『村の写真集』
監督 三原光尋


 十年近く前に、自治体製作の映画による特集上映企画のなかで『真夏のビタミン』を観たときから、そのヒューマニスティックな眼差しの温かさと映画の構えの柔らかさというか敷居の低さのなかに全くの嫌味が感じられない気持ちのよさが気に入っている三原監督の作品が、初めて高知の映画館で上映された。かなり遠い日の記憶に、大阪のプラネット映画資料館(現在は「神戸映画資料館」)で映写機を回していた彼を安井喜雄さんから紹介された覚えがあるのだが、こうして地方都市の映画館でも掛かる作品を撮るようになったと思えば、感慨深いものがある。

 ダム湖に沈むことになった徳島山間部の花谷村の記念集として、村人全員の写真を撮ることになった父子の物語だが、山村の風景を格別の珍しさや懐かしさで眺めることはないくらいの頻度で接する地方都市に住んでいる僕には、少し微妙な想いの湧いてくるようなところがあった。二十五年前、当時人気のあった損保金融に限らず、画一的なリクルートスタイルで会社訪問をして一般企業に就職する気がそもそも起こらなくて、そういった類の就職活動をしなかった僕は、進学で移住した東京には就職先がなく、周囲の多くの者に訝しがられながらも、大学卒業後そのまま帰郷して現職に就いたのだが、当時からスローライフを志向しているようなところがあったのかもしれない。大学に入って間もない時分に新宿駅で、ホームに入って来る電車の音に反応して、階段を駆け上がり始めた神奈川生まれの友人に「五分もせんうちに次の電車が来るのに、なんで走るんや?」と声を掛けたところ、駆け上がるのを止めた彼からやけに感心されたことがあって、今だに印象深い。大学在学時分も、郷里で就職して後も、いくぶん批判的に「人並み以上の仕事を真面目にこなすけれど、どうも上昇志向に乏しくて勿体ない。」との苦言を頂戴することが多いままに過ごしてきた僕なのだが、それでも、高橋写真館の親父研作(藤 竜也)が村人を撮りに行くのに、日に三軒以上は撮れないと言って山間の集落を徒歩で訪ねて回ることには、息子孝(海東 建)が受け取っていた“格好を付けている”なり、付加価値というか勿体をつけている感じのほうを強く感じる。それはそれで別段、勿体をつけたっていいようなことだけれど、息子の孝が親父の写真には敵わないことに打ちのめされ、「村人の生活の場を歩いて訪ねるからこそ撮れる写真なのだ」という思いでシャッポを脱ぐのは、孝自身がそう受け取ることは別に構わないものの、その当否自体には妙に違和感があった。何だかもっともらしく設えた都会人の感覚のような気がしたのだ。山間を歩いて回る父子の姿には、中国映画山の郵便配達を想起させるようなところがあったが、かの作品は、歩いて回るしか術がないなかでの親子道中だったし、徒歩で回ること自体に意味づけはしていなかったわけで、そこには大きな違いがあるような気がする。

 それより好もしく印象づけられ、説得力を感じたのは、小さなコミュニティの持つ人間関係の距離の近さだとか、台詞としても最頻出で繰り返された「ありがとう、ありがとうございます」という言葉の流通量の豊富さが生み出しているはずのものだとかへの眼差しだった。誰だったか、外国人が自分の学んだ日本語のなかで最も美しい言葉は“ありがとう”だと思うと言っていたような覚えがあるが、“なかなかない特別さ”を意味する感謝の言葉である「ありがとう」を儀礼やマニュアルによって発語するのではなく、自然な感覚で発し、美しく口にできる人がとても少なくなってきているような気がする。しかし、田舎に暮らす人たちには、本当にそれを滋味豊かに使える方々がたくさんいる。作り手は、きっとそれをキャッチして、研作に写真を撮るたびに帽子を脱いでそう挨拶させるようにしたのではないかと思った。

 もうひとつ印象深く目に留まったのは、表現的には些か過剰な形の引っ掛かりを残してまでも強調されていた“ケータイ”への敵意だった。僕自身がケータイ嫌いで、家族全員が携帯するに至っても、自分だけは持たずに来ている。今春の異動で、職場から支給されて携帯させられるようになったが、オフには携行しないようにしている。そもそも電話については、固定電話の時分でも、訪ねて行って会って話をしている途中であっても無条件に闖入してくるところが、特権的で暴力的な存在だと思え、妙に気に入らなかったのだが、ケータイだと場所も問われないから、本当にTPO知らずの無礼な代物だと思われるのに、かようなものが今や“ジョーシキ”などと言われてしまうようになっている。そのことに日頃面白くないものを感じているものだから、この作品で、作り手の“ケータイ嫌い”が顕著に窺われた、山本ばあちゃん(桜むつ子)が南方戦線から戻らぬままの六十年が過ぎた息子を偲ぶ場面にほくそ笑んだものだった。人によっては、あざとさのみを感じたりするだろうとも思われる演出だっただけに、作り手の“ケータイ嫌い”の程が偲ばれる気がして、妙に嬉しかったりした。

 だが、最もしみじみとした余韻を残してくれた部分は、息子のみならず姉(原田知世)も含め、親子が和解を果たすとともに、息子が父親からの確かな何かの継承を果たして終えていく物語の清々しさだった。ふと自分に父親が継いでくれたものは何だったのだろうと振り返り、“映画”と“能書き垂れ”ということかなと苦笑するとともに、自分の息子たちは何を継いでくれるのだろうと、少々心許なく思ったりもした。

by ヤマ

'05.10.10. 東宝2



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