『めがね』
監督 荻上直子


ヤマのMixi日記 2007年11月26日00:00

 かもめ食堂の日誌に僕は、荻上直子監督作品を苦手にしていて、…妙に運びにあざとさを感じたりして、素直に笑えなくて相性が悪いと感じている。ところが今回の物語は、初めての原作もので少し風味が異なっているようで、その塩梅加減が僕にとっての一番の注目どころだった。と記したようなところが苦手な監督だけに、いかにも『かもめ食堂』のヒットのもとに“作った”映画になるだろうとの予感が的中し、あんまりいただけない作品だった。
 前作にあった“宿り”の部分を狙って作り出そうとしているから、宿りの味は出てこない。ニートな清潔感が透明感として宿っていた味わいが値打ちの前作と比べると、例の体操が少しいいだけで、せっかくの食事も前作ほどにきっちりと映し出さないし、特別なコーヒーを特別なカキ氷に変えたって、同じような奇跡を招くことはできてないように思った。


*コメント
2007年11月26日 09:26 (ミノさん)
 あはは。ヤマさんもダメでしたかー。

 >宿り”の部分を狙って作り出そうとしているから、宿りの味は出てこない

 手厳しいなー(笑)。私もうまく言葉に出来ませんでしたがそうだったのかも。

 >特別なコーヒーを特別なカキ氷に変えたって、同じような奇跡を招くことはできてないように思った。

 奇跡はそうそう起こるもんじゃないってことですねえ。映画の中で、加瀬君がカキ氷を食べた後「人生で特別なカキ氷だった!」みたいなことを言うセリフあったでしょう? あの時「そうか?」と思ってしまって、その瞬間自分の中で映画がすべっていることに気がつきました(笑)。


2007年11月28日 23:24 ヤマ(管理人)
 ミノさんのmixi日記、拝見しましたよ。手厳しいのは、むしろミノさんのほうだと僕は思ったんですけど(あは)。
 だって、ミノさんは、あの作品が提示していた世界観・価値観そのもののほうに懐疑と違和感を覚えたわけですよね。僕は、そっちについては、そうでもないんですよ、めがね掛けてるし(笑)。ただ、その表現の仕方に共感できなかっただけですもん。言わば、技術レベルでの相性の悪さですからねー。
 でもって「静謐な場所は世界のどこを探してもない」とは思ってないしね。


2007年11月29日 08:27 (ミノさん)
 >だって、ミノさんは、あの作品が提示していた世界観・価値観そのもののほうに懐疑と違和感を覚えたわけですよね。

 私が「めがね」を見て、その世界観そのものに違和感を覚えたのか、表現方法に違和感を覚えたのかはよくわかんないです。自分でも。
 ただ、別に消費経済と情報に取り囲まれて生きることへの対立軸としての「たそがれの世界」を描いてるのは、私とて共感できるはずなのに、なんだろうこの退屈さ・・という違和感を強烈に覚えてます。海のそばのスローライフって、理想のはずなんだけどな〜(笑)。
 なんだかそれを、絶対的価値観として提示されている気がして、それだったらどんな価値観でも同じくらい窮屈やな、と思った気がします。

 >でもって「静謐な場所は世界のどこを探してもない」とは思ってないしね。

 静謐な世界は、その人の心の中に訪れると思うんです。私のように心の中がいつもざわざわ落ち着かない人はどこ行ってもうるさく感じる(笑)。

 ついでに、ヤマさんが唯一「少しいい」と感じたあの体操でさえ、私ダメだったんで、つくづくこの監督とは相性が悪いのでしょうねえ。


2007年11月29日 13:38 ヤマ(管理人)
 「なんだかそれを、絶対的価値観として提示されている気がして、それだったらどんな価値観でも同じくらい窮屈やな、と思った」というところからは、やっぱり表現の仕方への違和感のほうが強かったようですね。“たそがれる”(この用語法も僕は気に入ってないのですが)ことをある種の才能として特権化しているように映る描き方なんかがミノさんには強迫作用を及ぼして「たそがれることへの憧れ」を誘うよりも「たそがれられないことの否定」という映り方をしたのだろうと思いました。そういう強迫をしてくるところが、「絶対的価値観として提示されてる」印象を残し、ちょっとえらそうにも思えたんでしょうね(笑)。そのへんは、とてもよくわかりますねぇ。
 世界ということについて思うのは、静謐に限らず、あらゆる世界が外界との相互作用において、あくまでも心のなかに広がるものだということです。相互作用だから、どっちにも影響されるわけですが、おっしゃるように心の側の準備が受け持っている部分のほうがより大きいのかもしれませんね。
 あの体操もわざとらしいっちゃ、わざとらしかったですから、ミノさんがダメだったのも、わかりますね(苦笑)。映画のなかでの使われ方は、僕も気に入ってはいないのですが、体操そのものの動作としては、あのピアノ曲にも合っていて、ちょっとコミカルで脱力していて、面白かったんですよ。
 それにつけても思うのは、『かもめ食堂』のサチエの太極拳がよかったのは、自分だけの日課としてやってたことだったからなんだけど、みんなでやっているばかりか、強制はしないけど、同調圧力を掛けてくるようなところがあの体操の使われ方にはあって、そのへんのところも強迫的でしたね(苦笑)。髪結いの亭主でのアラビック・ダンスのように描けていれば、かなり違って見えたんではないかという気がしますねー。


2007年11月29日 19:14 (ミノさん)
 >みんなでやっているばかりか、強制はしないけど、同調圧力を掛けてくるようなところがあの体操の使われ方にはあって、そのへんのところも強迫的でしたね(苦笑)。

 そうだ、そうだ、思い出しました。あの体操がイヤだったのはまさにそれで、「自由が何か知っている」としながらも、早起きして、あの体操に参加しないことに居心地の悪さを感じざるを得ないところで、矛盾してるやん・・と。
 おっしゃること、全部当たってます(笑)。たそがれにしても、24時間働けますかにしても、ファッショな提示をされると同じじゃねーか・・というところでして(笑)。まあ、私はめがねもかけてないし、あの島で暮らす才能はない人間なんでしょうねえ・・と、つい何故か気を悪くしてしまうという。
 ところで、『髪結いの亭主』ってそういうたそがれ映画なんですか? 体操するのかな? 違うな(笑)。


2007年11月30日 01:20 ヤマ(管理人)
 やっぱりあの体操自体の問題ではなく、僕が拝察したようなところでの違和感だったんですね(納得)。

 『髪結いの亭主』ですか、パトリス・ルコント監督の出世作で、HPに拙日誌をアップしてある作品です。『めがね』にいうような「たそがれ映画」などでは全然ありません。奇妙な体操ならぬダンスが出ては来るんですが(あは)。まだ御覧になってないなら、一見の価値あり作品ですよ。談義の対象には充分なるだけの要素を備えてますし、官能系でもあって、いかにも僕の好みそうな作品です。
編集採録 by ヤマ

'07.11.25. TOHOシネマズ2



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