『ライフ・イズ・ミラクル』をめぐって | |
ミノさん ヤマ(管理人) |
|
◎掲示板 No.3171から(2006/01/31 11:19)
(ミノさん) こんにちわ。 今年は映画に関しては「駄作を見ない。結果として駄作を見てしまったとしてもそれはOK」というしょーもないモットを掲げておりまして、一本目に何を劇場で見るか? に神経を使っています。 なんだか新年のおみくじみたいでしょ?「今年初の劇場で見る映画」って(笑)。 ヤマ(管理人) ようこそ、ミノさん。 誰だって好きこのんで駄作を観たいわけではないでしょう(笑)。 (ミノさん) そうなんですよね〜。 ただ、見る前の評判とかで、結構なんとなく「ヤバそう」とかいうのはわかりません? ヤマ(管理人) うん、評判がどっち向いてるかの察しはつきますねー。 でも僕は、その評判の見解自体をあまり信用してないな〜(苦笑)。 (ミノさん) まあこうも情報時代になると、それ故にいい出会いを逃す機会も多いんですけどね。 ヤマ(管理人) でしょ。だから、あんまし信用してないんですよ(笑)。 (ミノさん) ただ、余りにもいい作品さえ見ることが出来ないで、一年が毎年毎年終わってしまうことを思うとね〜。物理的にやっぱ限られてるんだな〜としみじみ思ってしまいます。 ヤマ(管理人) 都会だと選択肢が多い分、はずす率も高くなるかも。 一本目に何を劇場で見るか?に神経を使っているとおっしゃってましたが、僕が今年最初に観た映画は『ロード・オブ・ウォー』になりました。昨年最後が『ライフ・イズ・ミラクル』でしたから、戦争の映画で暮れ、戦争の映画で明けたことになるわけですが、戦争の映画ではあっても戦争映画ではない二作でしたね〜(笑)。 (ミノさん) 私は今年劇場初は『ライフ・イズ・ミラクル』にする予定です。安全パイでしょう(笑)。少なくとも「凶」ではない! ヤマ(管理人) 高知のオフシアターベストテン選考会では、観た人全員の推挙を得ましたからねー。大阪のシューテツさんも激賞でしたし。 -------安牌としての『ライフ・イズ・ミラクル』は果たして------- (ミノさん) 今日、なんとなく「人生ままならない度」が高くなったため、それを吹き飛ばすという大義名分の元、地元の名画座で『ライフ・イズ・ミラクル』を見てきましたよ。 ヤマ(管理人) おぉ〜、ついに御覧になりましたか。 (ミノさん) 併映が『ヒットラー最後の12日間』だったのですが、時間の関係で見れず残念。 ヤマ(管理人) なかなかお得な二本立てですねー。でも、御覧になれなかったとは、残念でした。 (ミノさん) そうなんですよ〜。帰りがけ、劇場の入り口で館主さんに「あれ? ヒットラーは見ないんですか?」と微笑まれました(笑)。 でもって「ミラクル」ですが・・ うーむ。率直な感想ですが、これはヤマさんとか、シューテツさんとか、多くの映画を見て目の肥えている人にとっては非常に、美味しい作品、って感じしました。 ヤマ(管理人) そーですか、まぁ、万人向けではないのかもしれませんね。 っつーか、そもそも万人向けの映画ってあるのか?!(笑) (ミノさん) いわゆる、誰が見てもわかる映画っていう意味でいう万人向けという映画はあると思うんですけどね。 ヤマ(管理人) この「わかる」ってやつが、実はなかなかの曲者でして、一筋縄ではいかないことのように思うのですが…(あは)。ただし、筋が判りやすいってことに限定すれば、「誰が観てもわかる映画」という言い方も可能ではありますね。 (ミノさん) 私は正直、この映画一体いつ本筋に入るんですかあ??と、イライラしながら前半過ごしましたねえ。アート系の映画って、やはり自分みたいなアメリカ映画の文法に浸りきった人間には、ちょっと修行みたいなとこあるんですよね。 ヤマ(管理人) 修行って…(苦笑)。そうですか、イライラしましたか(笑)。 まぁ、多少、慣れの問題っていうのはあるかもしれませんね。でも、大事なポイントというか、面白い点を突いておいでますね。「いつ本筋に」ってとこなんですが、物凄く乱暴な言い方をすれば、映画には筋で観る映画とシーンやショットで観る映画があるように思います。それで言えば、クストリッツァはアクション映画と同様に、後者ですね〜(笑)。 (ミノさん) それ、途中で何となくそんな気がしてきましたわ。最初のあたりは「スラップスティックな映画やな〜」と思ってましたが。 ヤマ(管理人) 解る解らないが、さして重要なことのようには思いませんが、ミノさんがそのように感じておいでだったのなら、既にして“ちゃんと解って”おいでだったわけじゃありませんか!(笑) (ミノさん) でも「登場人物の紹介、そろそろ終わって欲しい」とか、思ってましたから(笑)。 で、終わってから思ったんですが、私ぐらいの単なる映画見にとっての「アート系の映画」って、 1、退屈しきっているわけではないが、前半は時々眠気に襲われる 2、何が言いたいか、は最後までよくわからない(なんとなく感じるけど、はっきりはわかりません)。 3、正直言うと、映画館では最後まで見通せるが、テレビのBS劇場とかで見てたら、途中でやめてしまうような気がする 4、でもなんとなくええ映画やな・・と思える 5、とはいえ、それを自分以外の人にはうまく説明出来ない といった感じの定義になろうかと(笑)。 ただ、“アート系”というのの中にも、いいもの、イマイチ色々あって、「ライフイズ」はもちろん「いい映画」でしたよ。ヤマさんやシューテツさんが絶賛される、ってのはすごいわかります。あと、中年男性は、より感情移入するかもしれませんよね。 ヤマ(管理人) まぁ、女尻映画でもありますし(笑)。 (ミノさん) 女性礼賛映画だと思いましたよ。 ヤマ(管理人) で、ミノさんの定義についてですが、 >1、退屈しきっているわけではないが、前半は時々眠気に襲われる これ、僕は近頃、かなりの映画がそうなって来始めてます(たほ)。先日も『ハリー・ポッター 炎のゴブレット』がそうでしたもの(苦笑)。 (ミノさん) え?そうなんですか? 眠いんですか? 意外だな。 ヤマ(管理人) やっぱり一作目のような鮮度はなくなってますからね〜(苦笑)。でも、世評では前作以上の評価を得ているようですよ。むしろ今までのなかで一番いいとかって(たは)。 >2、何が言いたいか、は最後までよくわからない アクション映画とか観て、そんなの感じます?(笑) (ミノさん) ですね。「絵至上主義」的なら、そうですよね。劇画的・・というのか。 ヤマ(管理人) 上にも書いたように、クストリッツァの映画は、どっちかというとそういうタイプの映画なのだろうと思いますよ(笑)。もっともシーンやショットといっても、絵だけの追求とも言えなくて、アクション映画では、その絵と動きがもたらす爽快感や高揚感こそが一番の主題であるように、クストリッツァ作品では、拙日誌にも綴った意味での“女尻感”こそが主題だと思います(笑)。 >3、正直言うと、テレビのBS劇場とかで見てたら、途中でやめてしまうような気がする ふふ、だから、僕、テレビ画面ではあんまり観ないんですよ〜(あは)。 (ミノさん) 私も「インファナルアフェア祭り」を自宅でしてつくづく思いました。「劇場で見るのの、3〜4割減やな…」と…(映画がちっさいんです)。 ヤマ(管理人) ですよねー。物凄い手練れの映画観になれば、ブラウン管で観ようが、スクリーンで観ようが、それに左右されない感応力を身につけられるのかもしれませんが、僕なんかでは、とてもとても…(苦笑)。 >4、でもなんとなくええ映画やな・・と思える だから、それは、きっとシーンがいいからなんですよ。 (ミノさん) そうかあ・・なんかナットク。 ヤマ(管理人) >5、とはいえ、それを自分以外の人にはうまく説明出来ない そもそも魅力が物語ではないのですから、ものを語りにくいですわねぇ(あは)。 -------談義は次第に核心へと------- (ミノさん) 実に、感覚的なことなのかもしれませんよね〜。私なんかが友人に、この映画に関して何か言えるとしたら「ロバが可愛くってね」ですよ(笑)。 ヤマ(管理人) いやいや、これも彼の作品の核心というか、大事な捉まえどころですよ!(拍手) (ミノさん) なんせロバに始まりロバに終わってるし(笑)。 ヤマ(管理人) そうそう。おまけに涙しますしね、あのロバ(笑)。でも、そこんとこに端的に示されているんですよ。 つまり、人間も動物の一員であるかのように、動物たちと人間がさして変わらない地平に立って存在し、描かれる映画であることを以て彼の作品の大きな特徴だと、たぶん多くの方が指摘するんじゃないかと思います。 (ミノさん) どんな状況でも、人は恋し(発情し)赤んぼは生まれ、死のうとしてはまた生きる。まさに動物の一種ですよね。 ヤマ(管理人) そういう意味でも、拙日誌に綴ったように「冒頭でヴェーリョの訪ねた村人が飢えた熊に喰い殺されていたことと戦争で命を落とすこと」の併置というのは、とても重要な点だと僕は思ってます。単に動物と人間をさして変わらない地平に置くのみならず、人の死というものに対しても、フラットな地平を設ける視座があったのだろうと思います。 (ミノさん) 現実の世界って、複雑に命はピラミッドな地平ですが、ああいうフラットさって気持ちいいですよね。 ヤマ(管理人) 人間は、意味の生き物でもありますから、いかなる死も“死は死”って、冷ややかになってしまうのも問題なんですが、同時に、常にこういうフラットな視線もまた複眼的に備えていたいものですね。 (ミノさん) どの生物も地球にワケもなく産み落とされ、限られた命しか生きられない寂しい存在であるという意味においてはフラットなんですよね。 ヤマ(管理人) 意味のほうで捉えても、ここまで大きく構えれば、やっぱりフラットなんですけどね〜。 ですから、ロバに注目されるのは、実に真っ当でして、少なくとも女尻だらけなどと綴ったりする僕よりは、よっぽど正統派ですよ(笑)。 (ミノさん) まあ男性はそこに注視するでしょうし、それが監督の狙いというか。女性のお尻はシンボリックなわけでして。 ヤマ(管理人) 生命力の象徴であるように僕は思いました(笑)。 (ミノさん) あと、おへそフェチな監督とかもいましたね。 -------噂の「女優銘撰(この映画のこの女優リスト)」------- (ミノさん) それはそうと、ヤマさんも「ライフイズ」の彼女は、女優銘撰入りのようで(笑)。 それもよ〜くわかります。ああいう無垢でおおらかな女性をあそこに配置したことで、あの映画はすごく素敵になってますよね。線の細い女性じゃなくって、お尻がどっかとした大地にネをはる感じの。 ヤマ(管理人) そうね、大きく豊かで美しくも猥雑な存在であり、時に奔放でもあるって感じがよさげですねー(笑)。 (ミノさん) あの女性キャラはすごい男性の造形を感じましたよ。 無垢で、奔放で男に尽くす。女性から見るとちょっと足りない、でも男性にすれば、すごくパラダイスですよね。 ヤマ(管理人) クストリッツァって、フェリーニばりに物凄く個人的な趣味で映画を固めてきますからねー(笑)。だから、作家性が強いと言われたりもするんでしょうね。 (ミノさん) あ、そうか。作家性ってやっぱ個人的趣味の反映の強弱なんだ〜(笑)。 ヤマ(管理人) いわゆる“個性”ってやつですよねー。 (ミノさん) ああいう女性ってなかなか今の日本なんかには出現しにくいタイプですよね。 ヤマ(管理人) そうなんでしょーかねぇ。今でも「大きく豊かで美しくも猥雑な存在であり、時に奔放」な女性は、おいでそうですが。 (ミノさん) なんかああいう多産系の人は生き難い世の中なんじゃあないのかなあ。いるにはいるけど、絶対数は減ってて少子化につながっているんではと(笑)。 ヤマ(管理人) サバーハは多産系なんですか?(笑) お尻は立派でしたが、まだ一人も産んでないのに(苦笑)。それに、ルカんちも別に子沢山ではなかったですよ? (ミノさん) でもなんか、あの後、また別の人にコロっと恋して、沢山産みそうなキャラじゃないですか(笑)。 ヤマ(管理人) 冴えない中年男にほだされるのは、やはり一時的なものですかねー(苦笑)。 (ミノさん) いやそうじゃなくて、彼女って悪い意味でなく男性が好きな女性だと思うんです。 ヤマ(管理人) ほほぅ。 (ミノさん) 惚れっぽいっていうか、男無しでは…という風情ではありませんか。 ヤマ(管理人) うーん、僕は修行が全然足りないせいか、男無しではいられない、いられるっていう尺度で、外側から女性を峻別できるアンテナを持ってないですねー(苦笑)。それって、どのへんに表れてくるんです? 今後の参考にする機会がそうそうあるとも思えませんが(笑)、なんか興味をそそられるなぁ。教えてくださいよ(あは)。 (ミノさん) いや、別に修行の問題ではなく、単に私が「そう見えた」ってだけのことだと思うんですが・・ 私、彼女のキャラってのは、自分に無いものを持っているということで、注目したんです。ああいう女性っていうのは、「人を愛する」とか「人を信頼する」ということにおいて「自然の力」みたいなものを備えているタイプの人で、育児なんかにはすごく必要なんですよね、そういうのって。私のような頭で考えて、っていうのとは違う強さといいますか。一見尻軽に見えて、男性を(他者を)愛することにかけては天才なんだと思います。ルカが忘れられず…というよりは、また恋をする情熱にあふれているというか。 ヤマ(管理人) ルカの奥さんもそうだったわけですよね〜。そして、ルカ自身も。ミノさんは、そういうとこに引け目というか、コンプレックスをお持ちなんですかね。 (ミノさん) 元々女性というのはそういう才能が備わっている性だとは思いますが、なんせ土のにおいとかが剥げ落ちてますから。現代の女性はね。自分も含め、彼女のようにはなれないし、うらやましいなあとか思ったわけです。でもってそういう女性とそうでない女性の見分け方ってよくわかんないんですけど、何だか私の生きる世界では子沢山のお母さんがそういうイメージかな。なんかこう、野山とか河川とか違う意味での「自然」というものとつながっていられるか否かというか・・あるいは子供、という要素かもしれませんが。そういう自然の力があのお尻が表現するものかな?(笑) ごちゃごちゃ書きましたが、野性とかそういう表現なのかも。 ヤマ(管理人) おっしゃるように「元々女性というのはそういう才能が備わっている」んでしょうが、現代女性が、自然から離れることで弱くなっているんでしょうかねぇ。うーん、そういうことなのかもしれないし、それとはまた別の要素のようにも思うし、今ひとつ僕にはピンと来ないところがあるのですが、子沢山のお母さんがそういうイメージっていうとこが面白いですね。あれって自然とか野性とかとの繋がりによってたくさんできるんですか?(笑) (ミノさん) 今日やっと『三丁目の夕日』を見て、しみじみと、自分が育っていく過程で手に入れた文明ツールと、失ったモノ、に思いをはせておりましたが、そういう“私の失ったモノリスト”の中に含まれていたものかもしれないなあ。 ヤマ(管理人) 何かを得れば、何かを失うっていうのは、真理ですからね〜。 逆にまた、何かを失うということは同時に何かを得ているのでもありますが。で、大事なのは、その得失の間の帳尻を合わせることなのですが、これがけっこうむずかしいんですよねー。でも、ミノさんが都会生まれの都会育ちで、土の匂いを失っておいでだとしても、それによって身につけておいでのよきものも多々あるようにお見受けしているんですけどね〜。 -------物語よりも大事なのはイメージ------- (ミノさん) 「何より絵が大事」精神って、途中でわかってくるというか、あの「冬ソナ」だって、ストーリーが破綻をふくんできたあたりから「それより、この絵が大事なわけなのよね」って感じでナットクさせられるというか・・(笑)。(冬ソナと比べるな、って感じですが) ヤマ(管理人) 僕は『冬のソナタ』は観てませんが、絵や絵の動きがもたらすリズムや感情を重視するのは、映像芸術たる映画の本領部分ですから、『ライフ・イズ・ミラクル』であろうが、『冬のソナタ』であろうが、違いはない土俵での話だと思いますよ。 (ミノさん) そうそう、絵的に、といえば、私はこの映画では、ルカが彼女にかけようとしたコートが、彼女に届かずそのまんま、代わりに引き渡された息子にかけられたシーンがすごくよかったです。これって活字では出来ない、映像的だなあ・・と。 ヤマ(管理人) そうですね〜。そういうのは、わりと映画では馴染みのあるところで、特にクストリッツァ的というものではないと思うのですが、映画的っていうところでは、それゆえに最も顕著な部分ですよね。 (ミノさん) 小説と同じストーリーを再現したとしても、映像ってまた違うものを宿すもんですよね。単純に比較は出来ないというか。あくまで「絵」(映像)であるということに大きな意味があるというか。 ヤマ(管理人) そうなんです。 そこで大いにものを言うのが、編集ほかのポストプロダクションですよね。映画の場合、ある意味、「絵」という素材を捉える撮影時以上に、ポストプロダクションが重要だし、難しいのだろうと思いますよ。映像のリズム、時間構成のリズム、音や音楽の付与、それらは全てポストプロダクションのなかで決まってくることですからね。 (ミノさん) ですよね〜。素材は調理次第ですよね〜。そのへん、かなり舞台とは差がありますよね。 ヤマ(管理人) ライヴにはライヴならではの味わいというものがあって、ホント別物ですね。僕自身は、ホントはライヴのほうに興味が強いんですが、映画に比べると、あまりにもコスト高で…(とほほ)。 (ミノさん) 今日、ヤマさんの著書を久々に読み返していたのですよ。色々とまた確認したいことがあって。 ヤマ(管理人) うわぁ、感激ですね〜、再読してくださったんですか(驚)。著者冥利に尽きます(感謝感激)。 (ミノさん) 「映像」そのものが放つストーリーとか感情がある、というくだり(おおまかですみません)に、実にうなずいていました。 ヤマ(管理人) カウリスマキの『真夜中の虹』がらみで綴った箇所ですね。恐れ入ります。うーん、嬉しいなぁ。 (ミノさん) あと、自身の生活の中でどうやって映画を取り入れていくかを考えていくにあたり、どうしても「なぜ劇場か」を考えてたんですよね。 ヤマ(管理人) ますますもって、嬉しくもありがたいお話です。そういう自問において拙著が一助をなすところがあったとすれば、本当に書き手冥利に尽きます(深謝)。 (ミノさん) 私、育児中なので、どうしても「ふらりと会社帰りに劇場へ」という状況はなかなか作れないんです。映画館に行く時は、子供を親に預けてとか、根回しが必要な行為で、どっちかという「わざわざ」的なわけです。「そうまでして」劇場へ行って見る必要が(このDVDの時代に)あるのか、という思いと常に葛藤しているとこもあり、ヤマさんの著書はそのへん、力を込めて訴えてらっしゃるので・・ ヤマ(管理人) すなわち僕自身の強い関心事だったわけですよ(笑)。なんでビデオで観てると気分が乗らないんだろーって、ね。 (ミノさん) だって、日常の中にフィクションを取り入れるんだったら、小説もあるし。でも「炊きたてのご飯と、一度冷凍保存して、レンジでチンしたご飯。同じ湯気の立つ白飯であるがその味わいは全く違う」ということを、体験でもって実感して確信していこうと。 ヤマ(管理人) ですよねー、あくまで自身の実感のなかで選んでいくことですけどね。 (ミノさん) あと、ヤマさんの著書の中で共感したのが「博物館の中で眺める宗教画」と、「欧州の教会の中で見るそれ」の違いです。同じ絵でも、それが本来そのように活かされている場で見ると、感銘の受け方が違うというのは私も欧州を旅行した時、しみじみ感じましたね。 ヤマ(管理人) ですよねー、実感しますよね、あれって。 だから、何と出会うか以上に重要なのが、どういう出会い方をするかだって思うわけです。これは映画に限らず、いかなる出会いについても言えることだと思うんですけどね。 (ミノさん) 状況込みで作品を味わうというのは、出会い方を選択できるのであれば、尊重していきたいと思います。 ヤマ(管理人) 量より質ってとこでの、僕のささやかな贅沢ですよ(えへ)。それにしても、とっても丁寧に再読してくださって本当にありがとうございました(深々)。 (ミノさん) あとこの映画、ユーゴスラビアの複雑な背景というのが、世界史オンチの私にはヒジョーに大変でした。もちろん途中から余りそういう事にとらわれずに見ていたのですが、 ヤマ(管理人) それでいいんじゃないですか? 僕も似たようなものです。 (ミノさん) 「ムスリム人」という民族さえ知らないので、「なんでイスラム教徒なんだろうなあ・・彼女は・・」なんてムチャクチャなこと思ってました。さすがに教養の無さがこたえます(笑)。 というわけで、私の険しいアート映画道なのでした(笑)。 ヤマ(管理人) 結論的には、アクション映画と同様に臨むべしってなことになりましたね(笑)。 |
|
by ヤマ(編集採録) | |
|