“龍馬”で映画まつり

『暗殺』['64] 監督 篠田正浩
『幕末』['70] 監督 伊藤大輔
『竜馬暗殺』['74] 監督 黒木和雄

 いま高知ではNHK大河ドラマ『龍馬伝の放映にあわせ“土佐・龍馬であい博”を展開中なのだが、自主上映団体 とさりゅう・ピクチャーズが特別企画として、月替りで龍馬関連映画の上映会を催してくれた。拙著の帯文を書いてくれた黒木監督の作品の他は未見映画だったので、僕にとっては嬉しい企画だった。

 3月に観た『暗殺』は、龍馬よりも清河八郎(丹波哲郎)を描いた作品で、かなり楽しみにしていたからか、少々拍子抜けを覚えた。それでも目を引くところが随所にあって、寺田屋事件は、いろいろな作品でも出て来るのだろうけれど、惨劇の後始末のために店を休業して掃除をしている場面があったのは少々珍しいのではなかろうか。そこへ坂本龍馬(佐田啓二)が立ち寄って、慌しく片づけをしている店の者たちを尻目に部屋に立ち入って、畳に転がっていた三味線を手にとり、座り込んで爪弾きつつ唸りだす場面がなかなかよかった。今までに観た佐田啓二のなかで、最も中井貴一に似た面立ちを感じ、つくづく親子だと思ったが、二人にそのような思いを抱いたのは初めてのことのような気がする。

 4月に観た『幕末』で龍馬を演じていたのは、中村錦之助。わずか三十三歳で生涯を閉じた坂本龍馬のドラマには、数多くの傑物との出会いが描かれるとしたものだが、本作でも定番の勝海舟(神山繁)、西郷隆盛(小林桂樹)、桂小五郎(御木本伸介)、武市半平太(仲谷昇)らが当然ながら登場する。武市の意を受けて久坂玄端からの書状を持ち帰ったのが中岡慎太郎(仲代達矢)になっていたのは少々気になったが、数多の交友のなかで、龍馬にとっての無二の存在を慎太郎とし、上士から受けた差別が骨身に沁みているはずの郷士らで結成した亀山社中において、同じ社中の饅頭屋出身の近藤長次郎(中村賀津雄)に対し“町人出身への蔑視”が増幅させた妬みによって、郷士が詰腹を切らせた事件に最も重きを置いて描いていたところを、大いに好もしく観た。
 おりょうを演じていたのが吉永小百合で、御年二十五歳! その美しさと可愛らしさが同居している絶頂期に見惚れながらも、吉永小百合ですら、既婚女性の印とも言うべき鉄漿・引眉を施すと、その相貌に対しては不気味さの影を覚えた。何故あのような風習が長らく続いたのだろう。霧島の高千穂峰でおりょうを胸に抱きしめ、龍馬が「あいよ」と三度応える場面がなかなか良かった。
 そして、名高い世の人は我を何とも言わば言え 我が成す事は我のみぞ知るとの龍馬作の歌の意を、よさこい節の替え歌にして登場させていた趣向には、驚いた。僕は土佐の地で半世紀を過ごしているのに、この替え歌は初めて聴いたように思う。龍馬が軍鶏鍋を愛好したとの逸話にかかる部分は本作にも描かれているが、いま訪れている幾度目かの龍馬ブームに沸き立つなかで当地では、この軍鶏鍋が俄か人気を呼んでいる。だが、この替え歌はまだ聞こえてこない。巧く仕掛けると流行りだすんじゃないかと思った。

 5月に再見した『竜馬暗殺』は、『幕末』のようなオーソドックスな作りの作品とは対照的に幕末の傑物との出会いなど一切描かれず、竜馬暗殺までの三日間の潜伏生活が描かれた作品だ。三十余年前の学生時分に確か池袋で観て以来となるのだが、三十歳過ぎで没した龍馬と慎太郎を、ちょうどその年頃の原田芳雄と石橋蓮司が演じているから、品のないことこの上なく、そこに現実感があって大いに好もしく思っている作品だとの記憶があったものを再確認できた。原田芳雄の龍馬は、やはりいい。女に目のない龍馬の巧まざる手管の描出によって、彼の持つ型破りというもののなかにある破格破調が、ある種の“手に負えなさ”でもあることを、上手く描き出していたような気がする。
 慎太郎との敵対と親和の入り混じった珍妙な関係から、最後には、堅物慎太郎をその気にさせて、倒幕後の薩長テロを企てる同志として組むことに至らせていた結末が愉快だ。維新のための倒幕が“侍の、侍による、侍のための”革命でしかないことを喝破した質屋の倅と庄屋の倅が、「それじゃあ革命でもなんでもない」と新たな道を求める姿には、この映画が製作された時点で作り手が意識していたと思われる、学生運動の挫折がなにゆえのもので、何が欠けていたかを訴える視点があったように思う。すなわち“政治的学生の、政治的学生による、政治的学生のための”運動でしかなかったから、革命を口にしつつ、内ゲバに堕して崩壊していったということなのだろう。
 慎太郎や無名の刺客右太(松田優作)との関係性のなかに同性愛色を色濃く窺わせていたあたりには、映画制作時に流行していた時代色のようなものも感じられた。'80年代に一気に開花し'90年代初頭にブームを迎えたような気がしているサブ・カルチャーへの脚光現象のなかで、その一分野でもあったゲイ・カルチャーやゲイ・テイストによる各種表現における言及というものは、ちょうどこの頃からある種の流行として目立ってきていたような覚えがある。


by ヤマ

'10. 3.18. 美術館ホール
'10. 4.22. 美術館ホール
'10. 5.27. 美術館ホール



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