『インランド・エンパイア』(Inland Empire)
監督 デヴィッド・リンチ


 なにせタイトルからして「内陸の帝国」なのだから、リンチが心の内で恣にイメージし君臨している“ヴィジョンの迷宮”体験ツァーをしてきたような気分になる作品だった。だが、いかにも長くて、少々冗漫な気がした。前作マルホランド・ドライブほどのキレが映像になく、ドライブ感に欠ける緩慢さだったので、途中でいささか倦んで来たのだ。
 町の有力者と結婚して豪邸に住み、しばらくスクリーンから遠離っていた映画女優ニッキー(ローラ・ダーン)が久しぶりに主役を掴んで共演男優デヴォン(ジャスティン・セロー)と読み合わせをしていたセットに潜んでいたのが、実はニッキーの分身であったり、ニッキーがあちらこちらのドアの扉を開いて立ち入るのがパラレル・ワールドの様相を呈していたりした内は、リアルの時空とパラレル・ワールドの時空、キングスリー監督(ジェレミー・アイアンズ)が撮影中の幻の映画のリメイク作品である映画のなかの時空、そして、ニッキーの妄想ないしは幻覚の時空という四つの時空の混在を前提に、ジャスティン・セローがデヴォンと呼ばれるかビリーと呼ばれるかを頼りにしつつ追っていたのだが、そのうちロシア語のような言葉が飛び交いサーカスなんぞが現れ始め、時制の飛躍が激しくなり、標にしていたジャスティン・セローの姿も乏しくなった。すっかりお手上げになり、リンチの繰り出すがままのヴィジョンに身を委ねるしかなくなって途方に暮れた。それこそ正にリンチの企図したことなのかもしれないが、何だか韜晦に韜晦を重ねて、徒に観る側を惑乱しているだけのようにも感じられ、袋小路に迷い込んでいるのは、観ている自分以上に、映画監督としてのデヴィッド・リンチなんじゃないのかと思いつつ、観ていた。
 そんななかで、僕が受け止めたのは、映画女優への夢に破れつつも平凡な主婦として生きるなかで抑圧した自身の心の迷宮に幽閉され病んでしまいロストガールとなった女性が、妖しく恐ろしい異様な心の旅路の果てに自分の居場所を見つけ出し救い出してくれたニッキーのお陰で現実復帰を果たすという物語だった。涙を流しつつモニター画面を見つめていたロストガールがニッキーと邂逅したことで囚われの部屋を抜け出して夫と息子の元に還った部屋というのが、ちょうどニッキーの冒険の旅路のなかに出てきた部屋だったことや、この作品の導入部で豪邸に住むニッキーを訪ねてきた老婦人のしていた奇妙な話に分身のことが出てきていたことから、ニッキーは、ロストガール自身の分身だったのだろうと感じた。分身たるニッキーの職が映画女優であり、熱望しているのがスクリーンへの復帰である以上、ロストガールの夢もまた映画女優であったに違いない。
 そこで終われば、僕の受け止めた物語もそれ止まりだったのだが、ロストガールとニッキーの邂逅のあとで、老婦人が訪れた豪邸の部屋でニッキーがソファーに掛けている場面が再び現れた。その映像が付け加えられるだけで、たちまち僕の受け止める物語が変化してくる。ロストガールが迷いから抜け出て現実復帰した以上は、消えて然るべき分身たるニッキーが再び登場したとなると、彼女は、かのロストガールの分身に留まらなくなるわけで、さすれば、ロストガールの物語というのは、ニッキーを訪ねてきた老婦人の体験で、彼女は自分を心の病から救い出してくれた女性と瓜二つのニッキーを隣人として見掛けて訪ねてきたのであり、かの老婦人はロシア移民だったんだろうと思った。映画鑑賞後にチラシを見ると、ロシアではなくポーランドだったようだが、いずれにしても旧共産圏からの移民に変わりなく、僕にとってはその違いは大きなものではない。だが、ニッキーがかつてロストガールだった老婦人の分身ではなかったとすれば、ロストガールの夢というのは必ずしも映画女優ではなく、華やかなスポットライトを浴びるという点では同じであるにしても、むしろサーカスのスターだったのかもしれない。
 ところが、さらにその後にホテルのロビーようなところに居る娼婦とおぼしき女たちが現れ、表の通りにも立ち並び、ロビーのソファーにはまたまたニッキーが掛けている場面が現れるのが今回の『インランド・エンパイア』だったりする。しかも、そのうちミュージカルアクターの一群やらが大挙してロビーに現れ、踊り歌い始めるという、少し現実感とは馴染みにくい場面でのエンディングとなった。されば、結局まだ現実には戻ってないということなのかもしれない。
 中盤で感じた何だか韜晦に韜晦を重ねて徒に観る側を惑乱しているだけのようにも感じられ、袋小路に迷い込んでいるのは、観ている自分以上に、映画監督としてのデヴィッド・リンチなんじゃないのかとの思いを収束に向かわせながら、再度ひっくり返してきたわけで、結局、ロストガールはデヴィッド・リンチなのだという気になった。今回の作品の冒頭に出てきた、人物の顔に実に俗っぽい暈かしを掛けた密会と思しき情事の場面の思わせぶりには少々閉口している。あの女性のイメージをロストガールに被せるか、ニッキーに被せるかで、僕の受け止める物語のニュアンスがかなり異なってくるからだが、自分のなかでは未だに判然としてこない。全く以て手に負えない困った奴だ、デヴィッド・リンチは。ロストガールを分身ニッキー(もしくは彼女と瓜二つの女性)が救い出したように、誰かリンチを救ってやる必要があるのかもしれない。この作品で彼がそういうシグナルを発しているのだとすれば、彼を救ってやると、ロストガールがそうだったように涙を流して喜ぶんじゃないだろうか。次はどこまで行ってしまうのだろう。47号室の扉を開けて入った後に出てきた時の扉は205号室だったが、次作は180分では収まらずに205分になるのかもしれない。観過ごしてしまうことのできない作り手だけに、それだけは勘弁願いたいものだ。
 それにしても、『不思議の国のアリス』の昔から、ロストガールの話となると何故かウサギになってしまうところには、インランド・エンパイアに君臨するリンチさえもがその呪縛から逃れられないルイス・キャロルの偉大さというものを改めて感じる。
by ヤマ

'08. 6.29. あたご劇場



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