『告発のとき』をめぐって
映画通信」:(ケイケイさん)
(TAOさん)
(シューテツさん)
ヤマ(管理人)


  2008年07月07日 23:09

ヤマ(管理人)
 TAOさん、「予告編を見るたびに、どんどん見る気が失せています」とのことでしたが、御覧になったんですね〜。
 Mixiにお書きもうひとつは、地元の女刑事やトップレスバーで働く中年女といった、男社会の中ですれかっらしになっていそうな女たちが、母性や女性性を品よく感じさせてくれるからに共感至極。「トップレスの女に“マダム”は失礼よ」って言ってた彼女の、昼の明かりのなかでの手の皺の深さに打たれてました。
 ハンクが怪しいと踏んでた兵士に謝りに行くとこも良かったですね。ポール・ハギスは、クラッシュでもそうでしたが、人種問題とかマイノリティとかについての感度の高さの窺える作り手だとのイメージがあります。

(ケイケイさん)
 TAOさん、ヤマさん
 私はエビィが上品な中年婦人だったからこそ、裸の仕事は大ショックでした。あれくらいの人なら、日本じゃ保険のおばさんとか、まだ色々仕事がありますよ。空港に送ってもらった妻が、夫に一瞥もしないのも強烈でした。日本よりアメリカ女性の方が、よっぽど抑圧されているように感じました。
 ハンクが良き夫・父であるのは疑うべくもありませんが、家族は相当息苦しさを感じていたと思います。だからこそ、真実が明るみに出た後の彼の様子に、心打たれました。

(TAOさん)
 ヤマさん+ケイケイさん
 みなさんの感想のおかげで、見逃さずに済みました!(感謝)
 エビィはきっと若い頃に恋人が戦死したのではないかと想像します。ストリッパーで稼ぎながら待っているうちに歳をとって、それでも基地のある町を離れられず、夜の仕事を続けているのではと。他の町に行けば、他の仕事もあったのでしょうけれど。

(ケイケイさん)
 TAOさんの解釈だと、救われた気になりますねー。岩壁の母ならぬ、軍基地の彼女ですね(笑)。

(TAOさん)
 そうそう、若い兵士を慈母のように恋人のように見守ることが彼女の生きがいなんですよ。

(ケイケイさん)
 この解釈、母性的で好きです。

(TAOさん)
 ケイケイさんのハンクが良き夫・父であるのは疑うべくもありませんが、家族は相当息苦しさを感じていたと思います。に同感です。とくに妻はたいへんな忍従を強いられていたと思います! 私なら我慢できないわ〜。

(ケイケイさん)
 この作品を観たマイミクの既婚者の皆さん、口を揃えて同意見です(笑)。うちは夫がだらしなくて、とっても幸せです(笑)。

(TAOさん)
 うちも〜〜!!(笑) 最近、映画を見るたびに夫の株が上がり、シアワセを噛みしめることが多いわ(笑)。

ヤマ(管理人)
 エヴィについてのTAOさんの想像、僕もとても気に入りました。そのエヴィを演じた女優さん、僕よりも6歳年上なんですって。で、クリント・イーストウッドとの間に娘さんをもうけてるみたいですよ。

(TAOさん)
 フランシス・フィッシャーって、いかにもイーストウッド好みですよねえ。

(ケイケイさん)
 皆さん、おはようございます。
 ハンクが家族思いの立派な人で紳士あることは間違いないですよね。それは誰よりも妻が一番わかっていたと思います。だからトップレスのエヴィにも、「マダム」と話しかけたわけで。エミリーに対しても、シングルマザーだとか、女性刑事だとかは、彼は問題視していませんでしたし。
 問題にしていたのは、刑事としての力量だったと思います。
 ハンクは今までの正義感溢れた、伝統的な強いアメリカを表していたんだと思います。アメリカ人たちは今、その陰に隠れていたものに、気づき始めているんじゃないでしょうか?
 ハンクを助ける人、支える人が全て女性なところに、監督の明確な意図があるように思えるのですが。

(TAOさん)
 ヤマさんご指摘のハンクが怪しいと踏んでた兵士に謝りに行くとこも良かったにもハンクのフェアなジェントルマン精神が表れてました。ハンクの盲目的な愛国心と無意識の人種差別はセットなんでしょうね。だから、愛国心が揺らいだときに、偏見にも気づいていく。そこにも監督の明確な意図が見えます。
 ハンクに協力する人やきちんと本音を語る相手が女性とマイノリティだったのは、ハンクがすでに役職を離れ、組織に属さないアウトサイダーになっていたからでもありますね。この映画を見ると、“ノーカントリー・フォー・オールドメン”がポジティブな反語に思えてきます。軍隊も、国も、ゆくゆくは解体する方向に向かうべきなのではと思います。

ヤマ(管理人)
 シューテツさんのMixi日記、拝見しましたが、なるほどね〜、ポール・ハギスとイ・チャンドンですか。ご指摘しておいでの何が似ているって、どちらも、この社会や人間の暗部を徹底的に描きながらも、尚且つ人間を見捨てないという類似性点には、“成程感”大ありなんですが、僕は思ったこともありませんでした。確かに二人とも人間のキツいとこを衝いてきながら、眼差しが大きく温かいですね。差別とか蔑視ということについて敏感なとこも通じてる気がしますね。

(シューテツさん)
 そうそう、彼ら(作り手)のこれまでの人生が薄っすらと覗けますよね。この辺りには凄く敏感に反応してますもんね(だから、シンパなんだけど)。

ヤマ(管理人)
 トミー・リー・ジョーンズが演じる、徹底した職業人間(プロフェショナル人間)の意識が息子への愛情によって、ようやく真実に対して目が向けられるようになったのは幸いだと思える。現実ならこの手に人間の大半は、真実から目を背け解からないまま(解かろうとしないまま)、一点集中型(優秀な社会の歯車だけの役割として)の頭の固い頑固親父として人生を終えるんだけどね。とお書きの部分にも目が留まりました。僕は、自分が息子を持つ父親の身だからか、ハンクが息子への愛情によって、ようやく真実に対して目が向けられるようになったのは幸いだと思えるってほどに客観視はできなくて、自分のダークサイドや肉親のダークサイドは、知られたくないし、知りたくなくて、真実なんぞにそこまで価値があるとも思えないクチなんですが、ハンクが息子の暗部に触れて、ただ打ちのめされるのではなく、自分を保ち、持ちこたえている姿にはとても感銘を受けましたよ。
 うん、大した作品でした。

(シューテツさん)
 自分のダークサイドや肉親のダークサイドは、知られたくないし、知りたくなくて 真実なんぞにそこまで価値があるとも思えないというのは、誰だってそうだと思いますよ。仰るとおり真実なんぞというのも、それほど大したものでもないと思いますね。
 でも、まあ、“真実”の価値の有り無しという問題ではなく、その真実から目を反らしたまま生きるってことが、臭いものに蓋をしたまま生きるって事に通じるってのが、作り手のスタンスのような気はしますけどね。
 何からかは解からないのですが、向かい合わないというのは“逃げ”という事になるような気がします。まあ、私も色々な事から逃げまくりの人生ではあるんで、だから、観客にとっても凄く厳しい作品であるんですよねぇ(爆)。
 大した映画です。

ヤマ(管理人)
 お話してて、十年前に綴った秘密と嘘の拙日誌のことを思い出しました。
 向き合うことからの“逃げ”と“逃れ”は違うと思ってますが、逃れられれば幸いでも、逃げるのは、ちとツラいですよね。
 ハンクは、逃げずに立ち向かっていったわけですが、妻ジョアンには、息子の戦地での渾名の由来なんぞ教えないでしょうね。愛国主義者で、軍人としての誇りと規律が“己が人となり”の多くの部分を占めていることが今なお隅々に窺える退役将校のハンクなれば、その真実は、向かい合わなければいけないことのように思えますが、息子を軍隊にはやりたくなくて、その死の知らせに「せめて一人は残して欲しかった」と零しながら泣き崩れるジョアンには、向かい合うことに意義のある真実ではない気がします。
 ある愛の風景のミカエルが妻サラに苦衷を明かすことの偲ばれたラストに、僕は感銘を受けましたが、ハンクがその苦衷をジョアンに明かすのは、僕はやはり違うだろうなと思います。一人黙して決然と遺品の国旗を逆さに掲揚する姿のほうが、感銘深いですよね〜。

(シューテツさん)
 久しぶりにヤマさんの『秘密と嘘』の感想を読み返しましたが面白かった。f^_^;;
 “人生の真実に立ち向かう蛮勇”かぁ〜、なるほどなぁ〜。確かに蛮勇かも知れませんよねぇ〜。それを冒したことにより、持ち堪えられずに破滅する確立の方が圧倒的に多いと私も思いますからねぇ。これは稀有な人間力を持ち合わせた人間を主人公にしているからこそ、持ち堪えられただけの話ですもんねぇ。大概の人間は壊れてしまう。だから、その絶望に持ち堪える為に『フランドル』には宗教的、『ある愛の風景』には(ハーレクイン的)理想的(妄想的)愛情を手助けに持って来ているように思えます。
 この映画では、あくまでもフィクションとしての主人公の人間力のみでしたが、この男の元々の基盤である“愛国主義者で、軍人としての誇りと規律”が反作用として、この絶望に対して有効に持ち堪える耐力となったのかも知れませんよね。
 多少チクチクと痛みを感じながらも、日常の平安をとりたがるのが普通の人間のような気はします。だからこそ、社会や人間にとって厳しい映画だと思います。
 大体、感銘とか感動というものの正体は、己に出来ない部分に触れたときに起こる現象ですものね。
by ヤマ(編集採録)



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