『パッション』をめぐって
咆哮」:シューテツさん
TAOさん
飽きっぽい女のブログトライアスロン実験」:タンミノワさん
ヤマ(管理人)


  No.4807から(2004/08/30 23:28)

(シューテツさん)
 ヤマさん、こんばんわ。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、シューテツさん。

(シューテツさん)
 こんな言い方は、多分ヤマさんは嫌がるだろうと思いますが、大変勉強になりました。(笑)

ヤマ(管理人)
 御配慮のうえ、そのように仰っていただくと、過分のお言葉として、恐縮しつつも有り難く頂戴いたしますよ(笑)。

(シューテツさん)
 実は、私この作品全く理解出来なかったのです。(涙・涙)
 勿論、私が信仰心もなく宗教に殆ど関心がないというのもあるのかも知れませんが、それにしても何を描いているのか、全く????状態なのには自分でも情けないくらいでした。(と言いながら、不思議と聖書関連の作品は結構観ているのですけどね。そして、いつもよく解からないf^_^;;)なので、今回の日誌は個人的に凄く参考になりましたよ。

ヤマ(管理人)
 拙日誌が触発のヒントになったのであれば、それに勝る喜びはありませんよ(礼)。お伝えくださり、こちらこそ、ありがとうございました。

(シューテツさん)
 宗教って実は「教え」そのものよりも、どうそれを「伝えられるか」の方が重要なのではと考えさせられました。

ヤマ(管理人)
 なるほど、なるほど。これは面白い触発をいただきました。人の人格と存在感というのでも、それは言えますね。

(シューテツさん)
 宗教なんて教えそのものは単純だし、それほど難しい事ではないというのが前提で、

ヤマ(管理人)
 同感ですね。深くはあっても複雑ではないはずですよね、本来。教義とかいってヒエラルキー構造を求め、権威化させようとしてくると、わざわざ難しくしていっちゃうようなとこはあるように思いますが(笑)。

(シューテツさん)
 それより様々な弊害を乗り越えて、それをどのように浸透させるかの方法論こそが宗教だという事に、ヤマさんの日誌を読んで今更ながら理解できましたよ。

ヤマ(管理人)
 拙日誌から、そのような触発を得ていただけて、とても光栄です。キリストの奇跡を僕が信じているようなところがあるというのは、まさに、そこのところなんですよね。ありがとうございました。

(TAOさん)
 ヤマさん、こんにちは。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、TAOさん。

(TAOさん)
 『パッション』ごらんになれたんですね。ヤマさんの日誌を読みながら、もはや懐かしい気がして、あれほどの映画でも数ヶ月も経つと見たときのショックが薄れていることに新たなショックを覚えました。

ヤマ(管理人)
 僕も多分そうなるんじゃないかと思いますよ(笑)。ショックといった生々しいものをそのまま持続させるのが、風化させないということでは決してありませんよね。食品だってそうですが、生のままじゃ日持ちはしないのが相場というもので、腐る前にキチンと加工して保存食にしなくっちゃね(笑)。
 逆に言えば、その保存食としての加工作業を怠ることこそが、風化を招く原因でもあるように思います。

(TAOさん)
 もし、まるで薄れなかったら日常生活に差し支えるので、健全な反応なのかもしれませんけども(笑)。

ヤマ(管理人)
 おっしゃるとおりです(笑)。
 今回の僕の鑑賞では、映画館で信仰者と思しき方々の啜り泣きとともに観られたというのも、映画体験としては、個人的に非常に有意なものでした。

(TAOさん)
 不思議なもので、映画というパッケージ化されたメディアも、いつどこでどんな人と見るかによって、体験の内容が変わりますよねえ。

ヤマ(管理人)
 ほんとにねぇ。食事にしてもそうですが、時として、TPOのほうが料理自体の出来の絶対値を凌駕しますよね。もはや遠い記憶だけれど、母親以外の女性が自分のために作ってくれた食事というものを初めて口にするときなぞ、もう無条件にうまかったりするわけで、…

(タンミノワさん)
 これ、身に覚えアリです。私は自分の作った料理ってのが、おいしく感じないんですよ。もう。どんなに上手に高級素材を使っても。なのに、単なるお味噌汁でも、人が作ったモノはおいしい。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、タンミノワさん。
 「これ、身に覚えアリ」って仰るから、てっきり自分ではイマイチだと思ってた料理をびっくりするくらい美味しそうに食べてくれたってな話かと思いきや!「単なるお味噌汁でも、人が作ったモノはおいしい。」っちゅうことは、食べる側での話だったんですね~(笑)。
 この料理のことを映画で言えば、それがアート系であろうが、ベタなメロドラマであろうが、アクションだろうが、アニメ、実写、ドキュメンタリーの区別なく、しかも出来の如何さえも関係なく、「間違いなく傑作だ!」と確信しちゃうだろうってことになりますよね(笑)。で、それって決して嘘でも誤りでもないんですよ。

(TAOさん)
 ビデオやDVDでさえそうですよ。いや観衆が少なくなる分、同伴者の比重が大きくなって、一緒にみる相手がノリノリであれば、こちらも引き込まれやすくなるし、逆のケースも大いにありうるのです。

ヤマ(管理人)
 なるほど。知らない人でもないのが普通だから、そういう面でも比重大ですね。それほど重くなっちゃうとリスキーでもあるわけですが(笑)。

(TAOさん)
 誰とみるかによって場の空気が変わるし、脳の受容体の一部を共有してしまう、というか。私は自宅のTVモニターで夫や友人などと共に見るのもかなり好きなのですが、夫が嫌いそうな作品は、ひとりでこっそり見るようにしています(笑)。

ヤマ(管理人)
 賢明な選択ですね(笑)。

(タンミノワさん)
 映画でも食べ物でも、人生でも誰と、どこで、ってのは、やはり重要ですねえ・・

ヤマ(管理人)
 ほんとに、ほんとに。まぁ、こればっかしは巡り合わせとしか言いようがないってとこありますけどね。それだけに、映画との出会いにしても、人との出会いにしても、御縁というものは活かしたいものですよね。  この映画にしても、目を背けたくなるような凄惨さといった声を聞き及ぶことへの予想は想像にも難くない作品でしたが、映画館で観ることで、その凄惨さに対して切羽詰まった感情を誘発されている人々を何人も感じつつ観ることになるとまでは思いも掛けてませんでした。このおかげで得られたものって、とても大きかったような気がします。
 やはり映画は、スクリーンで他の人たち共々観るべきものだと改めて思いましたね。

(TAOさん)
 昨日は誰も知らないを見て、タンミノワさんじゃないけど、私も情緒不安定になりかけるほど心の深い部分をゆさぶられたのですが、これもまた薄れていくのだろうなあ。虚しいような、そうでないと困るような(苦笑)。

ヤマ(管理人)
 生のままじゃ腐るだけですから、保存食に加工してっていうのは、TAOさんのことですから、既にお得意の領域にあろうとは思います(笑)。生の味は生の味として、時々の収穫作業を怠らずには得られないものですよ(笑)。
 それにしても、そうですか、深い部分を揺さぶられましたか。『誰も知らない』は、ますます以て観逃せない作品ですね。まぁ、これだけ当たってれば、きっとこちらでも上映されるでしょうけど。

(TAOさん)
 私は是枝監督は『幻の光』を公開時に見たきりで、上品だけど、線が細いなと生意気にも思ってましたが、繊細なまま深みを増して、たいへんなことになっているのでした。

ヤマ(管理人)
 ほっほぅ~、『誰も知らない』は、そんなに凄いことになってるのか! しかと、この目で見届けたいものですな~(笑)。

(TAOさん)
 ええ、もうぜひ。

ヤマ(管理人)
 『幻の光』は、自分たちで上映した作品でもあるんですよ。僕は、他にワンダフル・ライフディスタンスを観ていて、TAOさんの御覧になってない二つについては、日誌も綴ってます(笑)。僕なんか、線が細いどころかもっと酷いことに「切実さを欠いた小賢しさ」なんてこと言ったりしてます(苦笑)。

(TAOさん)
 はは、それをきいてほっとしました(笑)。

ヤマ(管理人)
 今回、その偏見を払拭してくれるかもしれないとなれば、それもまた楽しみなとこです(笑)。『ディスタンス』の日誌に綴った終わりの二段落は、場合によっては、今回の『誰も知らない』にもそのまま使える可能性がありますからね(笑)。

(TAOさん)
 ヤマさんの日誌を拝見すると『ワンダフルライフ』と『ディスタンス』は、私の危惧したとおりになってたようですが(笑)、少なくとも、今回の作品に「小賢しさ」という言葉は無縁です。
 80年代にすでに構想をもち第一稿を書きながらずっと温めていたテーマだそうですから、寝かせた分だけ発酵が進んだのかもしれません。

ヤマ(管理人)
 としたら、時間の経過のなかで、老若男女の如何を問わず誰か彼にとってパーソナルに重要な人物との出会いと関わりがあったのかもしれませんね。

(TAOさん)
 人間ってこんなに成長するものなんですねえ。で、そのあいだに自分は成長したんだろうか、とつい我が身を振り返って、映画の内容そっちのけに動揺したりして(苦笑)。

ヤマ(管理人)
 僕なんか、二十代からろくに成長していない自分をしばしば感じて、既に動揺さえ来さなくなってますよ(とほほ)。

(TAOさん)
 ふふふ、ヤマさんの場合は、人生のかなり早い時期に、ヤマさんという人格ができあがってしまったようですもんねえ。

ヤマ(管理人)
 そうなんでしょうかねぇ(苦笑)。
 だとしても、それもまた功罪ともにあって、何事もいいとこ取りってわけには、なかなかいかないとしたもんですよね(笑)。

(TAOさん)
 あれ、『パッション』から脱線してしまいましたね(笑)。
 ヤマさんの日誌の「マリアが床の血を必死で拭うシーンの指摘」で思い出した作品があります。

ヤマ(管理人)
 ここんとこにも目を留めて下さいましたか。嬉しいですね。

(TAOさん)
 『ブラックホークダウン』の終盤で、サム・シェパードが部下の遺体から流れ落ちた血を泣きながら懸命に拭うシーンがとても印象的だったんですよ。

ヤマ(管理人)
 僕は『ブラックホークダウン』は観逃しているのですが、そんなシーンがあったのですか。人の動作のなかでも「拭う」という行為には、文化的にも心理的にも非常に意味深長なものが潜んでいますよね。

(TAOさん)
 あれは、部下を失った指揮官というよりは、我が子を失った「母」の姿でした。

ヤマ(管理人)
 なるほどねぇ、サム・シェパードがねぇ。観逃すんじゃなかったな~(とほ)。

(TAOさん)
 男の中の男みたいな人と母性のミスマッチが面白いでしょう? でもこれは、ヤマさんの『パッション』を読んだからこそ思い至ったことで、なんだろう、この違和感は、と心にひっかかっていたシーンでした。
 貴重な発見をさせていただいて、ありがとうございます。

ヤマ(管理人)
 これも嬉しいお話です(礼)。別の作品での違和感として引っ掛かってたシーンについての新たな発見を拙日誌が触発し得たなんて、大きな果報です。
 こちらこそ、ありがとうございました。
by ヤマ(編集採録)



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