『レスラー』(The Wrestler)
監督 ダーレン・アロノフスキー


 映画の始まり早々でいきなりパッションが傑作として引き合いに出されたが、確かに『パッション』に負けず劣らず、視覚的に痛ましい映画だった。レスラーがいかに自身の身体を痛めつけてショーにしているかが、まさしく“痛いほど”判る作品だ。そして、その痛さは、生きるということの痛さを象徴的に示していたような気がする。だから、プロレスファンは、彼らの試合に熱狂するのだろう。どちらが強いかとかヤラセとかは二の次で、本気で身体を張っている姿に感動したくて観戦するのだろう。ランディことラムジンスキーを演じたミッキー・ロークが嵌り役だった。

 また、『その土曜日、7時58分』で実にいい味を出していたマリサ・トメイが、四十代半ばで子持ちのポールダンサーであるキャシディを演じて、作品の味わいを一段と深めていたように思う。思えば、ポールダンサーもレスラーも、鍛えた身体を誇示して売り物にしながら心身を痛めつけているタフな仕事だ。若いときにはそれなりに華もあるのだが、年嵩がいってくると、それでもなお持ちこたえている強靭さには打たれつつも、やはり痛ましさのほうが目に付き、哀しさがまとわり付いてくるような気がする。それでも、ランディもキャシディも生きていくためには、それを続けるしかないし、そこを離れてもまた居場所がないわけだ。

 キャシディは、結局ランディがそうだったように“ファンから辞めろと言われない限り”、もう辞めるんだと言いながらも辞めずにポールダンサーを続けているのではなかろうか。ランディ同様、なまじ現役の矜持を失うことなく持ちこたえている分、そして、そこに仲間を得て居場所を持っている分、他には行けないような気がする。そして、両者のどちらにしても、鍵を握っていたのは子供の存在だったように思った。

 ランディは、娘ステファニー(エヴァン・レイチェル・ウッド)との関係の再生に致命的なエラーを犯してしまったことで、死が待つリングに帰るしかなくなり、キャシディは、歳がまだ十歳に満たない息子を身一つで育てる糧のために、辞めろと言われない限りは身体を張り続けるのだろう。不器用に身体を張って生きている二人の姿に心打たれながらも、何とも哀しく痛ましい気がしてならなかった。

 ダーレン・アロノフスキーは、脚本・監督を担ったレクイエム・フォー・ドリームでも、痛々しさを描き出すことにかなり長けていたように思うが、今回、脚本までは担わず製作を兼ねて撮った作品でも、その本領とも言うべき部分を遺憾なく発揮していたような気がする。



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by ヤマ

'09.10.26. TOHOシネマズ3



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