美術館夏の定期上映会「国際アニメーションフェスティバル広島大会ベストセレクション」


『ペンシル・ダンス』(アメリカ) クリス・キャサディ 監督
『Tar Zan』(日本) 古川タク 監督
『孤鳥の聖域』(アメリカ) カレン・カイザー 監督
『スーパー石鹸』(中国) アー・ダー & マークー・シアン 監督
『掃除機』(イギリス) ティム・ロルト 監督
『花鳥風月』(日本) 島村達雄 監督
『バランス』(西ドイツ) ロウエンシュタイン兄弟 監督
『ウーザット』(イギリス) ダレン・ウォルシュ 監督
『リップ・シンクロ“ネクスト”』(イギリス) バリー・パーヴス 監督
『リトル・ウルフ』(イギリス) アン・ヴロムバウト 監督
『スウィング・イン・ザ・シーソー』(ブラジル) タニア・C・カンサド・アナーヤ 監督
『ルクソーJr.』(アメリカ) ジョン・ラセター & ウィリアム・リーブス 監督
『木を植えた男』(カナダ) フレデリック・バック 監督
 映画の楽しさ面白さに魅せられ、自主上映活動に携わるものの一人として、映画という表現の持つ幅の広さ豊かさと、より多くの人たちが出会える機会があるということは、とても嬉しいことだ。今回、県立美術館が「アニメーションってすごいんだよ!」という夏の定期上映会のテーマのもとに、国際アニメーションフェスティバル広島大会のベストセレクションと銘打って上映したプログラムの作品群は、まさにアニメーションという表現の持つ幅の広さと豊かさ、可能性と出会える好企画だった。
 一般にアニメというと、いわゆるTVアニメなどのセル動画のことだと思われがちだが、ゲストであった同フェスティバル・ディレクターの木下小夜子さんの話にもあったように、アニメーションというのは、アニマ即ち魂を与え、命のないものを生きているように動かして見せるということだ。今回上映された作品群は、人形を使ったもの、写真を使ったもの、コンピューターを使ったものなど多様であり、描かれた絵であってもその手法は多岐に渡っている。内容的にもストーリー性やメッセージのはっきりしているものから図形の変化や動きそのものを見せるものまで、まことに幅広い。

 そういった作品群のなかでいくつか、特に僕の印象に残った作品に触れると、まずは、第三回大会カテゴリーF(上映時間が五〜十五分の作品)で第一位になった、『バランス』[ロウエンシュタイン兄弟作品/旧西ドイツ]となろうか。五人の男たちが宙を漂う台の上を動く姿を表わした人形によるアニメーションだ。
 台のバランスを保つためには、すべての男たちがその台に掛ける重量を均等にしなければならないのだが、ある男が手に入れた重い箱を巡って皆がそれに触れようとし、そのうち自分だけのものにしようとし始める。誰かのもとにその箱が留まるためには、誰かが犠牲となってバランスを保ってやらないと台そのものが転覆してしまう。危ういバランスのもとで男たちは、様々な駆引とともに動き回り、箱もあちこちに移動する。次第に争いとなり、独占するために競争相手を台から落し始め、結局最後に残った男は、自分が台のバランスを保つために一歩も動けなくなり、箱を手に入れることができなくなって終る。
 台の上の五つの人形というシンプルさのなかで、ひとことの言葉も使わず、動きだけで丸ごと人間社会ないしは国際政治を語ってしまう。人形の動きが微妙に面白く、非常にシャープで切れ味の良い、アニメーションならではの作品だった。このような社会風刺の効いた作品が中国にもあるということを教えてくれた『スーパー石鹸』[アー・ダー、マークー・シアン作品]も興味深かった。
 第一回大会カテゴリーB(デビュー作品)で二位となった『花鳥風月』[島村達雄作品]は、ハイテックな映像感覚と日本の伝統的な美意識・自然観の調和バランスの絶妙さが観ていて気持ちが良く、同じくカテゴリーBの第五回大会二位作品『スウィング・イン・ザ・シーソー』[タニア・C・カンサド・アナーヤ作品/ブラジル]は、わずか四分三十秒の映像展開のなかで見せた一粒の涙にドラマチックなゆらめきを宿らせることに成功していた。
 表現手法として新鮮な興味を引いたのは、第五回大会国際審査委員特別賞受賞の『ウーザット』[ダレン・ウォルシュ作品/イギリス]。人間にその表情を極端に誇張したマスクをわざわざ付けさせてアニメーションで表現することによって、アニメーションにおけるカリカチュアの重要性と効果を再認識させてくれた。また、電気スタンドの親子がボールと戯れる『ルクソーJr.』[ジョン・ラセター、ウィリアム・リーブス作品/アメリカ]は、わずか二分七秒の作品だが、動き(動作)というものがいかに豊かに感情を伝えるものであるのかを改めて教えてくれた。

 時間芸術と言われる映画のなかでも、実写がキャメラによって切り取った時間の加工と再構成であるならば、アニメーションというのは時間そのものの創造だと言えるのではなかろうか。だから、現実には到底あり得ないような動きを現出させることができる。また、実写はキャメラの前に現に存在し得るものしか映像にできないが、ドローイングによるアニメーションは遥かに自由に描ける。それゆえに、現実感は実写に及ばないが、実写ではなかなか適わないシンボリックなインパクトを持ち得るように思う。
 そういったアニメーションの持つ可能性を幅広く豊かに親しみやすい形で、今回の美術館夏の定期上映会は提示してくれたのではなかろうか。そのような出会いと発見の機会をより多くの人々に提供していくのは、芸術文化の総合的発信基地として期待される高知県立美術館の公立文化施設本来の役割でもあろう。その意味で今回の上映会が定員の七割を越す観客を動員したことは、とても喜ばしいことだった。
by ヤマ

'95. 8.13. 県立美術館ホール



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