『バベル』(Babel)
監督 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ


 アレックスのときは、相当カメラが揺れると知人から聞いて、いつもの席から10列以上も後ろに下がって観て事なきを得たが、TVで報じられた体調崩しの原因が画面の明滅にあるとのニュースを真に受けて、普段より1列後ろに座っただけだったために明滅よりも手持ちカメラの具合が僕には厳しくて『ダンサー・イン・ザ・ダーク』ほどではなかったものの、かなり気分が悪くなってしまった。
 メキシコ人の乳母アメリア(アドリアナ・バラッザ)が語っていた「私は悪い人間じゃない、ただ愚かだったの。」との言葉どおり、世界には愚かさが満ちていることにつくづく思いを馳せさせられる作品であったことも、僕の気分に対しては悪く作用していたのかもしれない。確かに彼女を始め、登場人物として現れた人々は、バスの観光客や大使館の連中も含め、格別に悪い人間など誰一人いなかったように思う。それでも悲劇は起こるわけだ。やはり悪い人間というのが確実にいて、それは、武器を作って売る連中なんだろうと改めて思わざるを得ない。全ての悲劇がここに端を発しているという物語だったように思う。
 安易に手に入れたライフル銃による自殺で妻を失い、旅先でモロッコ人に譲った日本人ヤスジロー(役所広司)は、悪と言うよりも愚か。買い取ったライフル銃を子供に持たせたモロッコ人も愚か。子供を乳母に託し、モロッコ旅行なんぞに出掛けているアメリカ人夫婦(ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット)も愚か。アメリアに息子の結婚式に行ってもいいよう計らうと言っておきながら、反故にしたことも愚か。アメリアが連れてきた子供たちを後部席に乗せたまま、入国に際して国境警備員を挑発した挙げ句、強行突破をしてしまうアメリアの甥サンチャゴ(ガエル・ガルシア・ベルナル)も愚か。父親ヤスジローに嫌疑が掛かったと思い込み、訪れた刑事(二階堂智)に自分の身体を提供することで買収しようとするかの如く全裸になる娘チエコ(菊池凛子)も愚か。そういう諸々から言えば、その愚かさの程度において、そのなかでは最も重くはなかったはずのアメリアが唯一人、自らの愚かさを語っていたのがミソと言えば、ミソなのかもしれない。かほどに世界には愚かさが満ち満ちており、悲劇が満ちているわけだ。
 しかし、それは言わば既に判りきった“世界の現実”であり、そのことをある意味、小賢しいとさえ思われる技巧を凝らして連関させ、強引に結びつけた図式を提示してみても、そこから先のビジョンを提示できなければ、むしろ凝らした技巧と図式性が仇になる形で空しく返ってきて、だからどうしたといった感想を誘発しかねないところがあるような気がする。21グラムを観たときにも感じたことだが、イニャリトゥとギジェルモ・アリアガの監督・脚本コンビには、図式的な構成を提示して、後は思わせぶりに観客に丸投げするという悪癖があるような気がする。こういう図式的構成というのは、決まると暗示性や象徴性に富んだ風格を作品にもたらしてくれるけれども、上滑りになると安っぽさの極みにもなったりするので、諸刃の剣とも言うべきこわいところがあるのだが、総じてこの二人のコンビ作品では、風格には繋がらず、小賢しさに終わっているように感じる。
 ただ、同時代の地球において、ほんとに世界の異なる生活が並立していることを類なき率直さで描いていたところは、なかなか見事だったと思う。これだけ違っているものをどのようにしてうまく繋ぎ得るのかといささか悲観的な気分に見舞われた。事は“言葉”だけではないわけで、ほとんど“神の悪意”と言うほかないほどに、仮に言葉が一つになったところで通じ合わせようがないと思えるほどの違いに地球は覆われていて、その差異たるや、創世記のバベルの時代以上なのではないかと思えてくる。かの時代以来、世界は共通言語を取り戻す方向よりも、格差と紛争を押し広げる方向にしか歴史を重ねていないことを思い知らされるようなところがあって、なんだか遣りきれない思いをしているところに、ささやかな幸運を救済として軽々しく添えて終えるセンスには、『21グラム』でのクリスティーナの妊娠にも通じるところがあって、少々気に障った。
 印象深かったのは、外国人たる作り手の目に映っていると思われる日本の性風俗というものへの現状認識だった。聾唖者ということで情報バイパスに隘路があるなかでのサブカルチャー的なものゆえに極端な形で現れているとの可能性が留保された格好にはなっているけれども、女子高生に、自分の身体を提供すれば犯罪嫌疑に掛かる刑事の買収さえもできると思い込ませている世の中の姿というのは、愚かと言うよりも社会的病理と言うほかないわけだが、外国作品で指摘されると少々応えてくる。菊池凛子は、確かに熱演だったけれども、アメリカでアカデミー賞ほかの映画賞で助演女優賞にノミネートされたり受賞したりしていることに対する日本側での反応として、脳天気に喜んでいるだけではいられない恥ずかしさを禁じ得なかった。また、アメリカ映画では相手を侮蔑する言葉として「お前の母親を姦ってやる!」という慣用句的な悪口がよく出てくるが、その意を以て「あんたの親父と姦ってやる!」という台詞を設けたと思われる部分を直訳してしまっては、日本語的にはミスリードをしかねないようにも思った。あんなことは、いくら日本の女子高生でも相手への侮蔑言葉として使ったりはしてないはずだ。思わず、なんじゃそりゃ?と呆れてしまった。

推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0705_2.html#b
推薦テクスト:「映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20070502
by ヤマ

'07. 5. 8. TOHOシネマズ3



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