『ヤング≒アダルト』(Young Adult)
監督 ジェイソン・ライトマン


 天賦の才色兼備を上手くこなせず人生に苦しんでいる37歳のバツイチ女性メイビス・ゲイリー(シャーリーズ・セロン)を描いて、ハリウッド的な安易なハッピーエンドや成長物語を排している痛烈さに痺れた。

 最後に久しぶりに戻った故郷から都会へ帰還した後の彼女の行方をどう観るのか、受け手によって見解が分かれるように感じられた。その点では、ちょうど同監督のマイレージ、マイライフのライアンのときと同じような仕舞いの付け方が施されていたように思うが、奇しくもメイビスの手掛けていたヤング・アダルト・ノベルの主人公が想いを寄せる男の名前は、ライアンだった。

 メイビスの今後をどう見るかは様々でも、実作者としてベストセラー小説をものする程度の才能と美貌には恵まれていて、田舎では飛び抜けた存在だった彼女が、その賦与された才色兼備ゆえに負っていたようにも思える哀れなまでの人生の酷と滑稽を受け取ることに、多くの観客の異論はなかろう。小さな田舎町に育ち、恐らくは特別扱いされて育ったであろうことは、想像に難くない。周囲から特別視されることで、自身を特別な存在だと考えるようになる思い上がりというものは、決して本人だけの責によるものではないのだが、そのような勘違いを起こすことは、他者に対する高飛車な尊大さのみならず、その特別さに見合った自己実現を果たす強迫を自身にもたらすことにもなるわけで、何ともしんどい人生を負わせることになりかねない。

 己が持たぬ故にこそ、多くの者が無検証に「誰もが羨む」と思えるようなものを、実際に持つことの特別さにうまく適応できなければ、散らかり放題の部屋に愛犬しかいなくて恋人もない一人暮らしを酒浸りで過ごすアラフォー女性になってしまう生々しさというものを、シャーリーズ・セロンが見事に演じていて凄みがあった。ハレのときの気合を入れたお洒落や笑顔の眩しい輝きと普段のガサツなだらしなさの対照が余りにも効いていて、日常の荒みや対人関係におけるイカレっぷりが痛ましくてならなかった。

 画面に映し出された彼女の一日の始まりは、酔い潰れ着替えもせずにベッドに倒れこんで俯せのまま迎えていた三つの朝と、俯せた裸の男の右腕が仰向けになった彼女のTシャツの胸を圧迫する重みで目覚め、腕を払い除けて起き出す二つの朝だったような気がする。

 一人目の男は、外国帰りの行きずりのイカした男で、彼と過ごした一夜の後、やおら生まれ故郷に帰る。二人目の男は、ハイスクール時代にロッカーを隣り合わせていた「キミは僕の一生のあこがれだから」と言う優しいデブのオタク男マット(パットン・オズワルト)で、彼と過ごした一夜の後、居場所のない田舎町を出てフロントボディの壊れたマイカーで都会に舞い戻る。
 男の腕の下で目覚めてひとり起き出る二つの同じ構図の場面のこの対照において、後者では、彼女の受けたダメージにおける死と再生があったわけだけれども、そこに安易な改心や成長が描かれるのではなく、かと言って、マットの妹サンドラ(コレット・ウォルフ)が掛ける「あなたは特別なのだから、ずっとあなたのままでいいのよ。」という言葉をもう真に受けたりはできなくなっている現実を既に思い知っていることの窺える表情を残し、自分をスポイルする甘い追従者を拒む意思を見せていたところが印象深かった。

 少なくともメイビスは、二度とスレイド夫妻(パトリック・ウィルソン&エリザベス・リーサー)の前に姿を現わすことはないだろう。その程度のことは、成長でもなんでもないのだが、戻る場所がないことを思い知った今後に、彼女の成長の始まりが、もしかするとあるのかもしれない。都会の一人暮らしの部屋に帰って最初に彼女のすることが掃除と部屋の片付けだったら、彼女は成長し人生を建て直すのだろうし、バーで飲んだくれて俯せに倒れ込んで寝るのであったら、同じことの繰り返しなのだろう。そのどちらをも映画では描かずに、また、他の誰にも見せることのできない素の自分の思いを言葉にできるマットとの人生を選ぶことに目覚めたりする安易な顛末にしていないことに、大いに納得感があって感心した。

 それにしても、シャーリーズ・セロンのあの寝起きのスッピンとメイク顔の対照や、白髪抜きやら浴槽での体毛処理、嵩上げのためのヌーブラをつけたままで脱いで立つ貧相を敢然と晒していた迫力には恐れ入った。とりわけヌーブラヌードの場面は、あの夜のメイビスに些かの思い上がりもないことを雄弁に語っている重要なシーンだったような気がする。顛末だけを聞けば、一夜限りの彼女の言い寄りに対して、単に都合よくマットを翻弄しただけのことのように評する人が少なからずいるのだろうが、自分の前で何とも言えない貧相を一切隠すことなく直立になって晒していたメイビスの縋るような表情を目撃したマットは、決してそのようには受け止めていないような気がした。そのときの彼女の切実さには何らの嘘もないけれども、その気分をずっと維持していられないのもメイビスの紛れもない姿なのだろう。彼女は、マットと人生を歩んでいける女性ではないのだが、自身の再生のためにマットを利用したわけでもないように思った。シャーリーズ・セロンのニュアンス豊かな好演の賜物だったような気がする。

 そして、映画の序盤で、車の中で「ヤクはやらないけど、ピルは飲んでる、あんたを傷つけたくはなかった」と『ザ・コンセプト』を大声で歌い上げてるときのガサツさとともにあった魅力は、ブリジット・ジョーンズの日記で歌っていたレニー・ゼルウィガーを彷彿させるものがあったようにも感じる。凄い女優になったものだ。マーガレット・サッチャーでのメリル・ストリープは、サッチャーの凄さ以上にメリルの凄さが先に立って、作品的に物足りなかったが、本作のシャーリーズ・セロンは、彼女の凄みもさることながら、メイビスという女性の全てを感じさせ、圧倒的だったように思う。実に大したものだ。



推薦 テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/archives/1279
推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dfn2005/Review/2012/2012_04_02.html
推薦テクスト:「映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20120227
推薦テクスト:「眺めのいい部屋」より
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by ヤマ

'12. 4. 1. TOHOシネマズ8



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