『独立愚連隊』['59]
『独立愚連隊西へ』['60]
監督 岡本喜八


 DVDを貸してくれた知人が、「西へ」のほうが面白いから必ずこちらから先に観るようにと言っていた『独立愚連隊』だが、これもなかなか面白かった。頭を打って狂人となった大隊長という何のために存在したのかよく分からない役処だった三船敏郎の堂々たる怪演もさることながら、工藤看護婦から工藤慰安婦を経たのち、大久保の姓をもって墓標に記されるトミ(雪村いずみ)と常に共にあった朝鮮人慰安婦と思しき花子(中北千枝子)の姿が目を惹く形での従軍慰安婦の描かれ方が興味深かった。戦地で稼いで新宿に店を持つつもりだったのに、ろくに稼ぎにならないとボヤきながらもめっぽう明るくたくましいハグレ者の感じが、佐藤允の演じる従軍記者荒木を騙る脱走兵たる大久保軍曹に通じるところがあるような気がした。

 独立愚連隊を率いているのが佐藤允の演じる兵士なのだろうと勝手に思っていた部分はまるで外されたのだが、ハグレ者の独立愚連隊を指揮する石井軍曹を演じた中谷一郎は、なかなか儲けものの役回りだったような気がする。映画作品としては、軽妙な語り口のわりに物語の本筋が真っ当すぎるバランスの悪さがあるように思ったが、セリフの掛け合いがなかなか良くて楽しめた。

 続いて観た『独立愚連隊西へ』は、前作の最後を引き継ぐような爆薬の炸裂する戦場シーンから始まったのだが、そのようなオープニングにもかかわらず、めっぽう明るい作品で、神谷一等兵を演じた堺左千夫が美味しいところを持って行っていたように思う。なかでも、おエラい参謀さんを騙って遣り取りをする一連の場面が僕は好きで、とりわけ「貴様の息子はどこにいる…息子の居場所もわからないようで、軍旗が探せると思ってるのか」と慰安婦のもとに突入するというくだりが気に入っている。そっちの息子じゃないと質した弁に「真ん中であります」と答えた兵に対して「真ん中ということがあるか、誰でも右か左かどっちかに寄っているに決まっとる」と言った“息子”に第三の意味が意図されていたような気がしてならないのは、やはり60年安保闘争時代の作品なればこそだ。

 前作に引き続き、まるで軍隊には付き物であるかのような従軍慰安婦ネタに抜かりはなく「肉弾の間」の表札には思わず笑わせてもらったが、慰安婦ネタの印象度は前作ほどにはなくて、本作では「至上命令としての軍旗探し」や「雀卓見立ての四方囲いの駆けっこ」などの馬鹿馬鹿しさの強調のほうが目立っていたような気がする。言うまでもなく、“世の中で最も馬鹿馬鹿しいのは戦争そのものに他ならない”ということなのだろうが、難儀な状況にあっても逞しく笑いを絶やさずに、“やることはやる、ただし俺たち流で”という自由な感じが何とも楽しかった。改めて思うことだが、自由を体現できる支えとなるのは、やはり強靭さにほかならない。そんなふうに“自由”なるものに想いを馳せさせてくれる点では、邦画のイージー・ライダー['69]とも言うべき作品のような気がする。アメリカン・ニューシネマに10年先駆けているところが素晴らしい。

 そして、本作では、前作で馬賊の頭領に扮した鶴田浩二を上回わり、八路軍の元ハンマー投げ選手との隊長を演じたフランキー堺が儲けものの役回りだと思った。囚われの身になっても部下を庇って一身で責を負おうとしていた左文字少尉を演じる加山雄三も持ち前の明るさが生きる役処だった気がする。また、渡川中に友軍からの誤認攻撃を受けて全員が褌一丁になるのは、もろにインディアンが襲撃の際に発する奇声をあげていた左文字小隊に与えたダメ押し演出のように思えたが、徹底して戦場を笑いものにしていた本作なれば、いかにも「左 文字小隊」が「右 文字小隊」となるのは似つかわしくないと思える作風だったような気がする。




『独立愚連隊』
推薦テクスト:「虚実日誌」より
https://13374.diarynote.jp/201207202359036523/

『独立愚連隊西へ』
推薦テクスト:「神宮寺表参道映画館」より
http://www.j-kinema.com/rs200201.htm#独立愚連隊西へ
推薦テクスト:「虚実日誌」より
https://13374.diarynote.jp/201211292352246034/
by ヤマ

'12.10.12. DVD



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