『北北西に進路を取れ』(North By Northwest)['59]
監督 アルフレッド・ヒッチコック


 名作と世の誉れ高い映画なのだが、これまで不思議と縁がなく、今回TOHOシネマズが企画した“午前十時の映画祭”で初めて観た。確かにテンポよく飽きさせない展開で惹きつけていく運びの巧さや紙マッチでの伝言がR.O.T.という印刷によって意味をなすことを映し出すショットなど、セリフに頼らないヒッチコックらしい達者な視覚話法が堪能できる。だが、半世紀の時を経た作品を観て、僕が最も興味深く感じたのは、前世紀後半の世界を席巻したアメリカ文化の本質が宿っているように感じられた風俗映画としての側面だった。

 映画の始まりに出てきた会合が本当はそう重要なものでもなさそうだったのは、ロジャー(ケイリー・グラント)が着席して少し話を始めた時点で早々と母親に電話してくるからと中座する有様からして知れるのだが、その程度の会合でも自分が遅れそうになると、重病人を連れているからなどと嘘をついてタクシーの横取りをして出し抜くのが“機転”だと思っているような男が主人公の物語だ。そんな厚かましさがなければ、広告会社の社長など務まらないのかもしれないのだが、ちょうどその報いが来たとでも言うように、まさしく広告みたいに、派手で、嘘とも真実ともつかぬ偽りに実生活で見舞われてしまい、大掛かりなスパイ捜査や殺人事件に巻き込まれることになる。彼を当時の最先端ビジネスであったろう広告業界の社長にしているのは、風刺の効いた巧い設定だと思った。

 それでも、アメリカン・ビューティ』['99]の拙日誌タフでスマートでセクシーであることによって、特別な存在として目立ち、成功するということが即ち“アメリカの美”であると綴ったこととまさに符合するように、本作のロジャーは、ブロンドビューティからのストレートなお誘いにも自信満々で何の懐疑を抱くこともなく、ちゃっかり寝台列車での一夜を共にするだけですっかり彼女を篭絡し、その後の命を狙われる危機も潜り抜け、まんまと美女の伴侶獲得に至る。美女からの誘いにひとたまりもないのは、ロジャーに限らぬ世の男の常ではあろうが、かような成功を臆面もなく肯定するばかりか、ある種の憧れを誘うかっこよさとして称揚しているような気がした。

 そういう意味で、まさしくアメリカ映画の本流を行く作品だったのだろう。過剰なほどの自己肯定と呆れるばかりの前向き志向(これがタフネスだ)、そして人間は有能であること(つまりスマートさ)が何にも勝るという価値観と何やら信じがたいほどの幼稚さ。しかし、そういったものを備えていなければ、一人前の大人ではないかのような強迫感と十二年前のウワサの真相』['97]の映画日誌に綴ったようなものが当時のアメリカンライフにあったからこそ、本作のような映画がエンタテインメントとして絶大な支持を得たのだろうという気がする。

 これだから、映画を観続けることの楽しみは止められない。

 ロジャーと“ハッピーエンド”を迎えるイブ・ケンドール(エヴァ・マリー・セイント)の人物像は、かなり不可解という他ないものだったが、美女が不可解なのは、存在として自明のこととすべきものなのだろう。バンダム(ジェームズ・メイソン)からロジャーへの心変わりについても、そもそものバンダムへの接近についても、彼女には罠に掛けようなどという悪意など一切ないことになっており、その善良さを担保するために、些か無理な設えが施されていたのだが、それもまた“アメリカン・ビューティ”たる魅惑の美女だから許されることなのだろう。

 それにしても、なぜ『北北西に進路を取れ』などというタイトルになるのだろう。確かにノースウェスト航空の看板が強調されて出てきていたから、原題のほうは分からないでもないが、邦題はイブの人物像と同様に、不可解極まりないものだった。
by ヤマ

'10. 5.23. TOHOシネマズ5



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