『トイレット』(toilet)
監督 荻上直子

 PFFで注目された『星ノくん・夢ノくん』を観ても、もたいまさことのコンビの始まった『バーバー吉野』を観ても、『恋は五・七・五』めがねを観ても妙にそりが合わず、唯一の例外であるかもめ食堂を除き、荻上監督とは実に相性が悪いと思っていたが、二作目の例外となる作品と出会ったように感じた。先ごろ観たばかりのアメリカ映画『ソーシャル・ネットワーク』のマークが口にする「クール!」には辟易としたが、本作のばーちゃん(もたいまさこ)の発する「クール!」にはグッときた。全編通じてわずか二語しかない彼女のセリフが発せられる唯一の場面だ。

 その豊かな才能に四年前には審査員たちの嘱望を集めていたモーリー(デヴィッド・レンドル)が、パニック障害を病んで弾けなくなったピアノに対して、早逝した母親の遺品だったミシンの使い方を祖母に教わって手縫いしたスカートをまとうことで再び弾けるようになりながらも“再起をかけたコンクールのステージ”で立ち往生し、発作を起こしかけたときに掛けた言葉だった。

 タキシードの上半身に手縫いのスカートをまとった下半身というのは確かに異様ないでたちで、会場内の空気が変質したのを感知したナイーヴな孫息子に対して、親指を立てたポーズと共に届けられた「モーリー、…クール!(かっこいいよ!)」という静かな声援は、何の変哲もない言葉ではあるけれども、それを発せさせた思いの重みは、これまで一言も言葉を発したことのなかった祖母の姿をよく知るモーリーなればこそ、他の雑念を一掃させる衝撃として伝わったのだろう。

 物事の値打ちや重みを決するのは、断じて外形的なものではなく、外から見ただけでは窺い知れない内実の詰まったものがあるというのは、何もいでたちや言葉に限った話ではなくて、人の生そのものに言えることだと思う。そういう意味での、何が本物で何が偽物かを決めるのは、いったい何なのかということを描いた作品だったような気がする。フェイクではない自分の生を証明したいというリサ(タチアナ・マズラニー)の挑むのがエアギターというフェイク・パフォーマンスなのが何とも可笑しく、三人の孫と一匹の猫という“ばーちゃんの家族構成”自体にフェイクの潜んでいるところが気が利いていた。人生のフェイクを決定づけるのは、そういう形式的なフェイクではなく、まさしく実体に他ならないのであって、血縁の有無や動物であることも関係ないというわけだ。

 あまり時間に縛られない生活をしている兄や妹と違って、勤めに出る前の朝の時間帯に決まって祖母にトイレを長時間占領されるレイ(アレックス・ハウス)が彼女を鬱陶しがり、血縁への不審を確かめるべくDNA鑑定を試みながら、若い娘の使いそうな絵柄のついたブラシを勝手に妹の持ち物だと勘違いして、思いも掛けなかった事実に直面する顛末が実に可笑しくも利いていたような気がする。唯一の稼ぎ手として亡き母親に代わって家族の皆を背負わされ守っているのが自分だと思っていたら、家族として傷つかないように、皆に守られていたのは自分であったことを知るわけだ。
 事もなげに「前から知ってるよ」と言うモーリーが添える「たぶんリサも知ってると思う」というセリフが利いていて、彼女の恋しかけた男の子が、レイを彼女の兄と知らずに揶揄する言葉に対して、敢然と異議を唱える場面が心に残る。「あの人には妹がいるから、決して妹を残して一人寂しく死んだりはしない。」との言葉に添えて「同じシャツをずっと着ているんじゃなくて、同じシャツを7枚持っているんだ」という自分の聞いた兄の抗弁をそのまま口写しするところがいい。

 実家に戻って暮らしたことによって、幼いときにロボットのプラモデルを買い与えてくれた母親だけでなく、心の根っこのところを守ってくれる縁で結ばれた存在が家族であることを知るようになったレイが、DNA鑑定料や実家に移り住むことを余儀なくされる火事に見舞われて降りた保険金、さらには緊急要請された兄の迎えのために同僚のインド人から借りた車で起こした自損事故の修理代金とも同じ3000ドルを要する“ヴィンテージロボのプラモ”と“ウォシュレット”のどちらを買うかで、ばーちゃんのために後者を買う選択をするようになることに、微笑ましくもしみじみとした味わいがあったように思う。

 ばーちゃんが出してくれた餃子を食べた後、食卓の隣辺に腰掛けて一服し始めた祖母に「煙草なんか吸うのは洗練されていない人だけだよ」と言うレイに対して、ばーちゃんが卓上に置いた煙草の紙箱を黙って押し出し、暫しの間合いの後、二人で吸う場面が良かった。しばらく喫煙をお休みしているのだが、なんだか無性に吸いたくなった。こういうところに映画としての豊かさが宿っているような気がする。モーリーの弾くリストのエチュード『ため息』も、覚えにある曲のイメージを超えて、何だかとても沁みてきた。




推薦テクスト:「スーダラさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1581864241&owner_id=2421428
by ヤマ

'11. 1.23. 民権ホール



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