『ばかもの』
監督 金子修介


 のっけからラブシーンが連発されるのに露出がほとんどない出し惜しみに、ロマンポルノ出身の監督とは思えぬ澄まし加減を感じて少々萎えたが、場面設定の非日常性と対になる細部で際立つリアリティには、ロマポならではの感じがあって、けっこう笑えた。そして、ラブストーリーかと思いきやアルコール依存症ものなのかという調子外れな変転を見せた後、なかなかコクのあるラブストーリーへと収束していって、すっかりやられてしまった。映画の序盤で額子(内田有紀)の発した「ばかもの」に微笑み、最後の場面でヒデ(成宮寛貴)の零した「ばかもの」が何だか沁みてきた。山中の川の流れと木の枝の伸び具合に、ただの風景とは異なる表象が宿っていたような気がする。

 時代の寵児“モーニング娘。”の『LOVE マシーン』の歌声が響く世紀末の1999年からの十年間、二人に訪れた人生の波の激しさにある、まるで絵に書いたような劇的加減には少々似つかわしくないほどの生な現実感があって唸らされた。バイト先の年上女性から受けた筆下ろしによるセックス覚えたてのヒデの初々しさと有頂天を、成宮寛貴が実に上手く演じていて、懐かしいようなくすぐったいような妙な気分になったが、手痛い失恋と新たな出会いの底流で自覚なく進行したアルコール依存症に荒み壊れていく過程を経た十年後に彼が身に付けていた陰影との対照が、なかなかの好演だった。

 社会人として稼ぎのある額子がヒデの誕生日に買ってくれた赤いコートのような高額のプレゼントを彼女の誕生日には買うことのできない貧乏学生のヒデが一山当てようとしたときの、曰くある“平成11年の誕生日の印字の付いたハズレ馬券”を、額子が十年後も手元に持っていたことが映し出されていた。大学生を惑わせた年上女としての負い目も手伝って、敢えて訣別を自らにも強いる形で選択し、平凡な主婦生活を送っていたはずの額子がずっと大事に持ち続けていたとも思えないが、不慮の事故で左腕を失くして結婚生活が破綻し、出戻ったときに母親(小手川裕子)からヒデの転落人生を知らされたことで、飲めなかった酒を彼に教えセックスを教えた日々が蘇り、その髪が白くなるほどの苦衷に苛まれた後でたまたま見つけ出し、以後、後生大事に持っていたのなら、大いにあり得ることで、納得できる。

 白衣が目に沁みる中学理科教師の翔子先生(白石美帆)も、年下男を簡単には見切れない年上女性の情の濃さと弱さを体現していて、切なく迫ってくるものがあった。だからこそ、思い出のスキー写真とヒデの荷物だけを残して忽然と引っ越した伽藍堂の部屋という常套場面が出てきても、ただの定番には映ってこなかったのだろう。

 アルコール依存症に堕ちていく過程で失っていくものについての描出もなかなか生々しくて、せっかく止めていても少しのことで元の木阿弥になってしまう難儀さを繰り返し描いていて感心したのだが、そちらに掛かった比重が思いのほか高くて、少々破調を感じはしたが、片腕の額子の拳の重みを浮かび上がらせるうえで必要なことだったのかもしれない。また、大学時分からの親友である加藤(池内博之)の存在が効いていて、その距離感が的確に捉えられていたように思う。

 それにしても、これだけの作品がどうして大して注目もされないのだろう。僕の耳に届いてきていなかっただけなのかもしれないが、不思議に思った。



参照テクスト:同一原作者による映画化作品『やわらかい生活』
参照テクスト:絲山秋子 著『ばかもの』読書感想文


推薦テクスト: 「なんきんさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1647349591&owner_id=4991935
by ヤマ

'12. 1.25. あたご劇場



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