『サイクリスト』(The Cyclist) &『ギャベ』(Gabbeh)
監督 モフセン・マフマルバフ


   足掛け十七年、僕も運営委員の一人として関わってきた高知映画鑑賞会が、ほぼ四半世紀にわたる活動の幕を閉じる最終回の上映作品として選んだのが、モフセン・マフマルバフ監督の二本だった。“パラジャーノフを思わせる豊かな色彩、フェリーニのような幻想的な映像、ゴダールを彷彿とさせる実験的な技法”とチラシに謳われたのが、あながち、とんでもない見当違いとも思えない力に圧倒された。ことに『ギャベ』は圧巻であった。

 彼の6作品目にして、記念碑的作品ともなった『サイクリスト』は、イラン映画のある種のスタイルとも言えるシンプルで骨格の太い構造を持った作品だ。隣国アフガニスタンからの難民ナシム(モハラム・ゼイナルザデ) が妻の入院費を稼ぐために一週間不眠不休で自転車に乗り続けようとするだけの話だが、冒頭の曲乗りバイクの大桶の底から映し出される空の青さが鮮烈だった。自らの記録でもあった三日目に一度ダウンした時点では、この賭けにまつわるみんなの利害が一致していて、腰砕けるように中断させたくはない助力によって、本来はルール違反ながらも続けることになる。しかし、人間としての限界は、やはりこのときまでだ。翌日からのナシムの乗車は、ほとんど神へと到る道程であるかのようだ。  いつの時点で彼が中断するかによる利害が、次第に分かれてき始めた周囲の人々の思惑によって、さまざまな工作や駆け引きがおこなわれるのだが、彼は、既にそういった周囲の状況を超越し、ひたすら自転車を漕ぎ続けるだけの“行”のような行為に純粋化していく。その対比がどこか宗教的で、さすがは神の国の映画ではある。そして、ナシムが自転車に乗り続けている間に、まるで奇跡が招かれたかのように、冷遇されていたアフガン難民たちの労賃の相場が、次第に上がっていったりする。遂には周囲の総ての状況が自転車漕ぎを止めるべき事態に至っても、やめることが出来ずによたよたと漕ぎ続けていた。
 なんだか近年の高知映画鑑賞会の活動状況を象徴しているようにも思えて心穏やかならざるものを覚えたが、そういう意味では、最終回の更にまた最終上映にふさわしかったのかもしれない。

 『ギャベ』もまた、イラン社会でのマイノリティとおぼしき遊牧民カシュガイ族を描いた作品だが、『サイクリスト』から十年を経ずして、とんでもなく鮮烈な格調の高さに到っていることに驚かされた。
 ほぼ万人の目を奪うことが間違いないと思われる色彩の豊かさに瞠目し、人生は色だと訴える教室からの映像展開には刮目させられる。チラシの惹句になぞらえて言えば、パラジャーノフの豊かな色彩も見事だったが、パラジャーノフよりも素朴な筆致で親しみやすく、ゴダールの実験性のように頭でっかちではなく、原初的な力が漲っている。フェリーニの幻想のように生臭くなくて、人間を大きく包みこむ自然の力が気持ちいい。遠吠え爺さん(ホセイン・モハラミ) のキャラクターが面白く、若かりし頃に駆け落ちまでしたカップルの老いての姿に向ける眼差しもユーモラスで微笑ましく、そして、ちょっぴり苦い。
 イランの映画というと、その土地柄からか、街でも田舎でも妙に埃っぽく、乾いたイメージが強かったのだが、こんなにふんだんに緑と水が登場し、強調され、雪まで積もっていたのは、えらく新鮮だった。とりわけ、せせらぎで絨毯(ギャベ)を洗うシーンでは、丹念に織り込まれた絨毯に込められた人生のドラマのうえを流れる水が、あたかも人生の時の流れを感じさせ、味わい深い。
 それにしても、豊かな色彩で目を奪いながら、アクセントとして強く印象づける黒を演出したギャベ(ジャガイエグ・ジョタト) の濃く太い眉は、彼女の生来の眉毛だったのか、色彩設計上のメイクだったのか、妙に気になっている。

推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/special/kanshoukai2.html

推薦テクスト:「楽園計画」より
http://www.din.or.jp/~felice/cinema/review/gabbeh.html
by ヤマ

'01. 3. 2. 県民文化ホール・グリーン



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―