『ブラインドネス』をめぐって | |
「映画通信」:(ケイケイさん) (TAOさん) (ミノさん) ヤマ(管理人) |
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◎mixi日記への書き込み(2008年12月16日 18:55)から -------二人の情けない夫の姿------- (ケイケイさん) ヤマさんの男性としての美学が如実に感じられる感想ですね。とっても興味深いわ(笑)。私は、ムーアが救世主にも暴君にもならないところに、とても共感出来ました。 「よくよく作り手は、男性性なるものへの嫌悪と絶望が深いのだろう。」と書いてますね。そうかなぁ。マーク・ラファロの夫の描き方の変遷なんか、私はとっても好感が持てましたよ。インテリ男が暴力的なガエルの力に屈し、目の見える妻に保護され卑屈になり、あげく別の女性と通じて妻に知られて…。 でも、その後のラファロの妻を支えようとする姿は、許してくれたからというより、妻の器の大きさを改めて感じ、卑屈になっていたのは、本当は自分が妻を下に観ていたと悟ったからじゃないですかね? だから、目が見えないのに、「君一人じゃ荷物が持てないだろう?」と、自分も盲目の障害を越え、本当にパートナーとして、対等でいたいと思ったからだと感じました。だから、自宅に戻ったとき、二人が睦みあったのは、私はすごく嬉しかったなぁ。 まぁ、今回のラファロは、私のストライクゾーンだったのでね、だいぶ優しい観方かな?(笑)。 ヤマ(管理人) 美学ですか? あちゃ、ちと恥ずかしいな(笑)。でも、興味深いと言っていただけると嬉しいですね。 僕には、「ムーアが救世主にも暴君にもならない」ってとこが、まさしく女性性と男性性との対照の極みとして映ってきたんですよ。 (ケイケイさん) 私もそう思いました。 元々盲目の男性をガエル側につかせたことも、そういう意図が含まれていたと思います。この辺は、監督の観念なのかも知れません。 ヤマ(管理人) ケイケイさんが映画日記にお書きの「強い慈悲深さと勇気を持ちながら、決して彼女は自分が救世主だとは誤解しません。これが目が見え続けるという彼女だけの試練が与えられた理由かと思いました。人は世界は、支え合い支えられて生きていくもの。一人一人が自覚しなければならないことです。歴史に名だたる独裁者は、その登場時、民衆から救世主扱いされました。しかしその末路はことごとく悲惨なものです。救世主などはいない。人間は人間でしかないのです。たった独り目の見えるムーアの存在を描く事で、そう強調したかったかのかと、私は感じます。」というくだりには、全面的に賛同ですし、作り手の意図したところだろうと僕も思ってました。そこに加えて、男女の対照を僕が観ちゃうのは、美学と言うより自意識過剰なのかもしれませんね(苦笑)。 (ケイケイさん) この自意識過剰は、なかなか素敵ですよ。ヤマさんの普段の堅くて難しい日誌からちょっと外れて、男性としての可愛さが見え隠れする瞬間ですから(褒めてます)。 ヤマ(管理人) それにしても、ケイケイさんが日記にお書きの「この題材でイニャリトゥだと、多分私にはケッ!と感じる作品に仕上がるような気がする」には笑いました。ほんと、監督との相性って大きいですよね。 (ケイケイさん) ここんとこの行は、TAOさんにもウケていただきました(笑)。 意外な所で笑いのポイントがあるんですね! 笑いって奥が深いわ(笑)。 ヤマ(管理人) 眼科医の夫の描き方は、ある意味そのとおりだったと僕も思いますが、僕の意識に強く映ったのは、彼が変わった後よりも変わる前のほうでしたし、変わった理由にしても、悟りというほどの境地は感じ取れないでいましたね。ケイケイさんの観方は、とても素敵ですね。 (ケイケイさん) ありがとうございまーす。 夫が患者の娼婦と通じる件は、食糧危機に面して男としてプライドがズタボロ、妻に対しては卑屈になっているという前振りがあったので、男としての自分を確認したい、でも妻とは今は無理っていうの、これはよく理解出来たんですよ。思わぬ妻の包容力に、自分の小ささを思い知らされたと思います。あの時から変わったと思いました。 その後の体を提供しにいく件でも、最初は妻の立場からすれば、何と情けないセリフを吐く夫かと、イライラしたんですが、もう一人の夫・伊勢谷の「うちの妻は絶対行かない」に、木村佳乃が従わなかったでしょう? あぁこれはラファロ夫が、心から妻の気持ちを尊重するように変化したんだなあと受け取りました。個人的には伊勢谷夫のほうが好きですけどね。 ヤマ(管理人) ラファロの演じた夫が、目が見えないのに、「君一人じゃ荷物が持てないだろう?」と言って付いて出たのは、僕は、対等でいたいと思ったからというよりも、失地回復というか、出番欲しさというか、自分も役に立つことを見せたい思いの強さが、却って足手まといになることを省みさせないで出た言葉のように感じていました(あは)。 (ケイケイさん) まぁ意地悪な(笑)。 私は、盲目でいることに卑屈になるのは辞めよう、例えハンデがあって、僕が君にしてあげられる事はあるんだよ、君一人で頑張らなくてもいいよ、と言う夫としての思いやりに感じました。この辺はラファロが好演してくれたので、素直に観られましたね。 ヤマ(管理人) ま、荷物持ちでは大して役立ってなかったものの、妻が食料を狙われて襲われたときに加勢をする役には立ってましたから、面目は立ってましたけどね。逃げる際に、残してきた衣類も抜かりなく取り戻してきたし、ね。 (ケイケイさん) ほら〜〜(笑)。 ヤマさんは男性の描き方には、結構手厳しいですもんね。同性に対してのその辺は、私といっしょです(笑)。 (TAOさん) ほんと、ヤマさんの男性としての自意識が興味深い感想ですねー。 私もケイケイさんと同じ見方でした。あそこは卑屈さから脱却した証ですよね。スカートを踏まない夫の鑑として、脳天気にラファロの成長ぶりに拍手していました(笑)。 ケイケイさん、『それぞれのシネマ』をぜひ見てください。ひとり3分しか持ち時間のない超オムニバス映画なので、さすがのイニャリトウも時制がいじれず、エモーショナルでシンプルな、素敵な作品でしたよ。3分なら大丈夫(笑)。 (ケイケイさん) 御紹介の作品、チェックしますね。天敵と和解できるでしょうか?(笑)。 -------『嫌われ松子の一生』に通じるもの------- ヤマ(管理人) 今回、可愛いと言って貰えたオヤヂのヤマです(笑)。この作品、TAOさんも絶賛なんですね〜。mixi日記、拝読しましたが、「温かく力強い本物のヒューマニズムを感じさせる傑作」とお書きでしたね。 ケイケイさんもTAOさんも絶賛なのに、でもって、僕も主題に対して異論はないのに、なんでだろーって考えてて、あ、そーだと思い出しました! 寓意性や象徴性の観点からは、質を違えている作品だと思うけど、『嫌われ松子の一生』のときに近いのかも。あのときと同じですよね。確かケイケイさんもTAOさんも絶賛で、僕は、物語や人物造形よりも、作り手の視線が気に障って、支持できない作品でした。この作品もトンデモ映画と思ったわけではなくて、主題的にも明快で、そこのところに異論はないのですが、あまりに図式的で、それ以上の膨らみや触発が得られないのに、その割には痛烈に過ぎる描き方に、僕は少々萎えてしまいましたねぇ(とほ)。 (TAOさん) ほんとだ、『嫌われ松子の一生』のときと同じですね。アンバランスな作品だと私も思います。図式的というのもわからないではないですねえ。膨らみは感じるのですが。 高知で『アウェイ・フロム・ハー』は上映されます? ヤマ(管理人) チラシを持っているのですが、上映予定は聞こえてきません(とほ)。 (TAOさん) これも傑作なのですが、痛烈すぎてヤマさんは萎えるかもしれません。サラ・ポーリー監督作で、ベルイマン並みに鋭く老夫婦を描いているのですが、ベルイマンの場合、懺悔や自己嫌悪が入るけど、若い女性だけに容赦がなくて(笑)。 -------夫の成長・妻の成長------- ヤマ(管理人) 夫の成長にしてもねぇ、まぁそれも妻の掌のうえでのことでしょ。 (TAOさん) あらま、なんとひがみっぽい!(笑) (ケイケイさん) 御意(笑)。 ヤマ(管理人) けど、柔らかい掌のうえに乗っかってるのは、けっこう心地よいものなんですがね。 (ケイケイさん) ヤマさんちもウチ同様、夫婦の力関係が逆転してきたんですか?(笑)。 ヤマ(管理人) 張り合ったりしないし、逆転するような類の優位を元々持ってませんから、そういう実感はありませんねぇ(たは)。実際、夫なんて妻の掌の上みたいなもんじゃないかと言われれば、それまでなんですが(たは)。 この映画に出てきていた夫婦に対しても、そもそも僕は成長とも感じてなくて、最後のとこだって、心折れずに貫けたことで失明が発症しなかった妻への御褒美にしか見えてなかったというのは、やっぱ僻んでいたのかも(笑)。 (TAOさん) たしかに妻の成長に比べると、夫のほうは、ちんまりして見えますけど、でも、女性が夫の庇護を離れて自立する困難より、男性が既得権益を剥奪されプライドを捨てる困難のほうがはるかに難しいような気がします。 (ケイケイさん) うんうん、私もそう思うなぁ。 ヤマ(管理人) そのようですねー。共働き夫婦でない夫の定年退職後の消沈ぶりって半端じゃないらしいですもんね。 (ケイケイさん) ラファロ夫にしても、伊勢谷夫にしても、ガエルたちと交わった後の妻と、一切諍いがなかったでしょう? ヤマ(管理人) そりゃあ、そーでしょう。力の弱さに怯み卑屈になっていたうえに、そこんとこで逆上できるほどに愚劣な男たちでは、いくら何でもなかったでしょうよ。 (ケイケイさん) あんな状況であったって、なかなか出来ることじゃないと思うな。 ヤマ(管理人) そーですか〜? 男ってそんなに安いもんなんですか?(苦笑) 勿論どっちの類の男もいるのが現実で、実態としてどちらの数がより多いかなんてのは、誰にも確かめようのないことですが、少なくともこの作品の二人は、そこんとこまでも敢えて成長と言わなければならないほどに情けない男たちではなかったように思いますよ。とりわけ伊勢谷夫以上に、ラファロ夫は。 (ケイケイさん) この作品は、諍いの代りに夫婦の睦みがあり、目が見えた喜びを妻に全身で伝える夫ありで、私は“目が見えなくなったことで、一回り大きくなった夫たち”を感じましたよ。 ヤマ(管理人) あのどん底の状況から生き延び脱出できて、やっと一息つく余裕ができるや忽ち諍いを始めるってことのほうが僕には奇異に感じられるので、諍いの代わりに睦みがあることのほうがずっと自然に思えるのですが、女性の目には、男というのは、よほど矮小なる存在のように映っているものなんですねぇ(苦笑)。 -------最もカタルシスを感じた場面------- ヤマ(管理人) さて、ケイケイさんご指摘の“もはや公僕と化していた妻がようやく私人に戻れた感じ”との我が家に帰ってからの夫婦の営みは、確かに御褒美だったと僕は思うわけですが、それよりも、彼女の喜びを最も強く僕が感じたのは、明るい陽の射す台所で手を広げ伸ばしていたような記憶のある場面なんですよね。そこでは、彼女は、やっぱり一人だったんです。 (TAOさん) ええ、あそこがいちばん喜びを感じていた場面でしたね。公僕でもなく、夫を支える妻でもなく、ひとりの人間として。でも、それ、男性もそうじゃありません? 仕事が休みで、妻と子供が旅行にでも行って留守中の開放感って格別だと思うのですが。でもヤマさんは、妻がそれを感じるのは面白くないのかな。 ヤマ(管理人) そんなことはなく、むしろ奨励してますよ(苦笑)。ちょうど今も、うちの奥さん不在中なんですよね〜。12〜21日まで娘のとこに出かけてます。フェルメール展の最終日に間に合うとか言ってたけど、物凄い行列との噂にけっこう怯んでいたので、果たして行ったのやら(笑)。うちは、子供たちが全員手元を離れてからは、ちょくちょく不在にしてるし、家にいるときにしても、僕はあまり窮屈を感じてないので、格別の開放感があるというわけではないですね。 (ケイケイさん) 私も一人で手を伸ばす場面、すごく好きです。この作品で一番カタルシスのある場面ですよね。家族を大切に思っている人でも、誰のもの、誰の為でもない自分だけの自分を確認したい時ってあるでしょう? ヤマ(管理人) それはそうですねー。分かち合う喜びも格別ですが、一人じっくり噛み締める味もいいですよね。 (ケイケイさん) やっと大役から解放されたんですもの、あの気持はわかるなぁ。あれは一人でありたいと願うのでは、私もないと思います。 ヤマ(管理人) 僕も一人でありたいと願っていたとは思っていません。二人で喜びを分かち合っているとき以上に、喜びを噛み締めているように映ったのが一人のときだったということですよ。 ◎映画日誌アップ後の掲示板(No.7947 2008/12/23 12:37)から (ミノさん) ヤマさん、こんにちわ〜。 ヤマ(管理人) ようこそ、ミノさん。 (ミノさん) ミノ@鶏の丸焼き中 です。 ヤマ(管理人) おぉ〜、クリスマス準備中なのね。 (ミノさん) 『ブラインドネス』拝読。 ヤマ(管理人) ありがとうございます。 (ミノさん) まずは、ガエル・ガルシア・ベルナル君! やっぱそうでしたか!(笑) 似てるなあとは思いましたが、私の中では美青年のイメージ強く、あまりにも野卑な男ぶりだったので、「あれ?違うか」と思っていたのですが・・(笑)やはりそうでしたか。 ヤマ(管理人) 男優の見映えなど、僕にはどうでもいいのですが(笑)、 (ミノさん) 御意(笑)。 ヤマ(管理人) 僕は、けっこう似合ってると思いましたよ。『モーターサイクル・ダイアリーズ』はともかく、『バッド・エデュケーション』でも癖のある役どころでしたし。 (ミノさん) 確かにねー。「ラテンのプラピ」とか言われてますが、陰影の強い持ち味ですからね。 ヤマ(管理人) ブラピと言われてるの? ふ〜ん、意外(笑)。 (ミノさん) でも、なんで彼をあそこで使ったのだろう・・(笑) ヤマ(管理人) 反感強めるには効果的だと思ったんでは? (ミノさん) 彼は『モーターサイクル』で、チェ・ゲバラしてましたよね。 ヤマ(管理人) はいな。観てますよ。拙日誌も綴ってます。 (ミノさん) ヤマさんは『チェ』見るご予定ですか? 革命家、イケメン、夭折・・魅力的な素材ですよね。 ヤマ(管理人) 新春、最も楽しみにしている作品です。こちらでも上映されるんですよー、シネコンで。 (ミノさん) ところで、ヤマさんにとっては、とてもバランスの悪い居心地のよくない作品だったようですね。 ヤマ(管理人) ええ、mixi拝見すると、ミノさんも乗れなかったようですね。 (ミノさん) 私は、あの白い闇がブワワ〜〜と広がる描写自体が全然ピンとこなかったんですね。 ヤマ(管理人) あ、これは僕もそうだった気が。でも、別段気にもならず、普通に流していきましたが(笑)。 (ミノさん) でもって、「見えない、見えない」って言っている人々自体がどうにもお芝居に見えてしまい・・ ヤマ(管理人) あー、それはいけませんねー。幸いにも僕は、そこまではいきませんでしたよ。 (ミノさん) そこで乗れなかったら、あとのドラマ、全部乗れません(爆)。 ヤマ(管理人) そりゃそうですねー。 (ミノさん) でしょー。どうしてでしょうね。もしかしたら、金曜の夜で体調が疲れ果ててたのかもしれませんね。肉体的疲労時鑑賞だったから、気力と視力が尽きてたのかも。アハハ。そういう鑑賞時条件で左右されたりしますよね。 ヤマ(管理人) 勿論そうです。拙著にも、そのあたりのことについて書いたことがあります。けっこう大事なことだと思ってるもの(笑)。 (ミノさん) ヤマさんがお書きの「図式化されすぎてる点」というのは、私はわかりますね。寓話形式という枠組みがかえって縛りがなくて、そうなっちゃったのかもしれませんよね。 ヤマ(管理人) それはあるでしょうね。リアリズムからの制約がなくなると同時に、図式化が促されがちですよね。 (ミノさん) 私は、収容所で、各部屋ごとに「専制君主」だとか、「外交」だとかのあたりに、いわゆる現実の国の外交を投影しているようにえらく感じてしまいました。 ヤマ(管理人) 人間の実存に向かった作品というよりは、現実世界を投影した寓話という観方をされたんですね。僕には、ほとんどなかった視点ですが、それも興味深いですね。でも、そう観ると、そこのところでの具体性に欠ける分、ちょっと浅くなって物足りなくなってくる気もしますが。 (ミノさん) 盲目で何も見えていないのに、銃を手にして暴君になる「キ○チガイに刃物」状態のあたりは、やっぱ私はお隣の国を思い出してしまいましたねえ。 ヤマ(管理人) ご自身のほうで具体性を補ってしまえば、上に書いたようなことは気にならなくなりますね(笑)。 (ミノさん) 常日頃、理性を失った人に武器が廻る狂気にさらされて生きてますからね〜我々は・・。 ヤマ(管理人) 僕がそんなふうにも思っていないのは、田舎に住んでるからかな。 (ミノさん) 子供さんが成人されてるっていうのもあるし、あとはヤマさん個人のキャラかな。 ヤマ(管理人) 基本的にオプティミストですからね(笑)。事件自体は、都会の専売特許じゃないのにね。テレビをあんまり見ないからかな?(苦笑) (ミノさん) 正解です。 ヤマ(管理人) チラチラっと入ってくる分だけでも、猛毒振りまいてますからねー。例の中国製冷凍ギョーザどころじゃありませんよ(笑)。 (ミノさん) 私は今年、本当にニュースから目をそらし続けました。それはいけない事とわかってますが、防衛本能だった気もします。 ヤマ(管理人) 目を逸らさないほうがいいニュースなぞ、TVではきちんと報じてませんから、決して「いけない事」なんかじゃないと思います。 (ミノさん) たまに「いかんいかん」と新聞を読むと、一気に不幸になる。 ヤマ(管理人) 新聞は、TVとは比較にならないくらいマシですよ。ヘンな新聞もありますが。 (ミノさん) だから、ネットで自分の関心のあることだけ・・ ヤマ(管理人) 関心を持つことが大事なんだから、関心のあることに目を向けるのは基本的にいいことで、関心のないことに目を向けてもロクなことがないでしょ。大きなポイントは、何に関心を持つかのほうで、ね。 (ミノさん) 視野狭窄まっしぐらですよ(爆)。 ヤマ(管理人) それは、ちょっとツマンナイカモ。でも、繰り返される画像などの事象を数多く視野に置くことが視界を広げたりはしませんからね。プールで犇めき合っている遊泳客をたくさん目にしたからとて、「今はもう誰もいない海」を見渡す程度の広さの視野さえ得られません(笑)。 (ミノさん) 来年は体力つけて、何でも来いになりたいです。 ヤマ(管理人) 幅広〜い話題で談義しましょうね。 -------力の論理の向かうところ------- (ミノさん) でもって、やはり武器を持って、最初は財産を、次は女性を差し出せ、となった時に、こちらも武器なり何なり拮抗したものがなく、丸腰だと、一番大事なものを差し出さねばならなくなるのだなあと。 ヤマ(管理人) このへん、僕は、もはや貨幣や貴金属が価値を有しているとは思えない状況にあっても、力を誇示するうえでは先ず最初に金品に向かってしまう発想に、いかにもそれ以前に住んでた社会の価値観に毒されている気がしました。あそこで金や貴金属を集めてどうするつもりなんだろって思いませんでした?(笑) (ミノさん) まあ、力の誇示、あるいは、もう一度通常状態に戻った時のため、盗れるもんは盗っとけって発想なんだろうなと。 ヤマ(管理人) 収容されてるのに、出るときそのまま出られると思ってたのかな?(笑) (ミノさん) 普段から、人から奪うことで自身を確保するという人間って、やっぱああいう不測の事態でも、そのまんまの行動に出ちゃうんですよねえ。 ヤマ(管理人) これだと思いますよ、やっぱ。その点、女性収奪のほうは、随分と判りやすいですが。まぁ、力を得た者が集めて誇示するものが、常に金品・女性だったこれまでの人間社会の歴史をなぞっていたに過ぎないんでしょうけど(笑)。 (ミノさん) 女を要求するあたり、すごく、直接的ですが、自分たちに隙が出来て襲われるかもしれないという発想がないとこがこれまた・・(笑)。 ヤマ(管理人) 男は、バカですからねー。でも、誰もかもってどうよってね。 (ミノさん) バカ or 無力って設定でしたね。 ヤマ(管理人) ホントに(苦笑)。 (ミノさん) でもそうしないと、ムーアの能力なりが引き出されないからかも。潜在能力って他に頼れる人やものがなくなると、出てくるってありますから・・ ヤマ(管理人) そうなんでしょうねー。 (ミノさん) 私は、最初にムーアたちが差し出された時に、危険が及ぶ前に、ムーアが相手の息の根を止めるだろうと思って見てたんですよ。 ヤマ(管理人) 例のハサミは、序盤でクローズアップされてましたからね。 (ミノさん) さすがに、すぐにそこまで内圧は高まらなかったということで、2回目のお呼びの段階で、ボスを殺したわけで。 ヤマ(管理人) 2回目ってことよりも、気まぐれの慰み物にしたうえで、いとも簡単に命まで奪ってしまったことのほうが大きかったでしょうね。 -------国の武装問題に置き換えて見えてくるもの-------- (ミノさん) 別に武装論者ではありませんが、やはり「話し合い」の成立しない相手というのは、必ず存在するもので、それとどう対峙していくのか?というのは、外交上、キレイごとで通用しない部分としてとても重要だということを喚起させられました。 ヤマ(管理人) 外交というからには国ですが、国というものが人民を守る意思を備えた組織であると想定すれば、そういった関心も湧くでしょうが、僕にはそうは思えないもので、外からの脅威を口実に国が人民に犠牲なり負担を求めることには、先ず以って胡散臭さとキナ臭さのほうが先に立つんですけどね(あは)。 (ミノさん) うーむ。国家への信頼がないという前提に立つとそうなっちゃいますね。確かに。 ヤマ(管理人) 本質的には、僕はアナキストなんですが、現実的には、政府が必要だとも思ってます。市民社会というものが本来の意味どおりに成立すれば、政府なんか入らないと思うのですが、シチズンシップというのも育ってませんからねぇ。政府を必要としないレベルにまで人民が賢くなる時代は、現実にはやってこないんでしょうね。 (ミノさん) 興味深いですね。では、アナキスト無政府主義って、やはり共産主義と同じで、絵に描いたモチってことになるんでしょうか? ヤマ(管理人) 僕はそう思ってます。 でも、餅を絵に描くということは、とっても大事なことなんですよ。絵には絵の効用があって、姿形(イメージ)を共有するうえで、絵に勝るものはありません。絵に対して絵の効用を求めずに「食うこと」にしか目がいかない猿並みの知力では、絵に描いた餅は食えないから意味がないのかもしれませんが、僕などは、数日でカビが生え変質してしまうナマ餅よりも、時に絵に描いた餅のほうが重要な場面があるとさえ思ってます。ことわざには反しますが(笑)。 (ミノさん) 何故人民は賢くなれないんでしょうか? ヤマ(管理人) 個々の人民は、そんなに愚かでもない気がするのですが、知恵の寄せ集め方ができないんですよねー。すぐに烏合の衆と化すのは、そこに規律も統制もないからですが、“烏合の衆”を避けるべく集団に規律と統制を持ち込むと、忽ちそこに権力構造が発生してきてしまいますよね。そこらあたりに原因があるような気がしてますねぇ。 (ミノさん) でも、たとえば、わが国の核武装問題にしても、議論そのものがタブーになっているというのは、おかしいですよね? ヤマ(管理人) タブーにする必要なく、絶対悪だというのが僕の見解です。 (ミノさん) それも含めて、キミはどうだ、私はどうだ、と言えるのは大事だと思いますね。言論が封じられているのはおかしいですよねー。 ヤマ(管理人) その一方で、自分の意見を求められることを嫌がる人もたくさんいてねー(とほ)。 (ミノさん) 見識って、「問われれば答える」ことの出来る能力だと思うんですが、「問われても困る」ってことですよね。 ヤマ(管理人) 僕も「見識」とはそういうものだと思っています。ですから、見識がないと困りますよね。 (ミノさん) 非核原則を貫くにしても・・とにかく最低限の議論が出来るようになることが大事なんじゃないのかなあとか。 ヤマ(管理人) 何のための議論か、ということはありますが、議論のうえ再確認できればいいな〜とは思います。でも、それこそ「話し合い」の成立しない愚かさが国内にも満ちていますよねー。教育課程のなかで「話し合い」の価値や作法、成就の喜びを学ぶことなく、管理下に従順であるよう装うことを賢さとして身につけるようひたすら訓練されて育てられますからね。社会人になって突如、指示待ちだとかって文句を言われるのは、若者にとっても、随分な話ですよねー。 (ミノさん) 若者にとっては矛盾した話ですね。 ヤマ(管理人) でしょ(笑)。 (ミノさん) 己が受けた訓練や価値観から脱却して、再構築しないといけないですが、自然な形で享受できないですもんねー。普段生活してて思いますが、考える力にしても、議論で突き詰めていく力にしても、備わっている人って、すごくごく一部なんですよねー。 ヤマ(管理人) これは、僕もよく思います。議論と言うと、敵味方に分かれて行うものだと思ってて、勝ち負けみたいな感覚でしか臨めない人、多いですよね。 (ミノさん) 自分も含めてですが。不満があって、組織や会社のせいにして、ガス抜き、ハイ終わりじゃなくて、代替手段はあるのかないのか、どうして出来ないのかまで話を詰めれば、かなり見えてくるものって、きっとあるんですけど、色々な起こる事象に関して、そこまでつめて話を出来る力のある人って限られてもいるし、そういう力のある人さえ、何か封じ込められて生活していく・・っていうか。 ヤマ(管理人) そうですよねー。封じ込められているのは、そういう議論を共有できないとの思いからで、きっと経験則のなかで学んでいるんでしょうね。で、無力感が先に立つのだろうと思います。 (ミノさん) あと、やはり日本の公教育の限界ってあると思うんですねー。自分自身と、子供の教育環境などをのぞき見したりして思うんですが、やっぱリーダーを創出しないような同調圧力、「和をもって」の精神が強いんですよ。目立たないように、ぬきんでないようにしないと生き残れないというのが、誰にとっても根強くあって、空気読めないのが死活問題になってしまう。 ヤマ(管理人) 僕らの高校時分は、その反対で、それなりの個性を発揮しないと、その存在感を認めてもらえないような空気というか、感じるものがあって、当時の友人たちを思い出しても、ちょっと変わったことをしたり、言ったりしないではいられない気風が校内にあったような気がしているのですが、それが四十年前だからなのか、私学だからなのかは、よくわかりません。 (ミノさん) 人と合わせることばかり考えて行動してたら、リーダーは生まれないし、リーダーなんか生まれちゃ困るんだよっていうのは教育の前提としては限界ですよね。つまり、丸くころがされて育ち、会社で仕上がるみたいな。 ヤマ(管理人) 管理教育全盛の時代のようですねー。 (ミノさん) といいつつ、私自身、子供との接触の中で、「御しやすさ」みたいなものを常に要求していることに気がつくことがあります。 ヤマ(管理人) これです、これです。効率を物差しにした管理の発想から出てくるものですよね、御しやすさって(笑)。 (ミノさん) そうしないと廻っていかない、というのが大義名分です。 ヤマ(管理人) 「そうしないと」と「廻っていかない」の間に、暗黙の価値観として“うまく”とか“効率よく”ってのが入ってるんですよね〜(笑)。それを取っ払うと、そうそう「廻っていかない」ものでもないはずなんですけどねー。 (ミノさん) これも、自分でどうしたものかとよく考えてしまいます。ある程度、つきあいやすさや、御しやすさを身に着けていないと生き難いのはそうなんですが。。 ヤマ(管理人) どっちにしたところで、人の生ですから、そうそう安直に生き難さの克服が得られるはずもないんですけどね。どっちを採っても、採ったなりのメリット・デメリットがあるのが道理としたものですしね。 (ミノさん) なんかニュアンスわかりにくいんですけど、わかって頂けるでしょうか(笑)。 ヤマ(管理人) よく分かりますよ。 -------実はいい作品だったのかもしれない『ブラインドネス』------- (ミノさん) この映画のテーマって「見える」「見えてない」ってところが核なんですが、ヤマさんは、ムーアが「人間同士の関係性を力関係としてとらえていないから、見えなくはならなかったのだ」と書いてはりました。 ヤマ(管理人) ええ。映画で明示されていたわけではありませんが、「感染しているが、発症しない」という観方のほうがいいと思ってます。でもって、その抗体を“愛”などという言葉で括るよりは、自分が言葉にしたような形で捉えるほうが、僕には、興味深く映ってきますねー。 (ミノさん) 本質的なところで、「見る」ということなんですよね。 ヤマ(管理人) 本質的なところでの「見方の違い」ってことかな。 (ミノさん) 私は、ムーアだけが見えなくはならない、というところには、なんかしらの意味付与を感じてはいましたが、力関係っていうのは及ばなかったんで、なるほどなあと思いました。 ヤマ(管理人) ありがとうございます。「愛」よりゃ気が利いてるでしょ(笑)。物語の構成にも即してると思うし。 (ミノさん) 私は長年生きてきて、「愛」という言葉ほど、やっかいなもんないなと思えてきました。 ヤマ(管理人) ええ、ええ、人間にとっての大難問ですよね。ギリシャ哲学の昔からそれは変わらないようです(笑)。 (ミノさん) この言葉は、ほっとんど使わなくなりました。 ヤマ(管理人) 僕は、どちらかというと、むしろ反対ですね。若いときは金輪際使えない言葉でした。ある意味、若々しい言葉へのこだわりがあったからでしょうね。軽々しく使うものではないってな(笑)。 でも、歳がいってくると、言葉への潔癖感から、記号なり道具としての言葉への感覚が、それなりにこなれてくるようなところがあって、無論まだまだかつての名残は、僕のように言葉に意識が向く性分の者には、色濃くあるのですが、昔よりは言葉に対して身構えなくなった気がしてます(笑)。 (ミノさん) あ、とっちらかってますね。すみません。 ヤマ(管理人) とんでもありません。こうやって遣り取りをしていると、あの不愉快だった作品が、何だかいい映画だったのかも〜という気がしてきましたよ(笑)。 (ミノさん) いい映画だったのかも(笑)。 ヤマ(管理人) ですね(笑)。いいけど、不愉快な映画だったってことで(笑)。 (ミノさん) こうして大晦日に『ブラインドネス』なんていう超マイナー映画について語ってる人間は、私とヤマさんくらいかもですよ? ヤマ(管理人) 確かになー(笑)。でも、なんか嬉しいことですが(あは)。 (ミノさん) だって、これ上映終了間際に見たんですが場内3人でしたよ?(笑) ヤマ(管理人) ほらほら、大晦日であろうとなかろうと、もともと話題として共有できる人の数に乏しい作品ですもんね(苦笑)。 (ミノさん) 昨年の今頃の自分のmixiの日記を読んでいたら「来年はPCの前にいる時間を減らしたい」なんて書いてました。シューカツしてたんで、ネット活用の時間が長かったんですね。その通り、もうケイタイからしか普段アクセス出来ない年でした。うっかり言うと実現しちゃいますね(笑)。 ヤマ(管理人) おぉ〜、それって凄いじゃありませんか! (ミノさん) 来年は、せめてヤマさんのサイトは、PCから見れる年にしたいです(ケータイはきついです、ヤマさんのサイトは)。 ヤマ(管理人) ほんまにね(詫)。もともと公開意識の低いところで綴っているものだから、不親切極まりないですよね〜(重詫)。 (ミノさん) ところで、ヤマさん、10年使ったパソコンの2代目は買いました? ヤマ(管理人) 昨夜、セットして、今使ってます。久しぶりに、公式サイトの予告編が支障なく見られるようになりました。前のやつは、もうフラッシュが対応できなくなってましたからね(苦笑)。 |
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by ヤマ(編集採録) | |
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