『おくりびと』『ぐるりのこと。』
第63回毎日映画コンクール特別観賞会in香川


 昨年9月に観たおくりびとと11月に観たぐるりのこと。がそれぞれ大賞&優秀賞を獲得したことによる特別観賞会で、橋口監督のトークショーつきというイベントに誘われ、出向いてみた。10時前に家を出て、帰宅は23時半になってしまったが、この二本立てプログラムという形で再見してみて、前者が「手」の映画、後者が「足」の映画であることの対照を楽しんで帰ってきた。

 『おくりびと』が手の映画であることは、拙日誌に既に綴っていたが、『ぐるりのこと。』が足の映画であることは、2/10付けのサイト更新で推薦テクストに拝借したお茶屋さんのテクストで示唆されて気をつけていたことだ。オープニングの足マッサージと天井画を見上げながら足で戯れる夫婦の姿のみならず、あちこちで足に焦点が当たっていた。カナオのバイトが靴の修理屋だったこととか、法廷場面での幼女殺害被告(片岡礼子)のスリッパ姿との対照を印象づけていた被害者の母親(横山めぐみ)の足首飾りは無論のこと、翔子が新しいアパートの下見に兄と行ってベランダの柵に足を掛けて外を眺めていたときの脹脛とか、翔子の母親の足首の捻挫への湿布貼り、翔子の兄が妻に嫌言を言ったときの妻の蹴りとか、随所で足というか足元への注意喚起があったことに気づいた。もしかすると、足元を疎かにしないことへの意識の促しがあったのかもしれないとの深読みを誘われるほどに顕著だったように思う。興味深い視点を与えてくれたお茶屋さんに感謝だ。
 ここでも『おくりびと』人気はやはり凄い。一階の1000席を越える座席が満杯だった。再見して改めて広末涼子の台詞なしの表情演技に心打たれた。とりわけ、初めて夫の納棺師としての仕事ぶりを観た、風呂屋のツヤ子バアサン(吉行和子)の旅立ち支度を整える場面と夫が三十年ぶりに対面した父親(峰岸徹)の遺体に向かっている姿を見守る場面に感じ入った。

 十二年前に拙著『高知の自主上映から』を出してもらった際には、「これからの映画」について語った章で、私は、これからの映画は、娯楽産業としての映画から、アーティスティック(芸術的実験的)な映画とジャーナリスティック(報道的提言的)な映画に、ますます特化してくるような気がしています。(P143)としたうえで、娯楽とアーティスティックとジャーナリスティックの三つの要素をある種のバランス感覚でもって包括しようとする作品も、今以上に撮られるようになるという気がします。と記し、続けてこの観点からの作品づくりを、おそらくは意識的にしているであろうと思われる点では、日本では、一色伸幸・滝田洋二郎の脚本・監督コンビが一番だろうという気がします。(P149)としてあったことに対して、滝田洋二郎をここまで言っちゃっていいの? との懸念を何人かから指摘されたものだった。そういう点では、今回、彼が日本人映画監督では黒澤明に続く二人目のアカデミー賞外国語映画賞の受賞監督になったことで、ちょっと溜飲を下げている。さすがに黒澤明に並び立つ監督だとまでは思ってないのだけれども、今回の受賞作『おくりびと』が、まさに「三つの要素をある種のバランス感覚でもって包括しようとする作品」であっただけに、事のほか嬉しく感じられた。
by ヤマ

'09. 3. 1. アルファあなぶきホール大ホール



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