『ハスラー』をめぐって
映画通信」:(ケイケイさん)
ヤマ(管理人)


  ケイケイさんの掲示板にて
投稿日:2012年 1月 9日(月)17時08分
ヤマ(管理人)
 ケイケイさん、こんにちは。
 楽しみにしていた『ハスラー拝読。思ったとおり、読み応え十分でした(礼)。

(ケイケイさん)
 ヤマさん、こんばんは。ありがとうございます。
 旧作は感想を飛ばす事も多いのですが、大好きなポールの作品なので、無事アップ出来ました(^^♪

ヤマ(管理人)
 とりわけ、おぉ〜と唸らされたのは、そして化けの皮の剥がれたバートの様子は、今までの大物感から一変し、狐のように小心で狡い男になっていました。これが彼の本質なのです。もっと言えば、それが「ハスラー」と呼ばれる彼らを食いものにする賭博の世界です。あの立派なファッツまでが、長いものに巻かれています。嘘と欲だらけの世界で、エディは生きてはいけないのだと言うサラの願いは、正しかったのですね。とお書きの部分でした。いやぁ、痺れましたね。僕とニュアンスは異なっているのですが、非常に納得感のある素晴らしい捉え方だと思いました。

(ケイケイさん)
 ありがとうございます。
 バートの人生哲学って、立派に聞こえるでしょう?
 私も最初騙されたんですよ(笑)。でも段々と本性が現れてきて、最後のビリヤード場では、エディを怯えているように感じました。ハスラーを貶めるのではなく、賭博の実態というか本性を暴きかったのかと感じたんです。

ヤマ(管理人)
 このあたりの、いかにも女性らしい真っ当さに感心したんですよ〜。男は、博打に甘くっていけません(苦笑)。

(ケイケイさん)
 ありがとうございます。
 息子たちが小さいときにね、夫がカブを教えてたんですよ。そしたら、「お前ら、10円賭けろ」と(笑)。何を言い出すねんと思ってたら、「少額でも賭けやんな面白くない」ですと。息子たちも、ウンウン頷くわけ。そしたら、その時まだ二才でおむつも取れていない三男が、じ〜と観ていて、自分のおもちゃ箱から、一番好きなおもちゃを持ってきて、「はい!」って、張ったんですよ(笑)。あぁ〜〜、やっぱりこいつも男なんかと思ってねぇ。

ヤマ(管理人)
 これ、サイコーやなぁ(笑)。三男、エエ子や! 就職も強いはずや!(笑)

(ケイケイさん)
 他にもモノポリーしていて、サイコロ振って5が出たらホテルた建つ時、興奮してお漏らししたり(笑)。

ヤマ(管理人)
 そりゃ、興奮するのが真っ当じゃありませんか(笑)。

(ケイケイさん)
 これが四才くらいですかねー。最初の子なら、情けなくて涙が出たかもですが、母としての心境は、ブルータス、お前もかでした(笑)。
 やっぱり賭け事に対しては、男女の違いはありますよね。

ヤマ(管理人)
 あります、やなくて、ありました、ですってば。 近頃の女性の男性化は、博打方面にも出てるから、やれケーバだの、ボートだのが、おっしゃれ〜って線を追ってたじゃありませんか(笑)。相場もそうですしねー。

(ケイケイさん)
 昔は少数派だったし、女性は賭け事するのは恥ずかしいことだったですけど、確かに最近は大手をふってやってますね。良いことなのか悪い事なのか?(笑)。ただ、何でも男性と同じ土俵に乗る必要はないと思います。

ヤマ(管理人)
 同感ですねー。女の子が男言葉を使うことがTVドラマでさえ普通になってきた頃、妙に苦々しく思っていた覚えがあります。その走りのTV女優が内田有紀だったような記憶があるのですが、彼女の出ている映画ばかものが今頃になって、当地で公開となりました。例によって、あたご劇場なんですが、ちょっと観たかったんで、喜んでます。

(ケイケイさん)
 本物の「土俵」は、女性が乗ってもいいと思っていますが(笑)。

ヤマ(管理人)
 「ばかもの」、なんちゃって(笑)。それはともかく、麻雀放浪記』の拙日誌にも綴りましたが、実態とか本性とは別に“浪漫”を夢想するんです。『ハスラー』の拙日誌にギャンブルのルールとして負けた者が金を手にすることはあってはならず、サラに負けたバートに金を渡すことはサラの勝ちを葬り去ることに他ならない。バートもエディもその意味が分からない半端者のギャンブラーではないということだ。と綴ったように、悪党ではあっても博徒としては一流なんですよね、僕的には(たは)。

(ケイケイさん)
 う〜ん、はるほど・・・。深いんですね。

ヤマ(管理人)
 そーなんです(笑)。

(ケイケイさん)
 私なんか、ただの狐って書いたのに(笑)。

ヤマ(管理人)
 ま、狐と狸のばかし合いってとこはあるし、それで間違いありません。っていうか、本当のところは、やっぱそこなんだろうと思います。


-------名作の行間に込められていたもの-------

ヤマ(管理人)
 ミネソタ・ファッツの魅力やサラの自殺の心境など、やはり年季を重ねてから観ることの喜びというものが沁みてくるのは、名作の証ですよね。物語的にはさほどのものではない作品だとの聞き覚えがあったのですが、いったい何処からそんな的外れの風評が聞こえてきてたんだろうって思いました(笑)。

(ケイケイさん)
 若い人が出てくるのに、若い人には理解しにくい作品だからじゃないですかね?(笑)

ヤマ(管理人)
 サラの自殺について「自分を貶めて死にたいと言う気持ち」を受け止めたケイケイさんと、エディにバートとの縁を切らせるための大勝負に出たと解した僕と、その受け止めは違っても、ケイケイさんがお書きの「愛されることばかりを望んでいた彼女が、きっとエディは初めて愛した相手」であったがゆえのことという点には変わりがありません。

(ケイケイさん)
 感想にも書きましたが、私もヤマさんと同じようにも感じています。

ヤマ(管理人)
 「命を賭けてエディに訴えたかったのだ」と書いておいでの部分ですね。

(ケイケイさん)
 そうですね。口紅で鏡に「変質者」とかいっぱい書いてますしね。
 バートは簡単に自分の相棒の女と寝るような男よ、そんな男を信用出来るのか? と既成事実を作り、エディにバートの本性をわからせたくて、バートを誘ったとも思っています。

ヤマ(管理人)
 誘ったというか求めたのは、僕はバートのほうだと思ってます。だから、サラは「貴方はお金だけじゃなく誇りも根こそぎ奪い取るのね。」と言ったんだと思いました。

(ケイケイさん)
 「こういう時には、ベッドに投げるものよ」と言ってましたね。私はただの手切れ金だとばかり思っていました。

ヤマ(管理人)
 ただの手切れ金なら、敢えて“ベッド”とは言いますまい。僕は、この“ベッド”を聞いて、バートが口止めの代償を求めたと受け止めたんですよ。
 でもって、別れさせられるにしても、自分の抱えている秘密をエディに知られたくないから応じる形を取ってバートの裏をかき、サラのほうから明かすはずがないと思っていた情事を、それこそ、ケイケイさんが上述しておいでのように口紅で書き残して自害するわけですよね。
 つまり、バートに対しては合意のうえでの行為をエディに対しては暴行という形にして伝える罠を仕掛けたということです。“簡単に自分の相棒の女と寝るような男”どころじゃあ、ないわけですよ。ここまでしなきゃ、周到なバートの魔手から、エディが目覚めて逃れることができないとサラは見込んでいたのだろうと思います。

(ケイケイさん)
 ここは本当にヤマさんでしか見抜けないところですね。本当に感服しました。

ヤマ(管理人)
 恐れ入ります。ギャンブラー的心理戦って、けっこう好きなんです。
 恋愛的心理戦って苦手なんですが(笑)。

(ケイケイさん)
 いやいや、恋愛もゲーム感覚の人もいるじゃないですか(笑)。

ヤマ(管理人)
 なおさら苦手ですよ、そっちは(苦笑)。

(ケイケイさん)
 私はね、サラは自分が誘った事が、むしろエディに判ったほうがいいと思っていたと感じたんですね。
 そうやって自分も憎まれて、彼に忘れて貰いたかったと感じました。

ヤマ(管理人)
 お〜、これはこれは! 僕には思い掛けない形の、いかにも女性的なナルシズムに満ちたヒロイニズムですねー(感心)。

(ケイケイさん)
 自分でもそう思います(笑)。忘れて欲しいの奧には、多分「忘れないで」もありますね。
 で、もちろんそこにはバートと手を切らせたかったという思いがあるし、これからのバートの人生に、自分の自殺のような思い出は忘れて欲しかったと思ったんです。でもヤマさん的には、それではまだ甘いわけですね(笑)。

ヤマ(管理人)
 シュガー&スパイスのシュガーですな(笑)。

(ケイケイさん)
 それはそれでね、「スィーツ」と言うカテゴリーもありますから(笑)。
 これ、沢尻エリカの映画のタイトルでしたっけ?

ヤマ(管理人)
 はいな。柳楽優弥との共演作です。拙日誌も綴っております。

(ケイケイさん)
 彼女の復帰作『ヘルタースケルター』の原作は読んでいますが、彼女向きの役柄ですよ。ちょっと期待しています。

ヤマ(管理人)
 ほぅ、遂に復帰作が! もう嘗てには戻れないのではと思いますが、それでも見逃せない気にはさせてくれますよねー。

(ケイケイさん)
 話を『ハスラー』に戻しますが、サラが「あなたには傍に居て欲しかった」と言うセリフの時ね、もう涙が出て出て。切実で真っ直ぐな言葉だから、エディの心を捉えたんだと思いました。

ヤマ(管理人)
 そうですね。
 でも、これだけでは、エディはバートから離れられなかったでしょうね。ケイケイさんがお書きのようにエディは長年の相棒チャーリー…と決別したのに、バートには平伏してしまいます。反骨心も試合をしたい欲望には勝てない。のですから。
 そして、しかしバートは、チャーリーなどよりもっとタチの悪い輩だから、尚更です。そのことをサラは察しているからこそ、偽装暴行という罠を仕掛けたのだと思います。自ら仕掛けたというよりは、バートのいやらしい要求に屈するように見せかけて裏をかくんですが。


-------さらに行間を訪ねて-------

ヤマ(管理人)
 ところで、ケイケイさん。どちらも共に映画では明示はされていなかったように思うので、解釈の領域なんですが、サラの生活の原資を何だったと思われてますか?
 また、エディは生前のサラに「愛している」という言葉を発したと思われますか?

(ケイケイさん)
 サラの生活の原資については、最初娼婦だと思ったんです。駅の喫茶店や酒場で客引きしているのかと。次にセリフから老人の愛人だと思って、またセリフから父親からの送金だとあって、そうなのかと。腑に落ちなかったんですが、たった今ヤマさんの日誌を拝読して、なるほどそうなのかとやっと納得出来ました。バートがサラに囁いた言葉もわからなかったのですが、ヤマさんの御陰で理解出来ました。ありがとうございます。

ヤマ(管理人)
 こちらこそ、ご賛同いただき、嬉しいです。
 それでは、エディは生前のサラに「愛している」という言葉を発したと思われますか?

(ケイケイさん)
 いいえ。サラに「愛しているは責任を伴う言葉よ」と言われて、軽々しく言えなくなったと思います。エディにもサラは必要だったでしょうが、それ以上に彼にはビリヤードのほうが大事だったと思います。

ヤマ(管理人)
 なるほど。それは確かに、博徒の性ですもんね。

(ケイケイさん)
 先の事などわからないというのが本音だったと思います。セリフにもあったような。

ヤマ(管理人)
 ボガードじゃないのに?(笑)

(ケイケイさん)
 レストランの食事の時にかな? その時に、愛なんて言葉は言えない、と言った時に、そういうセリフがあったような。

ヤマ(管理人)
 サラが「愛しているは責任を伴う言葉よ」という趣旨のセリフを発したのは、例のシャンパン事件のあったパーティの開かれた金持ちの博打場への出稼ぎに同行した際の宿部屋に入る前の廊下での遣り取りのなかでだったように思います。

(ケイケイさん)
 そこじゃないかもしれないけど、明確に「自分は愛しているとは言えない」と言った記憶があります。それはサラだからじゃなく、誰にも言えないという意味だったんでしょうが。

ヤマ(管理人)
 あの時代ですからね〜。男は、マッチョなんですよ(笑)。

(ケイケイさん)
 サラを失って初めて「愛している」のが、わかったんでしょうね。

ヤマ(管理人)
 ええ。男はバカですからね。

(ケイケイさん)
 本当にねぇ・・・(笑)。

ヤマ(管理人)
 だから、懲りないですよねー。

(ケイケイさん)
 でも映画においては、この手の男性は凄く好ましいんですけどね。

ヤマ(管理人)
 誰が演じるか!ですが(笑)。

(ケイケイさん)
 それはもちろん!(笑)。
 自殺する前にサラの言う事、聞いて欲しかったなぁ。自分はバカだと認識している人は、ちょっと臆病なくらいがいいかもですね。

ヤマ(管理人)
 僕は、拙日誌にも綴ってあるように、サラが自らの命を絶ってまでしてエディを守ろうとしたのは、彼女自身が発した言葉の証として、エディに求め、得られた言葉への回答だと受け止めてましたが、彼からの言葉による確証は得ずしてもって解したほうが、彼女の想いの深さが偲ばれますし、博徒の男のバカさ加減が際立ちますし、作劇的にも理に適っているような気がしますね。うん。そっちのほうが良さそうだな(礼)。

(ケイケイさん)
 そのようで(笑)。

ヤマ(管理人)
 ありがとうございました。

(ケイケイさん)
 こちらこそ楽しかったです。ありがとうございました。

by ヤマ(編集採録)



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―