『Mr.インクレディブル』(The Incredibles)
監督 ブラッド・バード


 先頃キリクと魔女の日誌に最新の技術を駆使した驚くばかりの映像ではなくても、豊かなイマジネーションと鮮やかな色使いでかくも美しい作品を創造できるし、大々的な宣伝は仕掛けられなくても、地道に長く人々に観続けられるに足る作品は生まれるものだ。と綴ったばかりだが、『モンスターズ・インク』('99)も『ファインディング・ニモ』('02)も観飛ばしてきた僕が久しぶりに再会したピクサー・アニメーションの映像作品としての見事さには、いささか呆気にとられた。十年ほど前に“国際アニメーションフェスティバル広島大会ベストセレクション”という特集上映で観たときの『ルクソーJr.』('86)の慎ましさのなかに輝く才気の豊かさが、既にして幾世代も前のことのように感じられる。また『トイ・ストーリー』の二作から後の作品を観ていなかったことで、却って進歩の程の際立ちを実感できたような気もする。立体感や質感のリアリティは、ほとんど実写と見紛うばかりの域にある。だからこそ、その空間のなかで、いかにも漫画アニメーション的な造作を与えられたキャラクターたちが縦横無尽に動き回るところに独特の魅力が生まれるのだろうし、従前からのアニメーションでも実写作品でも、またそれらの合成作品でも味わえない躍動感とスケール感が堪能できるわけだ。

 僕の興味を惹いたのは、この作品の原題が「インクレディブル一家」であるのに、邦題が『Mr.インクレディブル』とされたうえで、内容的には一家の物語と言いつつも一番美味しい所を取っていっている主役キャラクターが、かつてイラスティ・ガールと呼ばれたインクレディブル夫人であることだった。アメリカでも日本でも、映画のマーケッティング上の主役は、やっぱり女性なんだろうなと改めて思う。インクレディブル夫人は、人がその真価を問われる“いざというとき”のある種理想化された主婦像として、母としても、妻としても、無類のかっこよさを発揮していたように思う。悪漢シンドロームの秘密基地のある島からアメリカに戻る際のバスを空中で支え続ける役回りが夫人のほうにあるのは、昔のキャラクター作りでは考えられないことだったように思う。ミラージュと夫の抱擁を目にしても、両者のいずれを責めることよりも先ず自身の側に夫を引き寄せるところから始める彼女の自信と余裕と貫禄が見事だった。また、内気というよりもシラケポーズが癖づき掛けていた長女ヴァイオレットに自信を与え、成長を促したのは、直接的にはヴァイオレット自身が身を以て果たした経験だったけれども、母親としてのフォローやアドバイスのありようにおいて、彼女は、実に申し分のない関与の仕方をしていた。そういう面からは、夫も子供たちと大差なく彼女の掌中にあるという感じだ。日本映画だとこういう女性キャラクターは、得てして“肝っ玉母さん”的に描かれがちなのだが、彼女には通底するところがありながらも、決して“母さん”だけに留まることなく、妻として女として夫に向かう部分が前提になっている。そこがまた、今時さらに好ましく受け取られる点だろうという気がする。

 僕が観たインクレディブル夫人は、黒木瞳による吹き替え版だったけれども、字幕版のホリー・ハンターよりもよかったのではないかという気がする。ちょっと、彼女の女優イメージとは異なるキャラクターだったように思うのだが、大したものだ。


推薦テクスト:「映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20041129
by ヤマ

'04.12. 6. 松竹ピカデリー2



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