ベトナム戦争勃発から50年
映画で見るベトナム戦争の真実

『ハーツ・アンド・マインズ/ベトナム戦争の真実
 (Hearts And Minds)['74}
監督
ピーター・デイヴィス
『ウィンター・ソルジャー/ベトナム帰還兵の告白
 (Winter Soldier)['72]
監督
ノンクレジット

 日本での劇場公開が製作後四十年近く経った2010年になってから、という反戦ドキュメンタリー映画の2本立て上映が、都会より一年遅れて高知でも行われた。初めて見聞するようなことは格別なかったが、人の表情や声色が目と耳に触れる形で接することのインパクトには、やはり格別のものがあるように感じられた。


 先に観たのは、'74年の『ハーツ・アンド・マインズ/ベトナム戦争の真実。証言者の一人が言うように、ロバート・ケネディが'68年に暗殺されなかったら戦争を終結させることができていた、とは必ずしも思わないけれども、少なくとも「人口的にも哲学的にも、東洋人の命は西洋人の命よりも軽い。」などと嘯いていたウェストモーランド司令官が言うように、あのとき20万の増派をしていれば、終結させることができた、とは到底思えないと確信させてくれる「米がある限り戦う、米がなくなれば植えるだけのこと」というベトナム農民の淡々とした言葉が印象深かった。そして、ウェストモーランド司令官の20万人の増派要請を、逡巡した挙句、成算なしと見込んで拒んだクリフォード国防長官と司令官のその判断に対する述懐の差が興味深かった。

 併せて、残虐な記録映像を怯むことなく組み込んだ編集に圧倒されたが、それ以上に感心したのが、ベトナム・アメリカを問わず、利権漁りに結託している富裕支配者層の存在を、殺し殺されるアメリカ兵士やベトナム人民と対置させる視座を投げ掛けてある編集だった。チラシに引用されていた「…私が映画を作ろうとカメラを手にしたのは、今もまったく色あせることなく意義ある作品であり続けるこの映画を見たからだ。」というマイケル・ムーアの言葉は、必ずしも宣伝用の言葉だけではないのかもしれないと思った。

 ジョンソン大統領の演説から引用したとの“Hearts And Minds”を字幕では「意欲と気質」と訳していたが、妙に違和感があった。「心と意思」のほうが良くはないだろうか? いずれにしろ、それ次第でどうにかできる事態であったとは思えぬものの、まさしくアメリカ側でのそれが失われていたからこそ、二十年以上にわたって泥沼化し、民主・共和と政権が変わっても、おいそれと終結できなかったわけだが、あれだけの命が歴然と犠牲になっていて、しかも政権交代してさえも政策変更のできなかった巨大利権の存在を思うと、いま我が国で大きな問題となっている原発エネルギー政策を変更させるのも、やはり生半可なことではできないのだろうと暗澹たる気分になってくる。まさにベトナム戦争でもそうだったように、エスタブリッシュメントや富裕層にとっての巨大利権が常に“国益”という言葉に置き換えられて喧伝されるのだということに、人々はいつになったら気づくのだろうと思わずにいられない。

 そして、愛国心の称揚は、その偽装を隠蔽するためにこそ施されるのだということと、その効力の侮れなさというものは、天皇万歳の雄叫びと共に狂信的な玉砕に向かわせた大日本帝国の軍国教育に決して限らないものであることを、アメリカ軍の帰還兵が自らの行状の基盤を“国益と愛国心”に置いていたことへの慚愧と抗議の念について聴きながら、改めて思い知るような気がした。

 また、アメリカの国技スポーツともされるアメフトの試合画像を引用し、「もうフットボールなんかどうでもいいんだ、とにかく負けるな。勝つしかないんだ!」とロッカールームで叱咤するヘッドコーチを映し出し、ひたすら勝利することのみを鼓舞する“アメリカン・スピリッツ”を印象づけていたのが目を惹いた。ベトナム戦争もまさにかようなメンタリティのもとで遂行されていたということなのだろう。



 続けて観た『ウィンター・ソルジャー/ベトナム帰還兵の告白は、'72年の作品だった。'74年の『ハーツ・アンド・マインズ』が、イージー・ライダー['69]やファイブ・イージー・ピーセス['71]を製作したBBSプロダクションのバート・シュナイダーやピーター・デイヴィス監督の製作による作品であるとチラシに明記されていたのに比べ、こちらの製作は「ウィンターフィルム/戦争に反対する帰還兵の会」としか記されず、監督名もノンクレジットになっていたのは、制作当時の記載に沿っているからなのだろう。

 その違いは、やはり'73年のベトナム和平協定の後先というタイミング差によると推測されるわけだが、そういう意味では、本作は『ハーツ・アンド・マインズ』以上に意義深い作品だという気がする。同じ映像が使われていたように思うから、製作はやはりBBSプロダクションなのだろう。

 戦場での残虐行為に係る当事者による証言ドキュメンタリー映画としては、日本鬼子 日中15年戦争・元皇軍兵士の告白['01]のほうが優れていたように思うけれども、こちらはベトナム戦争終結前という製作時期の凄さに圧倒される。日本では、こういう証言者の登場は考えにくい。そこのところは、さすがアメリカだと思う。

 日本の元皇軍兵士の中国人に対する蔑称が“チャンコロ”であったように、ベトナム戦争に従事するアメリカ軍兵士はベトナム人に対し“グーク”という蔑称を用い、同じように虐殺や強姦、戦果としての耳や鼻の削ぎ取りをしていたということに、軍隊というものの普遍性を見るような気がしないではいられない。東洋人だから西洋人だからという差異ではないことは明白だ。軍事教練というものが、倒し殺さなければならない人間を敵として人間とは見ないで済むようにする教化訓練にほかならず、そこに必ず蔑視と憎悪を刷り込もうとするのは、古今東西変わらぬ普遍の真理であることを改めて見せつけられたように思う。

 公聴会のなかで最も盛大な拍手を得ていたのが、自分はネイティヴ・アメリカンながら、西部劇を見ていてもついつい騎兵隊側に立って観てしまうように教化されていると告白していた青年が言及した、迫害された自分たちの先祖がそうだったように、ベトナム人にも文化があるはずなのに、彼らを人間とはみなさないよう訓練されていたとの発言だったのが印象深かった。ネイティヴやアフリカン・アメリカンなど、人種差別に苦しめられてきた歴史を持つ者であることが些かの歯止めにもならない軍隊の教化訓練の凄まじさというものは、兵役を経験したことのない僕には実感できないものだけれども、想像するだに恐ろしいと思う。

 それにしても、本作2篇が '60年代に製作されていたら、日本公開が四十年近くも遅れることにはならなかったのだろうが、『ハーツ・アンド・マインズ』がアカデミー賞の最優秀長編ドキュメンタリー映画賞を受賞し、『ウィンター・ソルジャー』がベルリン国際映画祭のフォーラム部門インターフィルム賞を受賞しているという堂々たる作品なのに、両作ともに劇場公開されなかった日本の'70年代というのは、やはり反動の“シラケの時代”だったのだなと改めて思った。



推薦テクスト: 「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/2011/07/post-7374.html
推薦テクスト:「映画通信」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1942153738&owner_id=1095496
by ヤマ

'11. 7. 8. 民権ホール



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