『にがい涙の大地から』
監督 海南友子


 六十年前に日本軍が中国に残してきた遺棄毒ガス・砲弾による被害者が日本政府に損害賠償請求をしている裁判が、'03年9月の地裁判決で原告勝訴となった後、現在、控訴審が審議中らしいのだが、その原告である黒竜江省の三家族(遺棄兵器で父親を失った劉敏、毒ガスに侵された李臣、咳の発作が止まらない李国強)を捉えたドキュメンタリー映画だ。この映画のなかにも登場した、一審後の控訴をしないよう当時の川口外相に取り縋って訴えようとする彼らの姿のニュース映像には見覚えがあって、逃げるように顔を背けていた外相の様子から控訴が決まっていることが透けて見えるように感じたことを覚えているが、その後は何も報じられないと思っていたら、案の定、審議に時間を掛けていて判決が出ていないのだった。白バラの祈りのゾフィー・ショルの場合のように逮捕から五日目にして死刑判決即日執行などという暴挙が論外であるのと同様に、徒に時間を掛けるのもまた暴挙であるように感じてならない。

 それはそれとして、この作品が被害者の窮状を映し出し訴える作品なればこそ、どうして中国政府が彼らにあれほど冷淡なのかが、映画のなかでもきちんと分かるようにしておかなければいけないんじゃないかと思った。上映後の海南監督との対話として、主催者である“アジアの人々が連帯する集い実行委員会”のメンバーとおぼしき高知大学の学生や高知の小学校教員、中国や韓国からの留学生らが壇上にあがったのだが、中国人留学生の話によると、そこそこ裕福な家でも難儀な病気や怪我を被れば、医療費で家が破産状態になったり、数年分の年収に匹敵する借金ができたりするのが中国の現況らしい。しかし、そういう共産主義国っていったい何なのだろう? しかも政府職員やら前途を嘱望される学生などには八割の国庫補助があって本人負担は二割で済むのだそうだ。とんでもない話だ。医療保険制度がなくて、金がないと医者にも係れないという点では、ジョンQ 最後の決断にも描かれていたアメリカ並みのお粗末さで、日本よりもずっと過酷な状況にある中国の実態に驚いた。

 かの国は既に共産主義国ではなくなっているとはかねてより思っていたが、日本よりも露骨に激しい格差社会であることに唖然としつつ、改めて十四年前に“今 私が思うこと「ソ連邦崩壊」”と題する文集に拙稿を求められて寄稿したときに、現実的に最も社会主義をよく実現しているのは日本ではないのかという趣旨のことを書いたのを思い出した。当時の日本叩きに萎縮してか、アメリカに旗を見せろと言われて尻尾を振るポチになりさがり、ますますアメリカべったりになってしまった日本では、今や当時のような“集団統治”も“計画経済”も粉砕されるに至っている。そして、貧民層の窮状に付け込むようにして軍隊に志願させては富裕層の利権のために戦地に送り込むような“アメリカ流の愛国称揚”がまかり通り始めている。国家によって国民を統制するのではなく、憲法と普通選挙によって国家をきちんと統制しなければ、日本であれ、アメリカであれ、中国であれ、「本質的に政府というものは、一般国民に対して自ずと冷淡に向かうものである」ということにおいて、イデオロギーによる差など全くないことをつくづく思い知らされたように思う。

 この遺棄毒ガス・砲弾の問題が中国でのことに留まらないことは、2003年に茨城県で旧日本軍の毒ガス弾によると思しき被害が発生して大騒ぎになったために環境省が全国調査を行ったことでも明らかだ。今のところ高知県は無印のようだが、実際に事案なしなのか、埋もれているだけなのかは、保証の限りではないようだ。三年前の調査後、今も引き続き環境省に毒ガス情報センターを設置して継続的な情報の受付や分析、広報などを実施しているらしいが、もはやメディアも取り上げないし、国を挙げて取り組んでいるふうではない。原発の核廃棄物やこの遺棄毒ガス・砲弾の問題、あるいは米中型の格差強烈社会への構造改革のほうが、虚仮威しの北朝鮮ミサイル発射などよりも遙かに生々しい現実的な“脅威”だと思われるのに、マスコミは相変わらず、政府の焦点逸らしに加担する形での報道姿勢しか取れないでいる。保険年金制度に関しても、その不祥事を扇情的に流すばかりで制度自体の重要性を啓発しないから、保険年金制度自体を否定する機運を醸成しつつさえあるわけだ。それに伴い、雇用の自由化による健康保険厚生年金の空洞化の促進や国保国年の未納に歯止めが掛からなくなっているような気がする。そこにマスコミの加担責任がないとは僕には思えないし、むしろA級戦犯は彼らではないかという気さえしている。かような状況だから、海南監督はNHKを辞めてフリーになったということなのだろう。マスコミでは、ジャーナリストとしての本来の報道が果たせなくなっていることの証左であるように思う。
by ヤマ

'06. 7.16. 人権啓発センター



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