『戦国野郎』['63]
監督 岡本喜八


 こんなに野性味のある星由里子というのは初めて観た気がする。若大将シリーズでのお嬢様イメージが強かったので、大いに意表を突かれた。ちょうど二十歳のころの作品となるようだが、公開当時には、その点でも注目を浴びたのではなかろうか。馬借の頭領(田崎潤)の娘で、男勝りで腕も立ち、美空ひばりみたいに「お嬢」と呼ばれながら荒くれ男ども従えていたのが、馬借一味に拾ってやった越智吉丹(加山雄三)から「帰るんだ、バカ!」と叱られて、まるで初めて太刀を受けたかのように、しおらしく素直に「帰る」と答えたときの風情がなかなか良かった。加山雄三は独立愚連隊西へ['60]の左文字小隊長も似合っていたが、本作ではそれ以上に持ち味が生かされていたように思う。星由里子との共演だからといって、若大将が連発していた覚えのある「チェッ」を言わせたりするようなダサい演出をしないところは、さすが岡本喜八だ。

 しかし最も妙味があったのは、その黄金の二人の絡みではなく、やはり藤吉郎(佐藤允)、播磨(中谷一郎)、吉丹の三人が出会う場面だったように思う。三銃士や桃園の誓いのような結束ではなく、付かず離れずの微妙な距離感の醸し出す伸び伸びした感じが何とも心地よい。義理や面子、ましてや武士道などというものに縛られず、己が心のまま強かに“自由”にふるまう喜八キャラが活写されていたような気がする。とりわけ本作では、佐藤允の軽妙さが効いていたように思うし、中谷一郎が独立愚連隊['59]ばりに美味しい役回りで、いい感じだった。

 また、編集のリズムも軽妙で、例えば、吉丹と播磨の二人が露天湯に浸かっているところに、さぎり(星由里子)が入ってき、気配を察して湯に沈めた二人の頭をさぎりが柄杓で打ち据える音に替えて藤吉郎の撃つ種子島銃の場面に切り替え、派手に打ち鳴らした後、少し間を置いて試射した木の枝が折れるカットの呼吸など、その軽妙さがセリフのやりとりだけではないところが、映画の本分をまっとうしていて大いに楽しかった。

 主題的にも、藤吉郎のように栄達の道を目指そうが、一国一城の主を夢見た初志を捨てて馬借や海賊といった道を選ぼうが、見栄えを気にしない雑草のしぶとく自由闊達な生き方にこそ“計算ではない心”があるのだという作り手のメッセージは共感しやすく、『踊る大捜査線』の室井=青島に通じる図式は、半世紀前の本作のときから藤吉郎=吉丹のなかにあったのだなと、妙に感慨深かった。

 スタイルは洒落ていて都会的なのだけれども、ハートはけっこう浪花節だという喜八作品の特徴がよく表れていたような気がする。両者のその加減がなかなか良くて、邦画では他に類を余り見ない作り手なのではなかろうか。

 何度か出てきた「ちょうじょう、ちょうじょう」という台詞が僕には耳新しく、どうやら上首尾という意味らしいものの一体どんな字を充てるのだろうと調べてみたら“重畳”と書くらしいことが分かった。この歳になるまで知らずに来た言葉だ。昔の作品を観ると、こういう収穫があるのも嬉しいところだ。
by ヤマ

'12.10.26. DVD



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