『オペラ座の怪人』をめぐって | |
「飽きっぽい女のブログトライアスロン実験」:(タンミノワさん) (TAKUMIさん) ヤマ(管理人) |
|
No.5392から(2005/03/01) (タンミノワさん) ヤマさん、こんばんわ。 ヤマ(管理人) ようこそ、タンミノワさん。 (タンミノワさん) 先日初めて『オペラ座の怪人』を見て、ジェラルド・バトラーの怪人フェロモン攻撃に悩殺されてメロメロになってました。ハイ。(笑) ヤマ(管理人) タンミノワさんのブログによれば、二回目を観に行った際には2上映連続の五時間余も座ったそうで、悩殺され腰が抜けて立てなかったんだろうと拝察しておりますが(笑)。 (タンミノワさん) 実は昨日再々度鑑賞に行ってしまいました。 ヤマ(管理人) うわっ!これは凄いなぁ。トータル四回御覧になったわけですね。 (タンミノワさん) というか、「映画鑑賞」などというもはばかられますね。もう邪まな心でしか行ってません。ヨン様見に成田におしかけるおば様とほぼ同じです(笑)。 ヤマ(管理人) いや、まだ映画を観るに留まっている分、とうてい及んでないですよ(笑)。この作品は、女性には殊の外、好評のようですが、やはり彼の魅力ですか! まぁ、まずもって立ち姿というか姿勢が格好いいですねー(笑)。 (タンミノワさん) そうですね~。顔はほとんど仮面かぶってますしね。どういう顔か公式サイトにいってみたのですが、なんか別人みたいに人のよさげなアンチャン(ジェラルド)がいたので、「これは私のファントムじゃあない!」と却下(笑)。というわけで、未だに顔は不明です。 ヤマ(管理人) 秘してこその華だった、とな(笑)。 -------映画作品と舞台作品との関係------- ヤマ(管理人) 今回の映画は、むかし映画かTVドラマかで観たときに比べて、僕には、怪人の哀しみや苦悩が乏しく感じられ、同時にクリスティーヌが、まだ見ぬ怪人に惹かれていく過程の描出が乏しく感じられました。そこのところを全面的に“歌曲”の力に委ねているのは、作曲者のロイド=ウェーバーが製作のみならず脚本にも名を連ねているので、さもあらんという感じではありますがね(笑)。 (タンミノワさん) 私もきちんと「映画」として観た時は、かなり欠点のある映画だと思いますね。ほとんどドラマ放棄してますし。ミュージカルなので、歌詞の中で心境などを表現するという部分はあるかと思いますが、やはりこれだけ有名な舞台の映画化となると、お約束を再現することにかなり時間的にもエネルギー的にも持ってかれちゃってるのは否めませんね。 ヤマ(管理人) それはそれでOKなんですけど、「単なる再現」では映画化する意味がないとばかりに、思いっきり映像的に贅と工夫をこらしちゃったことで案配加減を損なってしまったように、僕には映りました。 (タンミノワさん) はなから「映画はベツモノ」として作れば、きっともっと優れたドラマに出来たのではないかと思います。 ヤマ(管理人) ロイド=ウェーバー版として映画にすることが企画趣旨なので、ベツモノとして作る発想はないのでしょうが、あの視覚的な充実感で“彫り込んだドラマ”として観たかったというのは、当方の勝手な思いではあります(笑)。でも、そんな恨みを抱かせるほどに映像が魅力的だったということでもありますよね~。 そうは言っても僕は、遠い記憶にある“クリスティーヌに恋い焦がれながらも、その思いをストレートに表出できずに、彼女を成功させるためには手段を選ばないというエネルギーに転換させていた哀しさ”というものがイチバンの魅力の物語でしたから、それからすると少々飽き足りない感じでした。 (タンミノワさん) 4度目の鑑賞に一緒に行った、舞台も見たという友人が同じような事を言ってました。映画は余りにも生々しい男の愛という形が浮かんでくるけど、舞台のほうはもっと「高尚な愛」(笑)というか、「芸術という形でしか昇華できない愛」、みたいな。 ヤマ(管理人) とすれば、問題はロイド=ウェーバー版ってことではなく、この映画の作り方のほうになるのでしょうかね。 (タンミノワさん) やはり、音楽監督だけでなく脚本とかにこの御大が入ってることの逆効果は、大きかったように思われますねえ。だって誰も逆らえないんじゃないですか(笑)。なんか、名前が大きすぎるじゃないですか(笑)。 ヤマ(管理人) おおもとの製作もですから、絶大きわまりなしでしょうね(笑)。 (タンミノワさん) あと、物語が破綻してブレてしまっているのは、演出よりも演技者、例えばファントムというキャラが上回ってしまってるように思うんですね。 ヤマ(管理人) 来た来た!(笑) 食事も喉を通らなくなるほど、恋し籠絡された方の実感ですか(笑)。 (タンミノワさん) なんか、統制のきかない感じがしてならないのですよ。だからこそ、アイドル映画としてヒットしてるわけですが(笑)。 ヤマ(管理人) 僕なんかには、格別なまでに彼に魅了される感覚自体が実感としてないものですから、そんなふうにも思えないのですが、虜にされたら、そりゃもうドラマは二の次ってのは、さもあらんと思いますよ(笑)。 (タンミノワさん) 一つのテーマが物語として謳われているというよりは、なんかキャラが立ち過ぎて・・って感じがしますが、それは私が彼をひいきだからなのでしょうか?? ヤマ(管理人) どうなんでしょう~(笑)。僕にはそう見えますけど(笑)。 (タンミノワさん) まあ、これはもう映画鑑賞という姿勢ではなく、『オペラ座の怪人』というホストクラブに、ファントムというホストを指名しにいってる・・という行為なんでしょうねえ。 ヤマ(管理人) なるほど。うまいことおっしゃいますねー(笑)。お酒の銘柄や味なんて問題じゃないわけですよね。彼が注いでくれさえすりゃ、それだけで美味の極みって(笑)。でも、ホストの魅力だけではなく、画面自体の見た目の贅と華には圧倒的なものがあって、勿論つまらない作品ではありませんでしたね。 ただミュージカルとして歌曲の力に委ねるのは王道とはいえ、主演三人が自前の声で歌っていた歌は、役者の歌唱としては健闘ものだと感じたものの、映像の持つ破格の華と贅にまでは見合ってなくて、少々釣り合ってない感じが残りました。特にエミー・ロッサムの声の線が細すぎて、声質自体ではカルロッタの唱力に引けを取っているように感じられたのが、僕の最初のつまずきだったのかも~(笑)。 (タンミノワさん) 私は、ラウルとエミーの声はまあこんなもんかなあと思って聞いてましたが、やはりファントムの唄は、なかなかにリスキーなものがありますね(笑)。でもそこがいいんですよ。ドキドキして(笑)。 ヤマ(管理人) あばたもえくぼっちゅうわけね(笑)。惚れさせてしまえば、こっちのものさと怪人が笑ってます。 (タンミノワさん) でも、家で映像ナシでサントラ聞いてるとほとんど松崎しげるかと思います。 ヤマ(管理人) あ、確かに。大仰で濃いですからね、歌い方が(笑)。うまいこと、言いますねー。 たぶんカルロッタを演じたミニー・ドライバーのほうは吹き替えでしょうから、歌専門の方がやってたんじゃないかと思うんですが、実際の処がどうだったのかは知りません(たは)。 (TAKUMIさん) ヤマさん、タンミノワさん、こんにちは。横から失礼します。 ヤマ(管理人) ようこそ、TAKUMIさん。 (TAKUMIさん) 『オペラ座の怪人』ヤマさんもご覧になったのですね。 ヤマ(管理人) ええ。日誌は綴りませんでしたが、目にも鮮やかな豪勢な映画でしたね。 (TAKUMIさん) 「ミュージカルとして歌曲の力に委ねるのは王道とはいえ、主演三人が自前の声で歌っていた歌は、役者の歌唱としては健闘ものだと感じたものの、映像の持つ破格の華と贅にまでは見合ってなくて、少々釣り合ってない」とヤマさんもおっしゃるように、歌はかなり情けない...。 ヤマ(管理人) ですよね、ちょっと釣り合ってませんよね(苦笑)。 (TAKUMIさん) ご推察の通りカルロッタのみ、オペラ歌手が吹き替えていますが…、 ヤマ(管理人) あ、やっぱりそうでしたか。教えていただけて嬉しいです。 (TAKUMIさん) 際立って上手い彼女の声が浮いてしまうほど、バランスは悪いです。 ヤマ(管理人) ですよね~。 わざと外したり、変な声にするとこもあると、よけい際立ちますよね(笑)。 (TAKUMIさん) 舞台だと声楽科で学んだ人が主要な役をやるので、少なくともあれほどのアンバランスは感じないのです。 ヤマ(管理人) なるほど、なるほど。 (TAKUMIさん) 今回はファントムはロック経験者、クリスティーヌはクラシックをかじって綺麗な声ではあるとは言え、オペラのソロを歌える声量ではないですよね。 ヤマ(管理人) 僕もそう思いました。 (TAKUMIさん) 発声法が違っているごちゃまぜなバランスの悪さが気になって、一度目の鑑賞では少々居心地も悪かったです。にもかかわらず、ロイド・ウェーバーが敢えてあの作品を映画にした理由は何なのでしょう。その理由は二度目に見た時、私なりに思うところがあったのですね。 ヤマ(管理人) じゃあ、僕も二度目を観ると、また違ってくるのかな、罠だな、こりゃ(笑)。 (TAKUMIさん) 舞台では声が一番なので、アップに耐えるファントムやクリスティーヌはなかなか存在しない事(笑)、そうして、舞台では時間を同時進行させた演出ができない事、そうしてやっぱり、スケールの大きさ、ロマンティックな演出が映画程にはできない事。 ヤマ(管理人) いずれもごもっともなところですし、これらの点では僕もここに書いたように、贅と工夫を凝らしてて観応えありと感じました。 (TAKUMIさん) ロイドはあの映画を舞台のフォロー版のような意味合いで作ったような気さえするのです。なにしろ八百万人も見ている舞台ですから、舞台を見てくれた人が全員映画館に足を運べば、凄い事になる(笑)。 ヤマ(管理人) なるほどね。 (TAKUMIさん) 私自身、前半の古い劇場に色が戻って来るシーンだけでも、映画を観に来た甲斐があったとか思ってしまいました。だって、あのシーンだけはどうやっても舞台ではできませんものね。 ヤマ(管理人) あれは予告編でも使われてましたが、圧倒的なシーンですよね。僕は予告で観たとき、ジガ・ヴェルトフの『カメラを持った男』('29)の冒頭が確かこんなふうに劇場の椅子を舐めて映し出していたような気がして、おぉ~と感嘆したのでした。むろん古い映画ですから、色も付いてないんですが、今回の『オペラ座の怪人』でも最初、モノクロで始まりますからねー。 (TAKUMIさん) ファントムの高音がロック調でシャウトする為、舞台では神聖化(というかもっともっと遠い存在のえらそげ~なファントムなのですよ)されていた怪人が、かえって人間じみて見えて、特に女性には「妙にセクシー」で舞台ファンのみならず映画館通いを始める女性が続出ている様子。 ヤマ(管理人) なるほど。納得の御指摘ですね~(笑)。なれば、セクシーなファントムを強調したかったらしい演出意図からは、してやったりのキャスティングだったし、歌唱だったわけですね。でも僕は、おっしゃるところの「もっともっと遠い存在のえらそげ~なファントム」っていうのを観たかったなぁ。そこんとこが高く遠くあればこそ、落差のなかでの彼の哀しみが深く刻み込まれますし、ね。 (TAKUMIさん) そんななかで、いやもう、10回20回のリピータは当たり前の世界が現実としてあるのですよ。 ヤマ(管理人) 四回程度じゃ、ものの数ではないようですよ。>タンミノワさん(笑)。 (TAKUMIさん) これはロイドさえも予想しなかった嬉しい誤算だったのではないでしょうか。映画ならではのファントムの顔のアップの連発で、もう、これでもかこれでもかと、舞台では不可能な(笑)二枚目人間ファントムに焦点を当てた作品は、興行的には大当たりって訳ですね。 ヤマ(管理人) もっとも公式サイトとかでファントムではないバトラーを見て、少々幻滅を覚えている方も多いようですねー。なれば、なおさら映画は上手くやってるってことですよね~(笑)。 (TAKUMIさん) 舞台からあの作品に入った私としては、舞台を未見で先入観のない方が「映画」としてあの作品をどう評価するのか興味のあるところでしたが、ヤマさんの感想を聞いて「なるほど、なるほど」と思ってしまいました。 ヤマ(管理人) ありがとうございます。 舞台作品の映画化ということでの先入観はありませんでしたが、それとは違って、僕も全く先入観なしとはいかないところがあって、それはそれで、ちょっと損したところがあるかもしれませんね(笑)。 (TAKUMIさん) ひとつの作品でも色々なアプローチーの仕方があるのと同時に、ひょうたんから駒で、思わぬ作用がリピーター激増に繋がる不思議な現象も目の当たりにして、「カリスマが生まれる瞬間を見ている!」って感じで不思議な想いですよ。 ヤマ(管理人) あはは、確かに確かに。カリスマ的な支持を集めてますよねー。 (タンミノワさん) TAKUMIさまのように「舞台→映画」組の方の感想って新鮮ですね! 私は本当に、ヴァージン状態で、いきなり初めてがこの映画ですからね。考えればとんでもないかもしれない・・(汗)。舞台版の補足として映画を観れば、これは実にわかりやすいですよね~。逆に私なんか、全景が見渡せないので、「舞台が観たいよ~」って欲望が湧きましたけど。 ヤマ(管理人) なんかTAKUMIさんと示し合わせて、虎視眈々と舞台行きを狙っておいでるようじゃありませんか(笑)。 (タンミノワさん) 例えば、これが、ファントムに「正しい俳優」を使い、きちんとテーマを打ち出せている、優等生の『オペラ座の怪人』だったらどうだったかな?と思うと、確かに一度観ただけでわかる映画ではあったんでしょうけど、それが面白いものだったのかなあってのは不明ですね。正しければいいってものでもないですから。 ヤマ(管理人) 映画というか、表現について常につきまとうものですよね。出来がいいけど面白くない作品と失敗作だけど面白い作品、どっちを好むか(笑)。まぁ、人間にしてもそうですよね。いい人だけど、面白くない惹かれないってのが、落ち度を指摘されるよりもずっとコタえるように、出来がいいけど面白くないって言われる作品は、やっぱ不幸ですよね~。 (タンミノワさん) サントラ聞いてて不思議なのは、ラウルにしても、唄は彼のほうが上手だし、安定感あるんだけど、やっぱなんか退屈なんですよね。 ヤマ(管理人) ほらほら、これ(笑)。じゃあってんでわざと下手に歌っても褒めてもらえるどころか、一蹴されるんですよね(笑)。 (タンミノワさん) 全てホンモノのプロのオペラ歌手の吹き替えでしたほうが音楽としては迫力はあったんでしょうけど、面白かったのかな?と思えばまた違うというか・・面白さとか興奮とかっていうのも、また正しさとは違うもんですねえ。 ヤマ(管理人) そりゃもう、全く違うでしょうよ(笑)。フツー、人の性分として、イケナイことのほうに興奮し面白がるとしたもんです。タンミノワさんだって、そうでしょ?(笑) ですから、近頃のように、なんでもありになっちゃって、心のなかでイケナイことが少なくなってきちゃうと、面白さとか興奮とかを得られにくくなる人が増えてきて、口を開けば、つまんねぇとか退屈ぅとかって言うようになるんでしょうね。 (タンミノワさん) 良くも悪くも開放されすぎちゃったんでしょうかね。 ヤマ(管理人) そういう感じはありますよね。だからこそ『オペラ座の怪人』のような闇と抑圧の作品がウケるのかもしれません(笑)。 (タンミノワさん) そういやそうですね。これは闇と抑圧にうごめく色男の映画ですものね(笑)。 ヤマ(管理人) 今回はね(笑)。本来的には色男ものではないような気がするのですが(笑)。 (タンミノワさん) それにしても、イケナイことがなくなるほど開放されても世の中は閉塞感いっぱいですのにね~。 ヤマ(管理人) ホントに、そうですよね。 (タンミノワさん) この映画見てつくづく思ったんですけど、やっぱ情熱とか色気って、抑圧のある環境になればなるほど際立ちますねえ。抑圧がないといかんのかもしれません(笑)。 ヤマ(管理人) タンミノワさんは、恵まれた環境にあるのかもしれませんよ(笑)。 (タンミノワさん) はっはっは!ありがとうございます。評価して頂いて。抑圧職人(なんだそれ)と呼んでください。 しかし、抑圧がカタルシスとなるのは、適切なる開放を得るからですものね。それがなきゃ、単なるストレス(笑)。 ヤマ(管理人) そのことも併せて今回『オペラ座の怪人』鑑賞で体感されたようですし、いやぁ、タンミノワさんにとっては、ホントに特別な映画になりましたね~。 -------今回の映画に乏しかったもの------- ヤマ(管理人) もうひとつ残念だったのは、せっかく五十年後のオークション場面を設えて、そこにラウル(パトリック・ウィルソン)子爵と共にマダム・ジリー(ミランダ・リチャードソン)を参加させる形で彼女の怪人への想いを窺わせているのだから、ジリーの哀しみをもっと描き込んでほしかったということです。彼の音楽的才能を最も高く評価していたと思われるマダム・ジリーにとって、怪人が声と音楽の才を備えたクリスティーヌに想いをたぎらせてばかりで、自分のバレエの才では怪人の熱い心を沸き立たせられずにすれ違ってしまった哀しみは、五十年の時を隔てても深く刻み込まれていたということなのですからね~。 脚本も書いたシューマッカー監督には、その思いがあったのではないかと推察されるのですが、それに相応しい歌曲が作られてなくて、五十年後の場面で窺わせるしかなかったのじゃないかなぁと勝手に想像してますよ(笑)。 (タンミノワさん) マダム・ジリーとの関係は気になりますね~。 ヤマ(管理人) でしょ、でしょ(笑)。 ジリーの哀しみとファントムの哀しみ、やっぱ、そこが欲しい!(笑) (タンミノワさん) なんかあったに違いない!と思いますが、時間もエネルギーもそこにつぎこめなかったんでしょうねえ。とにもかくにも、舞台で多くのファンを獲得している作品ともなると、冒険は怖くて出来ないんでしょうね。 ヤマ(管理人) そもそも企画趣旨と異なってきますしね。 (タンミノワさん) だからかなり舞台を忠実に再現するにとどまった、ということでしょうね。 ヤマ(管理人) でも、舞台では映画よりも哀しみが宿ってたんでしょ? (タンミノワさん) とはいえ、もう私ファントム様しか見てませんので、映画そのものはどうでもよくなってるというのが事実です(笑)。 ヤマ(管理人) ラヴ・イズ・ブラインド! 同じ観るなら、惚れなきゃ損、損(笑)。 (タンミノワさん) でもまあ、ロッカー・ファントムってのも、ロックオペラというエンタメを導入したと思えば、わかりやすいですよね。 ヤマ(管理人) ええ。エンタメ導入は、戦略でしょうし、ね。でも、タンミノワさんがブログのなかで「この作品が今回の解釈と違う見え方になってしまっていた原因は・・」として、その第1に「ファントムをセクシーにしすぎたこと」と御指摘のように、怪人の哀しみを逆にわかりにくくしている面もありますよね。 (タンミノワさん) しかし今日再度鑑賞しても、あのファントムはNO1ホストだなあ。どう見ても(笑)。 ヤマ(管理人) その点では、功のほうも五回目にして醒めやらぬ絶大なものがあるわけですし、陰陽両面あったということでしょう(笑)。でも、セクシーファントムが中途半端じゃなかったから、五回も足を運ばせブログにお書きの「解けた謎・・・クリスティーヌの口づけの意味」と「もう一つのナゾのシーン・・ファントムへの指輪の返還」を引き出したわけですから、バトラー様々でもありましたね~(笑)。 -------日本語字幕についての異議申し立て------- (タンミノワさん) あと、これは絶対に何度も観たモノがみんな思ったことだと思うんですが・・私は別に英語が得意でも何でもないんですけど、余りにも字幕がひどいなあと思ったわけですよ。>オペラ座 ヤマ(管理人) 熱い支持を受ける作品ほど、そういった声が大きくなりますね。 (タンミノワさん) 言い回しがどうの、という問題ではなく、物語性自体をねじまげている部分が余りに多くて・・ ヤマ(管理人) 今回、物語性について飽き足りなさを覚えたのは、ここのところに大きな責があるのかも。 (タンミノワさん) これは大きいと思いましたよ。言葉が物語に与える影響って甚大ですから。 ヤマ(管理人) そうですね。とりわけ歌曲に負った作りをしているとなれば、その歌詞がきちんと訳出されてないと、台詞劇の台詞を飛ばしているようなもんですものね。 (タンミノワさん) 『ロード・オブ・ザ・リング』の時もありましたけど、今回も熱烈ファンから字幕反対抗議運動みたいなの起こってます。[http://enbi.moo.jp/phantom/phantom-movie.html] ヤマ(管理人) なるほど、こりゃ凄いわ(笑)。しかも標的、同一人物やないですか(笑)。 (タンミノワさん) ナツコ御大、小さい間違いを積み重ねて、ラストでドカーンと違う方向に話を持っていってる・・っていう感じなんですよね~。アンタが話左右してどうするって思いましたもの。 ヤマ(管理人) 外交の席における通訳の如きものですな(笑)。 (タンミノワさん) この字幕反対抗議運動みたいなの読むと、「指輪」ほど複雑な物語背景を説明しきれないとか、やむを得ない事情の誤訳ではなくって、単に物語世界の理解不足とか、やっつけ仕事って思われてもしょうがない訳し方なんですよね~。 ヤマ(管理人) このへんは、翻訳者も一度こっぴどくやられてんだから、そういう熱狂的なファンがいる作品かどうかってことはあらかじめ考慮しとかなくっちゃね~。危機管理ができてないなぁ(笑)。 (タンミノワさん) ヒロインのセリフの持つ意味自体が180度違う解釈を施してるというのは、やはり問題ですわ。 ヤマ(管理人) パッションを情熱と訳すか受難と訳すかでは、日本語では、ものすごく意味が違ってきますものね。 (タンミノワさん) 「受難劇」だけでなくて、何回見ても意味の通らないセリフとか、原語見て初めて「あ、そういうことか」ってわかった箇所が何個もあって、正直あきれております。 ヤマ(管理人) 熱狂的ファンが丹念に追求すると決まってこうなるとなれば、別にこの作品に限った話じゃないんでしょうねぇ(とほほ)。 -------オペラ座ツリーの女王との掘り下げ------- (タンミノワさん) あちこちにオペラ座ツリーを打ち立ててるタンミノワです。実は告白しちゃいますが、今日5回目の鑑賞に行ってきてしまいました。 ヤマ(管理人) 病膏肓に入るって感じですね(笑)。 (タンミノワさん) しかしですね。今回はホストクラブ指名鑑賞ではありません! ヤマ(管理人) おやおや、バトラーに浸りに行ったのではないと!(笑) 確かに今回は「“ファントムのセクシーポイントに萌えるのはいいが、それ以外を悩殺されたままボ~ッとしたまま観ない”というルールを課し」て御覧になったとのことですから、まさしく気合いが入ってましたね~。 (タンミノワさん) 同じ映画を何度も観るというのは初めての経験でしたが、無意識にも、毎回鑑賞態度って変わってくるんですね。 ヤマ(管理人) 僕にはリピーター経験ってのがないのですが、無意識のうちに臨み方を変えているってのは、ありそうなことですね。 (タンミノワさん) 自然と、違うものを発見しようという方向に向かうみたいです。同じ鑑賞態度だと飽きてしまうからでしょう。 ヤマ(管理人) とりわけタンミノワさんは「飽き」に過敏だそうですから(笑)、飽きないで済むよう免疫能力を働かせてたんですね(笑)。 (タンミノワさん) そして、5回目にして私がやっとこの映画から受け取った物語は・・!という逆転ホームランがありまして、それは2万字ほどになりますので、ブログのほうでご覧下さい。 ヤマ(管理人) 「『オペラ座の怪人』5回目の鑑賞にしてやっと見えた物語とは」ですね~、既に拝見してますよ。とっても読み応えがありました。 (タンミノワさん) ブログのほうもあんなクソ長い文章をお読みくださりありがとうございました。余りにも長くて自分でも読めないほどになりましたけど、これでやっと私はこの物語、あの地下牢から開放されましたよ・・ああ・・疲れた・・ ヤマ(管理人) 帰途に落涙するほどに「どうして、この映画を観た後、苦しくなるのか」が解明され、気づかずにおいでたファントムの魂の救済を受け止めるに至った過程が、とても感情豊かに綴られてましたね。ファントムも、これだけ惚れ込まれ、ほぼ同化してもらえたら怪人冥利に尽きますよね。単に恋し、憧れるのではなく、彼の孤独と不全感にシンクロなさってたんですね。どうせ入れ込んで観るなら、こんなふうに観たいものだとちょっと感心しちゃいました。 (タンミノワさん) 実は、あの後またまた違う見え方をしたのでアップしたのですが、やはりヤマさんがおっしゃっていた「マダム・ジリーとの関係」について考察すると、違う物語が見えてきたのですね。 ヤマ(管理人) これも拝見しましたよ、「『オペラ座の怪人』もう一人の主役 “マダム・ジリー”」。僕がこの間借り人の部屋で「せっかく五十年後のオークション場面を設えて…マダム・ジリーの怪人への想いを窺わせているのだから、ジリーの哀しみをもっと描き込んでほしかったということです。彼の音楽的才能を最も高く評価していたと思われるマダム・ジリーにとって、怪人が声と音楽の才を備えたクリスティーヌに想いをたぎらせてばかりで、自分のバレエの才では怪人の熱い心を沸き立たせられずにすれ違ってしまった哀しみは、五十年の時を隔てても深く刻み込まれていたということなのですからね~。」と書いたことへの完璧なまでの回答をいただいたようで殊の外、喜んでます。 (タンミノワさん) マダム・ジリー、お読みくださりありがとうございます。 ヤマ(管理人) こちらこそ、楽しませていただきました。みなさんにも大好評で、よかったですね~。 (タンミノワさん) 影の主役というのは、彼女ではないかと思うわけです。ハイ。 ヤマ(管理人) 影ということにおいては、まさしく主役ですよね、今回の『オペラ座の怪人』の趣向では。 ここんとこは、きっとロイド=ウェーバー版には盛り込まれてなかった要素ながら、シューマッカー監督にはこだわりがあって、五十年後のオークション場面を設えたのだろうと僕は勝手に思ってますが、事の真偽のほどは定かじゃありません(笑)。 (タンミノワさん) あのオークションシーンは舞台のほうにもあるそうなんですが…、 ヤマ(管理人) そうでしたか。 (タンミノワさん) パンフの監督のコメントには「マダム・ジリーと怪人の関係は非常に興味深いよね」とありますので、割りとあっさりと描かれてはいるけど、物語の根底に流れているんでしょうね。やはり。 ヤマ(管理人) なるほど、そうでしたか(得心)。 -------マダムと怪人の間に、母子を見るか、男女の恋情を見るか------- ヤマ(管理人) タンミノワさんがブログで「どうしてこの男はこんなに尊大になってしまったのだろうか?」と問いかけておいでた件についての解釈は、僕も全くの同感です。「なってしまったのだろうか?」どころか「なり得たのだろうか?」ですよね~(笑)。 ですが、僕のイメージでは、年端もそう違わないジリーとファントムの間が、特にジリーの側において、母子愛なり姉弟愛のようなものに留まっていたとは思えないようなところがありますねぇ。 バトラー演ずる今回の怪人は、とりわけ女性にとってはセクシー・ファントムってとこで魅了するようですし、タンミノワさんがブログにお書きの「そして、多くの母親がそうであるように、自分の息子が圧倒的な才能があると知ってからは、彼を尊敬し、褒め称え、崇拝し、そして溺愛もしたであろう。つまり、ここに、多くの親が陥る“間違った愛情の与え”がかなりあったのではないかと推察する。それがファントムをあそこまで尊大な人間にしてしまったのではなかろうか。マダム・ジリーの持つ彼への同情心や、母性愛、また彼の才能への崇拝はいつしか、過剰になり、甘やかし、ファントムを被害者感情の強い、しかし自意識の肥大化したダメ息子にしたて上げてしまったのである。」との部分は、実に全くそのとおりでありながら、僕のイメージに沿って“母親”と“親”を“女”に、“息子”を“男”に置き換えても、何ら不都合なく意味が通じますよね(笑)。 ファントムを尊大にしたのは確かにジリーだろうとタンミノワさんがブログにお書きのご意見に僕も共感しつつ、母親的存在としてのジリーとは受け取らず、崇拝してくれる異性として存在し続けたジリーの恋情というふうに受け取ってます。でも、育児真っ只中にあるタンミノワさんが「母親問題」に敏感になるのは、それはそれでむしろ当然で、もっともな話だと思いました。大事なことですしね。 (タンミノワさん) マダムと怪人の間に、母子を見るか、男女の恋情を見るかということなんですが、なんによらず見え方というのは、その人の属性なり人生経験なりが色濃く反映されてしまいますので、私の「ダメ母とダメ息子」の読み取り方ってのもかなり自分に引き寄せた見方かなあとも思います。ただ、男女の恋情とはいえ、その人の親との関係というのも潜在的には絶対に存在し、影響を与えると思うんですね。 ヤマ(管理人) もちろん、それはそうですね。 (タンミノワさん) 特にファントムのように、あきらかに母性愛の欠乏したキャラの場合、自分に尽くしてくれる女性を得たら、彼女に母親的な役割を求めてしまうのは必須かな・と。 ヤマ(管理人) ファントムの側においては、まさしくそうでしょうね。僕もそう思います。 (タンミノワさん) でもって、マダムのほうもそのつもりなくても、無意識に求められるもので無意識に応える形になってしまう・・ ヤマ(管理人) なるほど。女性のほうは望まれた期待に応えてしまう、と。そういうのは、男にだってありがちなことです。確かにそういう面はあるでしょうね。ですが、「望まれたものに応えることで喜ばれる」ということに手応えを感じつつ、自身の本意とは違うズレに哀しみを覚えている気もしますね。 (タンミノワさん) そうそう。そのズレって自分ではどうしようもないものだったりしますからね。 ヤマ(管理人) そこがジリーの哀しみなんですよ。 (タンミノワさん) それなのに、無意識に応えていってしまったものだから、マダムの愛情と庇護は、ファントムを尊大にしたんですが、自立を促すものにならなかったんでしょうね。 ヤマ(管理人) そうですねー、望まれるものにひたすら応えてくれてたら、ついつい図に乗り、増長するのが人の常としたものですよね。 (タンミノワさん) 全くです。増長という言葉は非常に適切ですよね。 ヤマ(管理人) なにせ得意ですから、何かにつけて僕(笑)。んで、よくわかるんです(笑)。 (タンミノワさん) それと、マダムの愛情と庇護が彼の自立を促すものにならなかったのは、マダムが彼を畏怖しすぎたということがあるからだと思うんですけどね。本物の母親ではないんだし。 ヤマ(管理人) なるほどね。 (タンミノワさん) そりゃあ天狗になりますわね。特に今までひどい扱いを受けてきたんだし。それにもともと、ファントムという人の生まれついての気質も、非常に自尊心の強い人だったんでしょう。それなのに、容貌の醜さという不運のうえ母親からの見捨てられが加わると、プライドは高いのに誇りは傷つけられるはで、も~大変です。 ヤマ(管理人) ええ、ここんとこ、かなり重要そうですよね。 (タンミノワさん) ただ、このファントムのお色気ってのも、絶対的に母親からの愛情を受けていない、つまり母親の影響のまったく垣間見えない稀有な男というとこに根ざすものがあるんではないかと思うんです。 ヤマ(管理人) おぉ~、これは思い掛けないご指摘!(興味津々)。 (タンミノワさん) なぜって、女性にとっては、これほど自分という女が独占できる対象はありませんもの。たいていの男は、母親を持ち、第一の女はママであるという体験を持ってますから、女としてはどこかでかなわない、都合が悪い、絶対的存在になりにくいもんですよね。でもファントムの場合には、それが叶うわけですよ。しかも色男、しかもふられてる。女が欲をかきたてられないはずないじゃないですか(笑)。私がいますわよ、ファントム様、と思っちゃいますって。 ヤマ(管理人) なるほどな~、女性の独占欲というか支配欲というのは、なかなか凄まじいものなんですね。それからすると、男の独占欲なんて、もっと形式的で浅薄だな~(笑)。“絶対的存在”志向ですか、こわいなぁ(笑)。 (タンミノワさん) もちろん、女性全般の傾向かどうかわかりませんが。私だけかもしれませんし。 ヤマ(管理人) 「だけ」もなければ、「全般」もないとしたもんでしょうが、自分にどういう傾向があるのかとの自覚は、善し悪しを課すものではなく、開放・抑制ともに向けたセルフコントロールにおける前提にすべきものですよね。 (タンミノワさん) ただ、私はこの映画における自分の反応を見て、つくづく自分の子が男児でなくてよかった・・と思ったのです。 ヤマ(管理人) なるほど(笑)。 (タンミノワさん) もし、男児だったら果てしなく支配欲を満たそうとしてたかもしれませんので。 ヤマ(管理人) それは双方にとって不幸なことになりがちですが、でも、己が傾向を自覚していれば、そうはしないでしょうよ。 (タンミノワさん) 同性ってのはイヤでも距離感が出来るものなんですよね。 ヤマ(管理人) そういうもののようですね。僕も息子との距離感のほうが掴みやすいですもん。しかし、パートナーとなると、通常は異性ですから、ここんとこ難しいですよね。ま、だからこそ味があるとも言えますけど(笑)。 -------増村保造の『盲獣』との関連------- ヤマ(管理人) ところで、このお話をしていて、ふと僕の脳裏に浮かんできたのが増村保造監督の『盲獣』だったりしました(笑)。こちらにもお訪ねくださるケイケイさんが、映画日記のなかで「男を演ずるのは船越英二。もう怪演です。不気味だし変態だし気持ち悪いし、すごく上手いです。なのに妙に好青年で、“めくらの僕を、母は普通の人間に立派に育ててくれたんです。”などど言いますが、あんたこんな事して、ちっとも普通と違うやん、お母さん子育て失敗してます。」とお書きになっているのですが、千石規子が演じた母親のあわれさと哀しみ、そして愚かさ…をタンミノワさんのマダム・ジリーについての解釈に想起したんです(笑)。 バトラー・ファントムのセクシーさに魅了されている方に、怪人を船越英二の演じた変態青年になぞらえるのは不興の極みかもしれませんが(詫)、卓抜した異能と繊細さを備えながらも、うまく自己実現できる術と環境が得られず、闇の世界で不全感と孤独に苛まれながら、途方もない尊大さに転換させていったであろう男です。 (タンミノワさん) 本来の怪人の物語から言えば、絶対にこっちが近いでしょうね。日本にもファントムがいたんだ~ ヤマ(管理人) いや、『盲獣』を『オペラ座の怪人』に比肩させる奴なんて、あんまりいないとは思いますけどね(笑)。でも、おそるべき犯罪に手を染めていく怪人ということでは相通じているし、世間的には極悪非道の怪人に他ならないながらも、その怪人と深く触れた女性が最後には怪人を殺人鬼とも変態とも狂人とも思わずに、心から愛し、その哀しみに打たれるわけですが、その過程で大きな力を発揮するのが、怪人の備えた異能による教授や指南だったりするところも通じているんですよ。オペラ座の怪人男がオペラの歌曲で、盲獣男がSMという細かい違いはありますが(笑)。 (タンミノワさん) こっちもエロそうですね~(笑)。こっちのほうがかなりダークにエロそうです。 ヤマ(管理人) まぁね、でも、『盲獣』の道夫は、バトラー・ファントムのように、観客女性にセクシーにアピールはしないんじゃないかと思いますが(笑)。 (タンミノワさん) こっちのほうが文学的な匂いがしますね。やっぱね、キャラに萌えすぎると、物語を見誤ります(笑)。 ヤマ(管理人) いや、でも、五回も六回も観る熱情を与えてくれれば、しっかと深く物語を味わうことができるじゃないですか(笑)。ブログみてもわかりますけど。 (タンミノワさん) 私、「盲獣」の小説のほうは、確か江戸川乱歩?のを読んで、当時まだ少女だったので、あの倒錯を「美」ととらえるには罪悪感が強くて、どうとらえていいかわからない物語でした。 ヤマ(管理人) 少女期向きじゃあないかもしれません、確かに(笑)。 (タンミノワさん) この映画版も是非みたいですね~。関連映画として(笑)。 ヤマ(管理人) ブログ、期待してます(笑)。五回とまでは言いませんが、三回ぐらいご覧いただいて、じっくり掘り下げてみてくださいな。 (タンミノワさん) 意外に萌えたりして(笑)。どうも最近何に萌えだすか、予測がつかないもので。 ヤマ(管理人) まさか、とは思いますが、そうなったらそうなったで、尚のことブログが楽しみだな~。 (タンミノワさん) そうそう、倒錯といえば、面白い記事があって、この映画のキャスティングをしているとき、カントクは、主演にあげたジェラルド・バトラーをランチ・ミーティングに呼んだそうです。そこでは、映画の話はひとつもされずに監督はただ、「個々それぞれのSEXについて」語らせたそうです。でもってバトラーは自分のSEXについて40分近く語ったそうです。彼は「監督は、僕が十分倒錯してるかどうかチェックしたんだね(笑)」と答えていて笑っちゃいました。倒錯が足りなかったら、落とされてたんでしょうか。「まだまだ倒錯が足りな~い!」とか言って。とにかく、カントクはそっち方面しか頭いってなかったってことでしょうかね(笑)。まあ興行的には成功してますけどね。 ヤマ(管理人) これはまた、興味深いというか、面白い話ですね。 シューマッカ監督は増村の『盲獣』を観てたのかしらん?(笑) (タンミノワさん) どうでしょう。でもそこまで陰性のエロスっていう感じもしませんね。もっと監督はマッチョなエロス傾向を持ってると思われます。 ヤマ(管理人) なんてったって、バトラーをキャスティングしてるんですからねー(笑)。 (タンミノワさん) 彼の趣味全開させてるという意味においては満足してるんでしょうねえ・・ ヤマ(管理人) それはもう、視覚的にも監督冥利に尽きる贅を施してましたもの。 |
|
by ヤマ(編集採録) '05. 2.26. TOHOシネマズ4 |
|
|