『炎628』(Come And See)
監督 エレム・クリモフ


 この作品に描かれる、民族が民族を、人間が人間を、これほどに痛めつけ、傷を負わせた現実を眼の当りにすると、それらを水に流し、総ての民族が人と人としての信頼によって繋る世界平和というものが、実現できる可能性など凡そほとんどないのではないかという気がしてくる。あの戦争から、まだ四十年余りしか経っていないのだ。戦争の記憶は、次第に遠くなっても、それによって抱いた民族間の憎悪や不信感が氷解するとは、とても思えない。そんな生易しい出来事ではなかったのである。しかも、今尚、戦争は、地球上の至る所で行なわれている。

 よく戦争の悲惨さとか戦争の残酷さということが言われるが、それは「戦争の」ではなく、人間の残酷さであり、人間存在のどうしようもなさに外ならない。映画の終盤でパルチザンに捕えられたドイツ将校が、これ以上に醜悪な言葉はないという形で、「悪いのは戦争だ…」と口走る。その言葉の白々しさと嘘に怒りを覚える者に、もはや戦争は悪であるという言葉は許されない。「戦争」などという言葉に責任転嫁のしようもない、どうしようもない悪が人間なのだと認めざるを得ないのである。それが一部の、あるいは特定の人間のものだと言えないことは、過去のいかなる戦争においても行なわれた残虐行為の歴史が証明している。それは戦争のもたらした狂気などという欺瞞に満ちた言葉でもってすり替えてはならない。戦争のもたらしたものなどではなく、人間が元々持っているものであり、狂気という言葉で異化しきれるほどに万人に無縁のことではないのである。潜在しているものを戦争が顕在化させているだけなのである。しかも、この顕在は、平和だと称される今の日本においても日常的に不断に見られることであり、敢て言うならば、戦争という圧倒的な状況のなかだったから、圧倒的な形で顕在化されたというに過ぎないことなのである。しかし、昨今の平和運動と称される活動のなかでは、戦争の悲劇は、国家や権力者の企みによって起こるもので、兵士や庶民は、飽くまでその犠牲者であるという考え方が支配的な傾向にある。戦争それ自体には、確かにそう言える部分が大半を占めている。だが、問題の根源は、戦争がどうとかいう以上に、人間そのもののほうなのである。残虐行為に直接手を下しているのは、国家でも権力者でもないのである。そのことへの強い自覚を失った平和運動には、どこか思い上がりにも似たようなものすら感じられることがある。それにしても、戦争という言葉への責任転嫁の余地をこれほどに徹底して剥ぎ取り、個人を通り越しての人間というものの救い難さと醜悪さをここまで容赦なく強烈に描いた戦争映画がかつてあったであろうか。画面に映るシーンとしては、スプラッターやホラー映画の溢れている今、どぎついと感じるような描写は、微塵も見られない。むしろ映像は、明らかに美しいと言い得るほどである。しかし、その美しい映像が、観ていて胸が悪くなる感覚を実際にもたらすのである。真に残酷な描写をするのに、仰々しい血糊や絶叫、あるいは精巧な特撮技術など全く必要がないことをこれほど見事に教えてくれる作品を外に知らない。

 ところで、数ある映画のラスト・シーンのなかでも際立って印象に残るのが、この作品のラストである。それまで一度も銃を撃つシーンのなかった主人公の少年フリョーラが肩のライフルを外し、泥水のなかに落ちているヒットラーの肖像に向けて銃弾を発射すると、ナチスの記録フィルムのラッシュが逆回転で流れ出す。そこにヒットラーの姿が現われるたびに轟くフリョーラの発する銃声。その都度、時間は、逆進していく。心優しく、どちらかといえば、ひ弱な感じのした少年が、顔に老人のような皺を刻むほどに追い詰められ、空ろに冷えた眼指しで銃を向けている。総統就任前、伍長時代、青年時代、更に少年時代のヒットラー。次々に撃ったフリョーラは、ここでも撃つのを止めない。この銃声のリズムのなかで、観客も一緒になって、フリョーラとともに心のなかで引き金を引いていく。そして現われる赤ん坊のヒットラーの肖像。銃を向けたフリョーラの手は、震えながらも引き金を引こうとするのだが、撃てずに終る。いかに残虐な人間でも赤ん坊の時からのものではないというこの場面を観て、真の平和を実現する可能性を人間に期待する希望の発露と見るか、あるいは赤ん坊にまで遡らなければ、人間の底知れぬ恐ろしさに救いがないのなら、ずっと赤ん坊のままでいることが決してできない人間という存在には、もはや救いはないと見るのか、一人一人によって、その後味は異なろう。私のなかに残った極度の脱力感と疲労感は、私に後者のほうに傾けさせる気配を持つほどのものであった。しかし、平和を築く礎に貢献し得る真の力というものは、この脱力感と疲労感をもたらすほどの現実認識を有し、そのうえで、それにも負けずに沸き起るような願いと意志による力だけなのであろう。そういう意味で、この映画は試金石になる作品であるとも言える。




推薦テクスト:「olddog's footsteps」より
http://dogfood.cocolog-nifty.com/latest_footstep/2011/07/628-5bb3.html
by ヤマ

'88. 8.15. 高知新聞会館



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>