『キングダム〜見えざる敵〜』(The Kingdom)
監督 ピーター・バーグ


 オープニングで王国サウジアラビアの近代史が手際よく紹介されているのを観て、ただのヒーローものの娯楽作品ではなかろうとは思っていた。しかし、最後に明かされる囁きの言葉と少女のアップがなければ、この作品もよくある横紙破りのヒーロー&異能チームの活躍ものの娯楽作の一つでしかなかったような気がする。だが、観て楽しんでお仕舞いということにさせない、観客に宿題を残すようなエンディングがあったから、原題にはない副題の効いてくる、志の感じられる映画になっていた。
 サウジアラビアの首都リヤドにある石油開発のための外国人居住区で仕掛けられた自爆テロによって仲間のFBI捜査官を殺されたロナルド・フルーリー(ジェイミー・フォックス)が死亡した捜査官の恋人であるFBI法医学調査官ジャネット・メイズ(ジェニファー・ガーナー)に囁き誓った言葉は、テロ攻撃の首謀者アブ・ハムザがいまわの際に孫娘に囁いた言葉と同じで、仲間を殺されたフルーリーがアブ・ハムザを討ったように、孫娘がまさに復讐を誓ったような鋭い眼光を放っている横顔が印象深く捉えられていたわけだが、映画の途中で仄めかされていたように、彼らが命を懸けた攻防に鎬を削っている石油利権で潤っているのは、サウジでは王家一族であり、アメリカでは石油メジャーという、殺し合いの場には決して登場を強いられることのない富裕層だということだ。さればこそ、邦題の副題である“見えざる敵”というのは、実は、彼らに「皆殺しにしてやる」という憎悪を抱かせ、復讐の連鎖を促す状況へと追い遣っている両国の富裕層ではないのかということを暗示していたように思えてくるわけで、もしもこの副題が僕の受け止めたような主旨で付けられていたとするならば、邦題作者にも敬意を払いたいと思う。
 そのように観れば、キングダムというのもサウジ一国を指すに留まらず、王制を敷いていなくても“世界は富者の王国”といったニュアンスを帯びてくる。手元にあるチラシには、「<9.11>−あの日以降、今も続く見えない敵との終わらない戦い」との惹句が印刷されているので、単純に“見えざる敵”というのは、アルカイダを仄めかしているように見えるけれども、副題であれ、タイトルにまで持ってきているところには、それなりの想いが込められているような気がしたわけだ。それは即ち映画自体に、そのような志というものが確かに宿っていると感じられる作りが施されていたということだ。
 わずか五日間の捜査できっちり片を付けてくる手際よさと幸運に恵まれる展開は、米製娯楽映画の常道であって、ある種の約束事でもあるのだが、古くはインディアンやドイツ・日本、戦後はソ連、ソヴィエト崩壊後は、アフガンやアラブテロリスト或いは南米麻薬密売組織を敵役にするのが、ハリウッドの戦闘アクションもののパターンなのだが、この作品は、アラブテロリストを単純に敵役悪役とはしない捉え方をしていたように思う。アメリカ人の一般観客のなかで、普段アラブを目の敵のように思っている人が娯楽映画として観に来たときに、なかには思い掛けない作用を及ぼすことがあるのかもしれないとさえ思える作品だったところが立派だ。例えば、マイケル・ムーア作品のようなものだとアラブを目の敵のように思っている人には端から目を向けさせないところがあるように思うのだが、この作品は、むしろそのような人のほうに脚を運ばせたうえで、もしかしたら何かを残しうるかもしれないという可能性を秘めているわけだから、ある意味、ムーア作品以上の過激さを備えているとさえ言えるのかもしれない。僕が大いに志を感じた一番の理由はそこのところにある。
by ヤマ

'07.10.16. TOHOシネマズ6



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