『ハウルの動く城』をめぐって | |
(ミノさん) (TAOさん) ヤマ(管理人) |
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No.5213から(2005/01/05 23:55)
(ミノさん) ヤマさん、こんばんわ。 今日は昨日から勢いづいて『ハウルの動く城』を鑑賞してきました〜。 ヤマ(管理人) ようこそ、ミノさん。 僕は、年末の22日に観てるんですが、日誌は綴ってないですねー。 (ミノさん) 『ターミナル』で、スピルバーグが「描きたい絵があること」っていうのがまず最初にありきっていう話になってましたが、『ハウルの動く城』はさらに上いってまして、もはやストーリーからさえも自由になっていてなおかつ圧倒的に面白いという、非常に稀有な作品だなと。 ヤマ(管理人) それはよかったですねー。 (ミノさん) フリージャズが、文脈や意味などなくても面白かったり素晴らしかったりするのと似ていて、意味から開放され、ただひたすらその絵を楽しむことの楽しさ。意味からは解き放たれているのに、心に届いてくるということの不思議さというのを体感し、自分でも驚きでした。こういう映画もあるんだなあ…と。 ヤマ(管理人) なるほど、そういうふうに作用したんですね。堪能されたようで何よりです。僕は、ミノさんのおっしゃる「意味からの開放」の部分が何やら逃避なり忌避に見えた部分があって、あまりフィットしなくて日誌も綴らなかったんですよ(たは)。でも、まるでつまんない作品だとも思ってません。 (ミノさん) ご覧になってたんですね。乗れなかったのは残念でしたね〜。まあかなり感覚的な映画でもありますものね。 ヤマ(管理人) 映画も人も、みんなそういうものですよね。ある人にとっては素敵ないい人が、他の人にとってはろくでなしってのはよくある話で、そんななかでも誰からも好かれる人がいたり、誰からも敬遠される人がいたり、それでもそのことが存在感や能力ということとはまた別物だったりするみたいなもんで、ね(笑)。 (ミノさん) さて「意味からの開放」の部分が何やら逃避なり忌避に見えたとのことなんですが、どのへんが? ヤマ(管理人) 宮崎作品に寄せられる反発や嫌悪って煎じ詰めれば、説教臭の押付けがましさってものに集約されるじゃないですか(笑)。あれだけのイメージ造形力とダイナミズムを持っているのだから、絵的なところで文句のつけようってありませんもん。 それは、彼もひしひしと感じてて、でも、基本的に良識派だから昔気質にも、表現された作品には作り手のメッセージがなければならないってことへの囚われからは自由になれないでいるように思うんですよね。そこんとこって昔気質の表現者にとって作家的アイデンティティでしょうし(笑)。んで、作品にはメッセージが必要だと思っているのに、それを込めれば説教臭いだの押付けがましいだの言われてしまう(笑)。 そのへんの葛藤みたいなのを「意味からの開放」(僕的には意味よりロジックなんですが、ミノさんのおっしゃりたいことも同じですよね)って形で、ロジカルな破綻なり説明不足を意図的に持ち込むことで緩和しようとするのは、表現者たる彼のメッセージ性への囚われってことへの内なる対決においては、逃避や忌避に近いものではないのかってことです。 ハウルやソフィーみたく宮崎駿も呪いを掛けられているのかもしれませんね(笑)。今の時代、作家たるもの、やはり戦争に言及しないわけにはいかないって感じで出てきてますもんね。そんなのなくても充分以上の作品に見えるのに。 ま、それはともかく、作家的にも作品的にも、今回の『ハウルの動く城』の主題というかキーワードは「囚われ」であると僕は思いました。 -------意味からの開放とは異なる“開放感”------- ヤマ(管理人) そこんとこが開放感として伝わってくれば、心を取り出されたまま、いくつもの世界に居場所を持ちながらも何処をも自分の確たる居場所にできずにいるハウルにしても、実年齢よりも重い老いの呪いを掛けられて居場所を追われた少女の、健気に明るくタフに生きている姿にしても、鬱々としたところがどこにもなくて、何か軽妙で楽しげで、気持ちよく御覧になれたでしょうね。 ちょっと羨ましいな、なんてったって、そのほうが絶対にお得ですもんね(笑)。そういうふうに映ってくれば、あの荒れ地の魔女の呪いで老いた少女の“老いたことに対する囚われのなさ”みたいなのが、軽妙な明るさとともに素直に開放感へと繋がったでしょう(いいな)。 例の説教臭というか押しつけがましさ(笑)みたいなのは、確かに乏しかったですし、良識派みたいな彼(笑)にしては、むしろ魔力を失ってからの荒れ地の魔女など、老婆というものをあんなふうに描いちゃって〜てな少々危ういとこあったくらいですし、宮崎作品としては、意味からの開放を含めて、ちょっとした新境地ですよね(笑)。 だったら、ヘンにお手盛りみたいに戦争を持ち込むなよなーってとこが気にならなければ、絵は相変わらず達者ですし、楽しげな作品ですよね。僕は『千と千尋の神隠し』の日誌で、空に昇っていく形の大粒の涙のシーンに大いに惹かれたと綴ったものでしたが、今回も涙の描き方は印象的でした。瞳の半分以上を占める水嵩で溜まっていく姿などは、実写では不可能ですよねー。 (ミノさん) あのへんはクライマックス中のクライマックスでしたね〜。ヤマさんが書かれていた「開放感」とかいうことも見ている間は割りとアタマ真っ白で見て、見終わった後もほとんどそういった思考をすることのない映画だったので、ああなるほど…と確認したのですが、 ヤマ(管理人) 僕は逆に何か軽妙で明るくよさげなのに、なんですっきりしなかったんだろう、しっくりこなかったんだろうって後から考えるなかで、こんなふうに思ったんですよね(笑)。それは、投げかけていただいて、改めてきちんと考え直すなかで言葉にしたのであって、最初からここまで整理しちゃってれば、日誌にも綴ったんでしょうが(笑)、年末の慌しさのなかで、そんなエネルギーを注がなかったもんで、こうして投げかけていただいて、僕も儲けものでした(礼)。 (ミノさん) 私が『もののけ姫』よりも『千と千尋の神隠し』よりも気に入ったのは、実は「ハウル」というキャラに恋心(笑)を抱いたからなのかも、と今ふと思いました。 ヤマ(管理人) あ、いいですねー、それ。王道や(笑)。 (ミノさん) ハウルは、美しいけど、デビルマンみたいなのにも変身したりして、ナルシストなのに痛々しくて。 ヤマ(管理人) あの痛々しさね〜、巧まざる手管って映るやっかみが僕にはあって(苦笑) こんちくしょーなんですよね(笑)。 でも、概ね女性にはああいうのが効くんですよねぇ、実際(笑)。 (ミノさん) 宮崎アニメに出てくる少年像って割と優等生が多いように思うので、あのキャラクターが新鮮で最後まで楽しく見れたのかも。 ヤマ(管理人) これは確かにそういう面がありますよね。 そういう点では、巧まざるどころか、宮崎駿は意識的にそう造形してたんでしょうね。 -------なければないで淋しい(笑)説教臭------- (TAOさん) ヤマさん、ミノさん、こんにちは。 ヤマ(管理人) ようこそ、TAOさん。 (TAOさん) 「例の説教臭というか押しつけがましさ(笑)みたいなのは、確かに乏しかった」というのは、ほんとそうでしたねー。でもね、あんなに文句を言ってましたけど、ここまで自粛されると、宮崎らしさがないというか、ちょっと物足りなく思いました。わはは。 ヤマ(管理人) 全く以て、客というのはワガママで始末に終えないものですよね(笑)。 (TAOさん) 『もののけ姫』がいちばん好きな私としては、言いたいことを言いまくって、どうだどうだと威張ってる宮崎がけっしてキライではなかったってことでしょうね(笑)。 ヤマ(管理人) 僕も『もののけ姫』は好きでしたねー。でも、あれってどんな説教だったんでしたっけ?(笑) 覚えてないや(苦笑)。僕も大して気にしてなかったのかも(笑)。っていうか、たぶん内容じゃなくて語り口なんだろうな〜。 (TAOさん) 『もののけ姫』のテーマはエコロジーですよ。私もそこんとこはあまり覚えてないんですけどね(笑)。 ヤマ(管理人) あ、そーだった、そうだった(苦笑)。 んで、説教は、「人間の思い上がりへの戒め」でしたよね(笑)。人間同士の争い事で地球環境を破壊するなんざ、その最たるものってな。いやぁ、学んでなかったな〜、すっかり忘れてました(苦笑)。 (TAOさん) 宮崎らしさといえば、彼はおぞましいもの、見てはいけないものをつぶさに観察し誇張して再現するところがありますよね。 ヤマ(管理人) そうでしたっけ? 何か観た後、あんまり覚えてないみたいだな、僕、宮崎作品(とほ)。 (TAOさん) 今回は荒れ地の魔女が長い階段を汗を拭き拭き昇るところが、あからさまに更年期の女性の典型的な症状だったので、これはちょっと下品だと思いました。 ヤマ(管理人) うん、老婆に階段登りの競争をさせるなんざ、悪趣味ですよね。綺麗事をのたまう良識派の沽券に関わるはずなんだけどな(笑)。 (TAOさん) たるんだ皮膚の上に汗と化粧がどろどろに溶けて混じり合う醜さをあんなに延々と誇張し続けるのはいくらなんでも悪趣味だ。ただ、老醜とはべつに、老いることによって得られる自由を描いてるのはさすがで面白いですね。 ヤマ(管理人) うーん、でもねぇ、困ったちゃん扱いってのもねぇ(苦笑)。 (TAOさん) あ、私の言う自由は、主人公のほうです。 ヤマ(管理人) あ、やはりそうでしたか。書き込んでから思い当たったのですが、まぁいいや、それで話拡がるかもって追加書き込みしませんでした(笑)。 (TAOさん) これはFさんが書かれていて、大いに同感したのですが、呪いによっておばあさんになってからの彼女は、容貌コンプレックスから解放されてるではありませんか。コンプレックスというより、自意識からの解放かな。 ヤマ(管理人) 僕も「囚われ」がこの作品のキーワードだと思いつつ、ソフィが負わされた老いに囚われていないところへの着眼はしてましたが、Fさんのおっしゃる「美しさのオブセッションへの囚われ」からの解放というのは見過ごしていましたね。 居場所をも失ったことを開放感としてポジティヴ転換したことでの元気とか活力のように感じてましたよ。でも、Fさんの御指摘の点は、少女心の核心に触れてますよね(笑)。 -------宮崎にとっての“戦争”------- (TAOさん) でもね、ヤマさん、戦争は必要ですよ。戦争オタクから戦争をとったら、描きたいものがなくなってしまうもの(笑)。空襲のシーンはとても生き生きして美しいと思いました。 ヤマ(管理人) はら、彼は戦争オタクなんですか? 確かに飛行機とか好きそうなんだけど、へぇー、そうなんですか。 (TAOさん) ええ、ミリタリーマニアの方々のお墨付きもありますから、たぶんまちがいありません。戦闘機オタクですよー。『紅の豚』、嬉々としてたでしょう?(ジブリが配給したチェコ映画『ダーク・ブルー』も、戦闘機のシーンが非常に美しい、ディープな反戦映画でした) ヤマ(管理人) なるほどね。そう言えば、なんかそんな話を聞いたことがあるような来もしてきましたよ(苦笑)。 (TAOさん) ただ戦闘機を出して嬉々とするのじゃ気がとがめるので、必要以上に良識をふりまわすんじゃないでしょうかね(笑)。 ヤマ(管理人) 方便としての良識じゃ説得力持ち得ませんよねぇ。それなら、揶揄されても仕方ないな(笑)。 ただでさえ良識っていうのはスマートには伝えにくいものなのに。でも、咎める気の偽装としてではなくという意味で、僕はもう少し好意的に、彼の昔気質な一人前の作家というものについてのアイデンティティの問題かなって思ってます。 (TAOさん) 彼の本質は文字通りアニメーターだと思うんですが。 美しいもの、醜いものをとことん動かしてみせたいっていう。なにかで読んだ話ですが、毎日1時間以上かけて自転車で通勤して、動く風景を飽きずに見ているんだそうです。電車に乗っていても、おしゃべりしてる女子高校生の口元をカウントとりながら観察してるとか(笑)。そういう根っからアニメーターなところが私はいちばん好きです。 ヤマ(管理人) 作家向きではないってことですね、なるほど。これはそうなのかもしれませんねぇ。作家を気張ろうとするからメッセージとかテーマに囚われちゃうってことですね。 |
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by ヤマ(編集採録) '04.12.22. 東宝1 |
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