東京国立近代美術館フィルムセンター平成15年度“優秀映画鑑賞推進事業”Oプログラム

①『大江戸五人男』('51年・松竹) 監督 伊藤大輔
②『銭形平次捕物控 人肌蜘蛛』('56年・大映) 監督 森一生
③『旗本退屈男』('58年・東映) 監督 松田定次
④『赤穂浪士』('61年・東映) 監督 松田定次
 昭和26年から36年の邦画隆盛期の十年間の娯楽時代劇を製作会社も分散させてバランスよく観ることができ、大いに満足した。こういう作品群をスクリーンで観る機会は、地方都市在住者には滅多なことでは訪れない。
 それにしても、四作品中三作品に大きな顔の市川右太衛門が登場していて圧倒的な存在感だ。東映の二作品では相対する横綱格として片岡千恵蔵が据えられているのだけれど、顔の大きさでも台詞廻しでも豪快な高笑いでも、凡そ日常性を突き抜けている右太衛門の存在感のほうが今となれば上回っていることが明らかな気がする。生身の加減が凡そ図りがたい銀幕のなかでの存在としての際立ちが千恵蔵を凌駕しているように感じた。

 脚本の妙味が抜き出ていたように思うのが『大江戸五人男』だった。五人男というのは、阪東妻三郎の幡隋院長兵衛、市川右太衛門の水野十郎左衛門のほか、白井権八、魚屋宗五郎といった江戸文化の浄瑠璃・歌舞伎・読本等で名を馳せた男たちを指すのだろうが、映画が作られた当時はおそらく極一般に誰もが“五人男”を了解したはずなのに、僕には残る一人が誰なのか見当がつかない。日本の伝統的な文化というものについての一般常識の水準が時代を下るに従って恐ろしく貧弱化してきていることが身に沁みる。それと同時に、映画の設え方のせいであるとも思った。題名を五人男としながら、映画のなかでは、その男伊達を印象づける描き方がされているのが、妻三郎と右太衛門の演じた二人に特化されているからだ。そういう意味では、作品タイトルの趣旨が解せない恨みはあったものの、怪談「番町皿屋敷」の元ネタは、こういうことだったのかと思わせるような虚実の妙味を施す形のエピソードに仕立てあげて、白井権八の仕掛けた劇中劇として「播州皿屋敷」を山崎屋に演じさせ、お菊のモデルになった水野家の腰元おきぬの兄を魚屋宗五郎として取り込むなどの意匠を凝らしていて、見事にそれが効いている。
 そうしたうえで、物語の主軸となっているのは、播州を舞台にしないほうの皿屋敷を劇中劇に置きながら敢えて赤穂浪士よろしく播州の名を取ってきているように、大権現以来の公理たるはずの“喧嘩両成敗”が等しく講じられない旗本奴と町奴の喧嘩に異議申し立てを行う町奴の親分たる幡隋院長兵衛の男伊達なのだ。胆力と思慮深さを併せ持つ長兵衛を演じている坂東妻三郎の渋みが見事で、さして際立つ面立ちとは思えないながらも一世を風靡しただけの役者の貫禄というものに納得しないではいられない。そういう点では、ちょうどハンフリー・ボガードに相通じるものがあるような気がする。
 そういうなかで特に僕の目を惹いたのは、単純な勧善懲悪的な構造に留まらない人物造形だった。有意の任侠の徒を自認する長兵衛に、世の理不尽に対する町人の頼み綱としての自負を与える一方で、結局は喧嘩騒動を起こして庶民に迷惑を掛けているに過ぎない面を自嘲させたり、彼とても、直参旗本を束ねる白束組頭領の水野との対峙に際しては、若衆白井権八(高橋貞二)の仕掛けた芝居人気の騒動に巻き込まれ乗せられる形でしか動けなかったとの展開を与えているし、おきぬを殺め、結果的に長兵衛を湯殿でだまし討ちにする形になる水野には決して悪役に堕することのない器量を与えつつ、偏狭な武家の了見というものの犠牲者でもあるかのような人物造形を施している。そのうえで、両者に共通していたのは、若衆の思慮の足りない仕掛けであれ、組仲間の旗本近藤登之助(三島雅夫)の邪悪な扇動の結果であれ、頭目として状況を背負って逃げを打たない気っ風というものだ。責任回避や転嫁に汲々とするトップが多いのが人の世の常なればこそ、二人の潔さが頗る格好がいい。それにしても、近藤を演じた三島の憎々しいまでの下衆ぶりは見事だった。

 次に観た『銭形平次捕物控 人肌蜘蛛』は、大映作品らしい妖しの映像造形が見事だった。とりわけ隠し米の俵が崩れた奧から現れた、縛られ吊されたお品(山本富士子)の姿は鮮やかだ。祭りのシーンに代表される邦画隆盛期の当時ならではのローテクな豪勢さによる明の部分が効果的に働いて、作品の基調とも言うべき明暗の対比が効いているように感じた。
 謎解きものとしては極めて非論理的で、見込み捜査に他ならない銭形平次(長谷川一夫)の眼力の正しさが総てといった案配なのだが、趣向のための趣向だとは承知しても、随所に凝らされた大仕掛けが現実離れしているだけに却って楽しめる。

 『旗本退屈男』は、市川右太衛門の三百本出演記念作とのことだった。ちょうど今『ゼブラーマン』が哀川翔の主演百本目ということで大々的に宣伝されていることからすれば、桁違いとも言うべきもので、当時の邦画の勢いと右太衛門の傑出ぶりが偲ばれる。僕が生まれた年に制作されたこの作品は、中村錦之助が若造の手下“揚羽の蝶次”を演じている頃合いで、里見浩太郎、北大路欣也らを端役に従え、片岡千恵蔵、大河内伝次郎、月形龍之介、大友柳太朗、東千代之介、大川橋蔵、山形勲、進藤英太郎ら、山形勲を除いて僕が同時代ではその活躍ぶりを垣間見る形でしか知らない役者たちが盛大に集っていた。
 この映画での最大の見所は、千恵蔵扮する憂国の大名伊達忠宗が右太衛門扮する早乙女主水之介と終盤相まみえるシーンだ。遊興三昧で己が家中のお家騒動にも気づかぬぼんくら大名に見せかけて、奸計を真に受ける徳川幕府の愚を嘆き、謀反を起こすべく家臣の信義のほどを測っていた忠宗が、乗り込んだ主水之介に「頭が高いっ」と一喝して睨み合いを始める眼力勝負の場面で双方のクローズアップのカットが交互に延々と繰り返される。相手の器量を見据えるような眼差しに二人の千両役者が微妙に変化を加えながら、堂々たる貫禄を見せる。今の日本の映画界でこういうシーンを背負える役者がいるだろうか。思いつかない。おもむろに将軍直々の命による葵の紋入りの書状を取り出し、伊達公ともあろうものがかような蒙昧に陥るとは思えないとの上意で自分が真偽のほどを確かめにきたのだと語る主水之介の所作がまた堂々たるもので、すっかり感心していた。

 『赤穂浪士』もまた、オール・キャストの豪華さが観応えのある作品だった。セットや美術、撮影の贅沢さも相まって大作の名にふさわしい出来映えだ。長大な物語の要所要所を手際よく繋ぎながら、ダイジェスト的な大味感を残さないのは役者の器量の充実もあろうが、もののふ同士の漢の心を忖度して通い合わせる男の美学というものに焦点を絞ってぶれない骨格の確かさゆえだったような気がする。浅野内匠頭(大川橋蔵)と脇坂淡路守(中村錦之助)、大目付多門伝八郎(進藤英太郎)から始まって、内蔵助(片岡千恵蔵)の心底を測りかねる家中の義士を含め、忖度を器量の証とする美学に根ざした視線で貫かれている。内蔵助と甥の堀田隼人(大友柳太朗)、江戸入りに際して内蔵助が名を騙った立花左近(大河内伝次郎)との対面場面のエピソードもまさしくそのためにある。そして、その頂点にあるのが内蔵助と千坂兵部(市川右太衛門)なのだろう。
 遊興に耽って真意を悟られないよう振る舞う内蔵助を先の伊達忠宗と同様に、片岡千恵蔵が演じているのだが、籠城・自決・開城から遊興に耽るめくらましに至るまで、全ては山鹿素行門下で共に研鑽に励んでいたときに二人の間で想定戦略として練った密かに主君の仇を討つための計略通りに事を運んでいると承知した千坂兵部が井戸端で「くらぞうが裸でぶつかって来おる」とよろめく右太衛門の名場面とともに、“表六にも足らぬ兵五”との渾名で内蔵助の嫡男主税(松方弘樹)の元服名を討ち入り前に届けたりする兵部と内蔵助の間柄に濃密に込められていた。
 僕自身は、基本的に忖度の美学などという体裁ぶったものが嫌いで、それが往々にして組織社会の上位者の都合のよさのために美化して強いられる傾向にあることなどには虫酸の走る思いがする。例外的に、心ならずも対立関係に置かれた者同士に限って許容できるのみだ。しかし、男文化の底流に脈々と流れていることを痛感することが多いにつけ、この『赤穂浪士』という作品に、それがいかんなく発揮されていることに感心した。そして、忠臣蔵が根強い人気を博していること、それは今回の四作品をとってみても三作品に何らかの形で影を落としていることでも偲ばれるのだが、そこのところに今に至る根深いものが潜んでいるような気がする。
by ヤマ

'04. 2.29. 夜須町公民館マリンホール



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