『告発のとき』(InThe Valley Of Elah)
監督 ポール・ハギス


 軍人としての誇りと規律が己が人となりの多くの部分を占めていることが今なお隅々に窺える退役将校のハンク・ディアフィールド(トミー・リー・ジョーンズ)にとって、自分に憧れ尊敬し母親の反対を押してまで入隊して最前線に駐留していた自慢の息子がイラクから帰還中の無許可離隊ということで実家照会を受けただけでも、俄には信じがたく何かの間違いだと思い、軍警察に勤めていた昔取った杵柄で、自ら捜索を始めずにはいられなかったほどだから、イラクでの負傷捕虜への虐待常習から仲間内では「ドク」と呼ばれるようになっている、自分の全く知らなかった息子マイク(ジョナサン・タッカー)の軍隊での姿が見えてくるなかで味わった苦衷には、とても僕の推して及ばぬものがあった。

 ハンク自身が元軍人であり、一口に軍人と言っても、自分を含めさまざまな人間がいて、タフな者もいれば、虚弱な者もいることは、百も承知の筈なのだが、そんななかで自分を見失ったり荒んだりする現実については、自分の息子の身に起こったことによって初めて思い知り、実感するのも無理からぬことなのかもしれない。だが、ハンクのような元軍人の息子だからとか、マイクのような青年だから、といった個別の問題で捉えられるべきものではないような気がする。人には、“人間という存在の持つダークサイド”への自覚と懼れがもっともっと必要だ。

 ちょうど二十年前にエレム・クリモフ監督の炎628を観たときの日誌によく戦争の悲惨さとか戦争の残酷さということが言われるが、それは“戦争の”ではなく、人間の残酷さであり、人間存在のどうしようもなさに外ならない。と綴り、戦争という言葉への責任転嫁の余地をこれほどに徹底して剥ぎ取り、個人を通り越しての人間というものの救い難さと醜悪さをここまで容赦なく強烈に描いた戦争映画がかつてあったであろうか。と記したことを思い出した。人間は、どうにも救いがたい醜悪なダークサイドを持つ存在だからこそ、人が最もそのダークサイドに陥りやすい環境である戦場へ若者をやってはいけないし、同じ貧困にしても、格差のなかで喘がせるような形での貧困や孤独に追いやってはいけないのだ。耐え難い絶望を与え、不安に陥れ、希望を奪い取ってしまうと、ペニングの台詞にもあった“彼なりの現実逃避”というようなダークサイドへ向かって行ってしまうことが起こりがちなのだから。

 ハンクの卓抜した捜査能力の助けを受けながら周囲の冷ややかな視線のなかで真相追及に向かった地元警察の刑事エミリー(シャーリーズ・セロン)の息子が「なぜ王様は小さなダビデが戦うことを許したの?」と母親に問い掛ける場面が強い印象を残している。それは、王様が小指の先ほどもダビデのことなどは考えてなくて、敵を倒すことしか眼中にないからに他ならないのだけれども、息子にデビッドという名を与えている彼女には、そんな答えが返せようはずもなく黙していた。幼子の台詞には、マイクたちが志願して戦場に向かったことが投影されていると思われるが、息子の素朴な問いに答えられないエミリーの姿には、直ちにハンクの姿が重なってくる。ハンクの妻ジョアン(スーザン・サランドン)が泣き崩れながら零す「せめて一人は残して欲しかった」という台詞があったことや、軍に入隊した長男が既に死亡しているのに、次男の入隊志願をハンクが止めてくれなかったと妻から咎められていた場面が効いてくるようになっていた。

 映画の原題が『エラ谷にて』となっているのは、そういうことを作り手が意識していればこそのものだと思うが、さすれば、エラ谷で羊飼いの少年ダビデが戦った怪物巨人のゴリアテに作り手は何をイメージしていたのだろう。その回答が、映画の序盤で急ぎの旅路についたばかりのハンクが敢えて車を停め、国旗を逆さにすると国家の危険信号を意味するようになるからと掲揚の仕方を正していた場面と呼応するラストシーンにあったような気がする。

 ハンクが失踪した息子の捜索に出た翌日に届いたマイクからの小包に入っていたものが偽りで、トップレス・バーにて聞くに堪えない野卑な言葉を酔って放言していたのが本性だなどという浅薄な人間観に支配されていない作り手の見識が窺えるところに品格があったように思う。どちらも本性であって両面なのだ。だからこそ、ダークサイドに陥らせない配慮が人に対しては必要なのだという気がする。少なくとも、積極的にそういった境遇に追いやることをしてはいけない。いかなる美辞麗句で飾り立てようが、そこに正義などあろうはずがない。ましてやその魂胆が利権だったりするのだから、“危険信号”を掲揚されるのも当然のことだと思う。兵士や軍を告発し、責め立てるような作品ではないところに最も強い感銘を僕が受けたのは、何かと言えば、犯人探しに奔走し、誰かを責め立てバッシングしないではいられない昨今の日本のメディアと最も懸け離れたポジションから、きちんとした眼差しで人間を見つめていることが伝わってくる作品だったからだろう。




参照テクスト:mixi談義編集採録


推薦テクスト:「映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20080703
推薦テクスト:「超兄貴ざんすさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=882545712&owner_id=3722815
推薦テクスト:「Banana Fish's Room」より
http://blog.goo.ne.jp/franny0330/e/ef73a6e119f9ef10461c2eccdff297ab
by ヤマ

'08. 7. 3. TOHOシネマズ2



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