第1回高知ファンタスティック映画祭

@『アンダーワールド』(Underworld)['03] 監督 レン・ワイズマン
A『ホフマン物語』(The Tales Of Hoffmann)['51] 監督 マイケル・パウエル&
 エメリック・プレスバーガー
B連句アニメーション『冬の日』['03] 総合監修 川本喜八郎
 自主上映グループ“シネマサンライズ”が地元最古の映画館“あたご劇場”を会場にして行っていた“あたごファンタスティック映画祭”と称する企画上映会が、今回から会場を県立美術館ホールに変更するとともに“第1回高知ファンタスティック映画祭”と改称した。それにしても、この何とも面妖なラインナップには驚かされた。まぁ、現実描写と異なる幻想世界ということではいずれもファンタスティックに違いないとしても、どうにも据わりの悪さを感じてしまう。意図的に基調感を拒み、ジャンル自体の幅の広さを訴えることを狙ったのかもしれないと思うのは、わずか三作品のセレクションながら米英日と国を違え、新作旧作の取り合わせとしているあたりに狙いのようなものを感じたからだ。

 『アンダーワールド』は、際立った印象を残すわけでもない今風のかっこよさに留まったヴァンパイアものだったが、こんなふうな作品でも120分を超える長尺編集にされていることも含めて、いかにも今風だと感じる。つい最近観たばかりの韓国映画『スキャンダル』('03)にしても、日本の『世界の中心で、愛をさけぶ』('04)にしても『CASSHERN』('04)にしても、軒並みそうだった。むかしは興行サイドから長尺ものが嫌われるということがあって、余程の大作なり力作でないと120分超が許されてなかったように思う。だからこそ、後からDC版だの完全版だのが出てくるわけだ。
 ところが近年、興行市場の中心がシネコンに変わるなかで長尺ものへの忌避感が興行サイドになくなってきているように思う。いくつもスクリーンを持っているので、当たれば時間をズラして次々と上映できるのが、むしろシネコンの強みだからだ。1スクリーンでしか上映できない故に、遅れて観に来た客には時間待ちを強いるという点で、従前からの映画館に対して大きなハンディを負わせられるし、そのハンディの大きさは作品が長尺であればあるほど、いかんなく発揮できる。妙な勘ぐりをするならば、シネコンがその優位をより顕著に実感させようとの戦略のもとに従来館との差別化を図るため、製作サイドに120分ものをスタンダードにするような注文を流しているのかもしれないと思えるほど、近頃の映画は2時間前後の作品が大半を占めるようになっている。

 『ホフマン物語』は、半世紀以上も前の特撮ファンタジック・オペラで、ドイツの小説家ホフマンの作品にインスパイアされたオッフェンバックのオペラを基にしたものらしく、意匠を凝らした構成とプロダクション・デザインの卓抜さが印象深く、カラーの色合いにも味わい深いものがあった。この作品も従前は110分版を以てスタンダードとしてきたものを昨今の長尺ブームのなかで完全版なりオリジナル版との124分版でのリバイバル公開となったもののようだ。今回初めて『ホフマン物語』を観たので、110分版との比較はできないけれど、せっかく長尺のオペラを工夫して短縮したなかで14分長くすることが逆に損ないに繋がっているのではないかという観後感が残った。
 プロローグ・エピローグに挟まれた三つの挿話のなかでは、プロローグと二つ目の挿話が面白く感じた。ホフマンの恋人たるバレリーナのステラを想わせる生きた人形オリンピア(モイラ・シアラー)、娼婦ジュリエッタ(リュドミラ・チェリナ)、歌姫アントニア(アン・エイアーズ)、いずれ劣らぬ美女ぶりでクラシック映画の面目を観る思いだった。それにしても、生きた人形・娼婦・歌姫・バレリーナとは、いかにも好事家風の色好みで、おまけに酒浸りときているものだからホフマンがステラ(モイラ・シアラー)に見限られるのも無理からぬ気がして笑えた。

 今回のセレクションで最も印象深い作品は、やはり連句アニメーション『冬の日』だ。芭蕉七部集の「冬の日」についての僕の予備知識は皆無だったけれど、連句というものの成り立ちや決めごとも予め教えてくれたうえで、36の連句に相当するアニメーションの36作品が6人の連衆(芭蕉[三谷昇]・野水[岸田今日子]・荷兮[柏木隆太]・杜国[佐々木睦]・重五[吉見一豊]・正平[渡辺穣])の朗読の後に登場する。ユーリ・ノルシュテインやラウル・セルヴェといった僕でも知っている著名な作家を含め、外国作家が8名も参加していたところには、連句が極めて日本的な文学形式だと思っていたので驚いたが、イメージの継承と変転に機知と興趣を求める表現だと連句を考えれば、アニメーションには非常に近いところがあるという気もする。実際、登場した35人の作家による36作品のヴァリエーションの豊かさには大いに愉しませてもらった。手法も様々で人形、CG、セル画、クレイ、ドローイング、影絵など多種多様で、具象も抽象もあり、句の主題を素直に表現しようとする者もいれば、触発された想像を奔放に展開する者もいるし、句を借りて自身のメッセージを織り込む者や自身の解釈を表現する者もいる。それぞれの句からどのようにしてアニメーション作品が生まれているのかを手法の紹介も織り交ぜて、制作中や制作後の作家にインタビューをしている部分が後半に添えられていて、興味のほどを倍加してもくれる。まさしく企画力の勝利といったような刺激的で魅力的な作品だった。朝の初回で観た人のなかには、この後半部分を観たうえで再見したいと思って居残った人がかなりいたようだ。僕自身は、初回上映で観たわけではなかったので再見が叶わなかったが、プログラム的には1回上映では果たせない有意義な再見が可能だったわけで、こういう教育的なプログラムについては、美術館企画の上映会などにおいても是非とも心掛けてほしい配慮だと改めて思ったりした。



推薦 テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0405-6fuyu.html
by ヤマ

'04. 5.23. 美術館ホール



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