうえ、クラウス・アドラー(ゲッツ・オットー)の感電悶絶にまで繋がる念の入りように思わず膝を打った。死に様も倒錯のシンボルが素晴らしく利いていて、つい吹き出した。

 「まともに倒したのはナチスだけなのに、いつまでもえらそーにするな、アメリカ!」「女性の時代だって? 女のほうがずっとタチが悪いじゃないか!」「きょう日、下手に白人になるとプア・ホワイトだぞ!」などなど、台詞になっているものもなっていないものも含めて、もう言いたい放題のありさまに胸がすく思いだった。

 今から6年後の2018年に北朝鮮が国連会議の席についているとは到底思えないが、月からの奇襲攻撃に対して突如「我が領主様の偉大なる所業なのだ」などと言い出したチビの北朝鮮代表の発言に、世界中の列席者が一斉に「嘘、嘘、嘘」と連呼する北朝鮮ネタも、10分間の短編映画として月の裏側ではナチスを讃える最高作品だと半世紀以上も称えられてきているチャップリンの独裁者['40]を125分間フルに観ることで、生粋のナチ信奉者からレナーテ(ユリア・ディーツェ)が目覚めるネタにしても、抜群に利いていた。ネタの使い方が実にうまいのだ。稀代の傑作とされる名作に対して「編集に難がある」などというツッコミを入れたりするのだから、映画好きには堪らない。

 アメリカは大事なところで黒人を起用して見事に失敗したなどというアジ演説が出てきたので、つい、ネタ的にはオバマ大統領だなと察していると、パウエル長官だと外されて唸らされた。確かに、アメリカ初の黒人大統領というものに現実感を与えたパウエルの存在がなければ、オバマ大統領の誕生はなかったのかもしれない。だから「歴史に学べ、ナチを忘れるな」と言うなら、オバマ現大統領のみならずパウエル長官を忘れてはならないはずなのだ。しかも、彼がCIAの虚偽情報のままに、国連安保理でイラクの大量破壊兵器開発の危険性を訴えた際に、その人望の厚さが大きく作用したことのもたらした結果は、彼自身の本意とは無関係に、余りにも重たいものだったのは間違いないのだから、なおさら彼は忘れられてはならないわけだ。

 また、女性のアメリカ大統領(ステファニー・ポール)の己が人気と選挙しか視野にない近視眼ぶりの痛烈さが凄まじく、広報担当者あがりの女性司令官ヴィヴィアン・ワグナー(ペータ・サージェント)が核ミサイルを打ちまくる姿が凄い。彼女の率いる宇宙軍艦がジョージ・ダブル・ブッシュ号だというのはお約束としたものだろうが、映画マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙にもなったサッチャー女史を思い出すまでもなく、いざとなったときの容赦のなさというか躊躇のなさには、唖然とさせられたのち笑わずにはいられなかった。

 国際社会のみんなが一皮むけば嘘っぱちの身勝手さに姑息に覆われているなかで、ちゃっかりフィンランドのみがバカ正直だったという図を出して笑いを取るのは、生真面目な風刺を打ち出す以上の巧さだという気がする。そんなふうにして“嘘と身勝手にまみれた人間世界”がひときわ印象づけられるからこそ、チャップリンによって覚醒したレナーテの漏らした「I need you」と、その言葉に奮い立つジョージならぬジェームズ・ワシントン(クリストファー・カービイ)の心情の“嘘のなさ”が引き立つのだと思う。なかなか大したものだ。
by ヤマ

'12.10.22. TOHOシネマズ3



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