『フリーダ』をめぐって
TAKUMIさん
咆哮」:シューテツさん
TAOさん
ヤマ(管理人)


  No.5017から(2004/11/07 10:01)

(TAKUMIさん)
 こんにちは、TAKUMIです。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、TAKUMIさん。

(TAKUMIさん)
 DVDで『フリーダ』を観ましたら、ヤマさんの所に感想がありましたのでお話にきました。

ヤマ(管理人)
 ありがとうございます。インデックスのほうから辿ってくださったんですね(礼)。

(TAKUMIさん)
 伝記物語や、事実に基づいた事件を映画にしている作品を観る時は私の場合ちょっと覚悟が必要です。本来の真実に自分の目が眩ませられないように用心してしまう傾向があるみたいで。

ヤマ(管理人)
 作品としての表現力か、素材自体の持っている力か、幻惑されるってことですね。確かに仰るとおりだと思います。でも、批評的立場でなく享受者としてなら、どちらの力で満足を得ても何ら不都合はないように思いますし、「トータルで作品の力」ではあるように僕は思いますよ。

(TAKUMIさん)
 ああ、そうなんですね。事件やらその当事者への嫌悪感などが先に立ってしまった場合だと、作品中の解釈と自分の解釈のギャップで、観ていて疲れてしまうのですね。

ヤマ(管理人)
 そういうことでしたか。自分が予め持っているイメージと異なる前提で解釈を提示されたら、確かにギャップに折り合いを付けるところに疲労感が生じますよね。

(TAKUMIさん)
 その点、フリーダ・カーロは私にとって未知の女性だったから、すんなりと作品に溶け込めたということなのでしょう。この『フリーダ』に関しては「絵は口ほどにものを言い・・・」って感じで彼女の絵画の中にすべての答えが見出せるような作品でした。

ヤマ(管理人)
 そうですね。映画のなかでも、その絵画作品自体が非常に有効に使われてましたね。作り手の絵画作品に対するリスペクトが充分に窺えたように思います。

(TAKUMIさん)
 映画のストーリーはある意味、その絵をフォローする為のもので主役は強烈なメッセージ性のある絵画の中に込められているように感じました。

ヤマ(管理人)
 そうなんですよ。ですから、展覧会の併設企画上映作品として非常に有効な作品でしたね。絵画作品を楽しみ解するうえで大いに役立つ映画で、この映画を観てのち、絵を観直すと一層感じるところが大きくなるような作品でした。

(TAKUMIさん)
 そうでしょうね。私も映画を観た後、「とにかく彼女の作品を観なければ!」って気分 にさせられましたもの。普段絵画には、ほとんど縁のない私までそういう気持ちにさせるのだから、映画の力は大したものです。

ヤマ(管理人)
 映画には、絵には描ききれない具体のドラマが綴られてますからね。

(TAKUMIさん)
 ヤマさんも書いておられるように、彼女の絵は「精神的苦痛から逃れられないなかでの彼女の内面的現実そのもの」でしたね。

ヤマ(管理人)
 ご賛同、嬉しく思います。

(TAKUMIさん)
 逆に言えば、交通事故とリベラのも出会いは彼女の芸術にとって必要不可欠の二つの要素とも言えるでしょう。彼女の絵はそういった人並みはずれた経験なしには生まれ得ないものばかりでしたものね。

ヤマ(管理人)
 通常の感覚ではないように思いますよね。あれだけ強烈な体験を重ねていたのか、というのも凄いところなのですが。

(TAKUMIさん)
 「作り手がフリーダを実のところはシュルレアリストの画家だとは観ていないことを主張しているような気がしないでもない。」とヤマさんもおっしゃるように、私自身もあの絵は彼女のおかれている現実そのもので、決して「現実離れした空想の世界」ではなかったように感じます。

ヤマ(管理人)
 ですよね。それだけに彼女の強靱さには驚嘆するとともに、絵画という捌け口があったからこそ持ちこたえたようにも思えるところがあります。

(TAKUMIさん)
 映画の中のフリーダは、自分の絵に対しては「個人的な絵画」と言って世に広めようという野心がなかったのもそういった意味では納得です。ただ、あの自由奔放な彼女の理想が「夫に尽くし、そうして夫に愛される良い妻」だったというところに多少のギャップを感じるのも事実。

ヤマ(管理人)
 この点については、僕は、その多少のギャップというか違和感により、実は、彼女の理想がそれだったとは受け取ってないところがあります(あは)。


-------リベラとフリーダの関係-------

(TAKUMIさん)
 リベラがどの程度の芸術家だったのかは私は知りませんが、彼女の人生を賭けるべく才能をフリーダは彼に見出していたか、あるいは彼女自身が自分の芸術にそれほどの自信がなかったのか・・・。時代やお国柄もあるのでしょうけれど、ああいった女性は「妻」の枠に収まらず、どんどん自立して社会に出て行くべきだよなぁ〜、と余計なおせっかいで思ってしまいました。

ヤマ(管理人)
 僕は、彼女がリベラから離れなかったのは、彼の才能に生涯を賭けていたからとか、自分の才能に自信がなかったからというのではなくて、彼女の創作の原動力そのものだったから離れようがなかったということではないかと思ってます。決して「夫に尽くし、そうして夫に愛される良い妻」として離れなかったわけでもないように思うのです。ですから、日誌に「訣別できないのは、フリーダをフリーダたらしめる世界を拓き教えてくれるのが常にリベラであったことを骨身に泌みて知っていたから」と綴ったのでした。

(TAKUMIさん)
 才能豊かで魅力的なフリーダが、あれだけ踏んだり蹴ったりな仕打ちを受けてなおかつあの男のもとに留まるっているというのは同じ女として「何だかなぁ〜」とか思ってしまったのですけれどね(苦笑)。

ヤマ(管理人)
 えぇっと、ですね(笑)、こういう不条理というか理不尽に釈然としない気持ちは、きっと女性以上に男のほうが強い気がするんですよ。ほとんど妬みなんですが(笑)。あんな好き勝手しても女性が離れていかないなんて、僕なんかに許されようはずがないでしょ。まぁ、それをあまり不条理・理不尽と騒ぎ立てると、TAOさんの御指摘じゃありませんが、自分にはそれだけの魅力がないという事実と向き合ってないってだけの話にもなりそうで、ヤバいんですが(笑)。

(TAKUMIさん)
 結果として、フリーダの絵画はすべてリベラとの関わりの結果もたらされた出来事がモチーフとなった作品群なので、ヤマさんおっしゃるように「彼女の創作の原動力そのもの」には違いありませんね。苦境の中でのみしか生まれ得ない芸術というのもあるのでしょうかね。

ヤマ(管理人)
 おっしゃるように現に結果としてそうなんであって、もしリベラなしでも彼女の才能は、開花し得たんでしょうかね。このあたりには、事実として検証の余地がないので、何とも言えませんが、そのあたり「苦境の中でのみしか生まれ得ない芸術というのもあるのでしょうかね。」というような感慨をTAKUMIさんがお持ちになることに繋がりそうですし、そのことに僕も共感を覚えます。

(TAKUMIさん)
 それにしても、リベラというのも不思議な男性。

ヤマ(管理人)
 全くです! しかもけしからん(笑)。

(TAKUMIさん)
 容姿については映画の中でも「象」だの「太鼓腹」だの散々な言われようにも関わらず、「彼は魅力的で女にモテる」と第三者をして何度もセリフに出てくる。

ヤマ(管理人)
 ここんとこが最もけしからんのです(笑)。二枚目がモテるのより不都合なんです!(笑)

(TAKUMIさん)
 いや〜、いつも、冷静沈着なイメージ(と私は思っていました)のヤマさんがこんなに熱くなるなんて! これはこれで新鮮な驚きですわ(笑)。

ヤマ(管理人)
 あ、やっぱりTAKUMIさんもなんだ(笑)。
 え〜、この熱くなるあたりのところにつきましては、トップページ下段枠外の「*DAY FOR NIGHT の夫馬さんが拙サイトへの三周年記念寄稿をして下さいました」というのを御覧いただけましたなら、「汗をかきながら夢中になって夏休みの収穫を残そうとする夏の日の少年」か「四方八方にツバを飛び散らかして、顔を赤くして語り尽くそうとする講談師」かということになっておるのですが、ね(笑)。

(TAKUMIさん)
 それにしても、こういう事を語りだすと、やはり根底に男女の見方の差っていうのが歴然としてくるのですね。

ヤマ(管理人)
 そこが男女で語り合うことの面白く味のあるとこですよね。

(TAKUMIさん)
 先日シューテツさんの所で『モンスター』の話をした時、媚びるのとおねだりが上手い、性悪で可愛い女の事をけちょんけちょんに貶しましたらシューテツさんに「男からすると多少の媚びもあったほうがいいのかなって、思わなくもありませんね。」などと言われてしまった。

ヤマ(管理人)
 はーい、僕ももちろんシューテツさんに与しますねー(笑)。

(TAKUMIさん)
 やっぱり私も同性には厳しいんだなぁ〜。

ヤマ(管理人)
 そらもう、ライバルですからね、敵より負けたくないもんでしょ、普通(笑)。

(TAKUMIさん)
 で、リベラの話。捨てられた元妻まで彼の世話を焼く始末。晩年のフリーダもあれだけ苦渋を舐めさせられたリベラに「誰よりも愛している」と言っている。

ヤマ(管理人)
 原作の評伝を綴った人が取材としてそう聞き取ったことは事実であったとしても、実際の事実は必ずしもそうではなかったりしませんかね〜(笑)。ほんとに彼の「魅力」だけやったの? って、ほかには事情なかったの? って(笑)。
 語られたことが実際の全てではないことはままあることですし、語られなかった事実が、語られないことで以て存在していなかったとも言えない面がありますよね。

(TAKUMIさん)
 彼の経済力や名声に女たちがたかっているというのが、一般的には一番ありそうな気もします。

ヤマ(管理人)
 そうそう。でもそれって、身も蓋もない話ですもんね(笑)。実際はそれもあり、加えての魅力もありってことなんでしょね。両方ないのは話にならないってことなんですよねー(苦笑)。

(TAKUMIさん)
 映画では経済力や名声でという感じではありませんでしたよね。

ヤマ(管理人)
 身も蓋もないことは、普通、人は語らないとしたもんです(笑)。

(TAKUMIさん)
 ヤマさんが日誌の最期の方で触れられているように、これはもう男女の恋愛というより相手を丸ごと引き受ける母性に近い愛情ですよね。だからこそ、ある意味マイナス面も含めた彼自身をそのまま受け入れることもできたのしょう。

ヤマ(管理人)
 そう解するよりほかありませんが、それにしたって引き受けさせるってのは凄いですよね〜。

(TAKUMIさん)
 彼は容姿はともあれ、母性本能を刺激する「可愛いくて憎めない男」であったのでしょうね。

ヤマ(管理人)
 この秘訣って何なんでしょうね。少なくとも映画のなかのリベラからは、僕は学習することができなくて残念至極です(笑)。

(TAKUMIさん)
 ああいう男性って結構いますよね。

ヤマ(管理人)
 なに!けっこういるって?
 聞いたか、シューテツさん、ただ事ではありませぬぞ!(笑)

(TAKUMIさん)
 私は趣味ではないですが(苦笑)。

ヤマ(管理人)
 どういう方がそういう男を趣味にされてます?  青い系? それとも熟し系? ここんとこ大事なんですが(笑)。

(TAKUMIさん)
 「悪気がなく、その場、その場で彼にとってはすべて真実」っていう所がポイントではないですか。

ヤマ(管理人)
 ふーむ、僕などは基本的に常にそうなんですけどねぇ。おかしいなぁ(笑)。

(TAKUMIさん)
 手練手管というのは、時間がたてば所詮見破られますからね。

ヤマ(管理人)
 もちろん、もちろん。手練手管なんて持ち合わせておりませんよ。

(TAKUMIさん)
 自覚の無い無邪気さが母性本能を刺激するモテる秘訣と私は思いますけれど。

ヤマ(管理人)
 「自覚の無い無邪気さ」ならあるんですってば、僕(笑)。Fさんの折り紙付いてますよ(笑)。でも、それがあっても、尚かつ「母性本能を刺激」しなきゃ功を奏しないわけですね。いい歳をして、効も奏しない無自覚な無邪気さって要は始末が悪いだけかもな〜(笑)。

(TAKUMIさん)
 でも、ヤマさんみたいに知的で、かつ見極めの利く方は、残念ながらその手は使えないと思いますよ(笑)。

ヤマ(管理人)
 仮に知的で見極めが利いたとしても、無自覚なる無邪気さというのは持ち合わせられなくはないものだとは思うんですよね。ただ必ずしも女性を刺激するとも限らないってことですよねぇ(笑)。


-------ジュリー・テイモアのグロ・テイスト-------

(TAKUMIさん)
 監督は舞台『ライオン・キング』の演出家のジュリー・テイモア、私は彼女の前作『タイタス』が大好きなのですが、

ヤマ(管理人)
 おぉ〜、僕もチラシを持ってて、観たいと思っていたのですが、観る機会を得ずに来ております。やはりいいですか(羨)。

(TAKUMIさん)
 私は絶賛しているのですが、賛否両論なのであまりオススメはできないかも。映画の作りが舞台仕立てなので、お芝居を観るのに慣れているヤマさんなら気に入っていたたけるかな。どちらにしてもかなりグロい映画ですので一般受けはしないようです(笑)。

ヤマ(管理人)
 僕は、けっこう間口広いんですよ(笑)。グロがダメってことは先ずありません。変態にも興味大ありです。

(TAKUMIさん)
 大学生の頃、授業をサボって誘える人もいない映画『ソドムの市』をこっそり三鷹の映画館まで見に行ったら、前の席にクラスメートが一人で座っていてお互いすごく気まずい思いをした事がありました。昔から私も結構なグロ好きなのでした(笑)。

ヤマ(管理人)
 これからはグロリストと呼んで差し上げましょう(笑)。ふ〜む『ソドムの市』ですか。僕も23年前に観てますよ(笑)。五年前には美術館特別上映会“パゾリーニ映画祭”「その詩と映像」で再見して日誌も綴ってますが、当時との印象は随分異なったものでした。
 それはともかく、その鉢合わせは何とも間が悪かったでしょうね。でも、鉢合わせと言えば、僕の友人に付き合ってる相手とラブホテルでそれぞれ別の相手とで鉢合わせたって話がむかし、ありましたねー。驚きもんでしたが(笑)。かな〜り、動揺したようですよ。
 それはそうと『タイタス』は、チラシのビジュアル的なとこで、感覚的に興味をそそられたんですよ。まして『フリーダ』くらいの作品を撮りあげる力量があると知れば、なおのこと観たくなりますね。

(TAKUMIさん)
 『フリーダ』は『タイタス』ほど芝居仕立ての演出は無かったものの、映像のパワーは健在。特に彼女の絵を現実の時の流れや、彼女の心情の変化に沿って微妙に変化させていく趣向などはとても新鮮に感じました。

ヤマ(管理人)
 ええ、とても観応えがありました。映像に豊かな情報と触発力が盛り込まれていたように思います。

(TAKUMIさん)
 それはともあれ、私自身はフリーダの本物の絵画は見ていません。

ヤマ(管理人)
 映画は御覧になったわけですから、そのうえでいつか御覧になると、きっと一段とよかろうと思いますよ。

(TAKUMIさん)
 この映画の上映の時、Bunkamuraで絵画展をやっていたような気もしますが、映画共々すっかり見過ごしていました。高知美術館での映画とのタイアップの企画はすばらしいですね。

ヤマ(管理人)
 ええ。日誌にも綴ったように、もうひとつの映画作品と併せて『二人のフリーダ』ならぬ二つのフリーダを見せてもらえると、なおよかったんですけどね(笑)。

(TAKUMIさん)
 『二人のフリーダ』はもちろん、とりあえず彼女についての本も読んでみようかと思っています。別のアプローチで近寄れば、フリーダがあの(笑)リベラに添い遂げた理由がより詳しく分かるかもしれませんものね。

ヤマ(管理人)
 そうそう。そこんとこに真摯なる探求心を抱いたのなら、多角的なアプローチを試みることが肝要ですよね。

(TAKUMIさん)
 それにしても、美術館がそういったことに力を貸してくれるなんて文化的水準の高い良い地方なのですね。

ヤマ(管理人)
 僕は開館時の職員でもありますので、そう言っていただけると非常に嬉しいです(礼)。

(TAKUMIさん)
 そういうわけでしたか! 何にでも造詣が深いヤマさんの原動力は、そういったお仕事の知識の積み重ねもあるですね。

ヤマ(管理人)
 いえいえ、一介の事務職員でしたから(それも在任期間一年)、仕事の知識とは全く畑違いですよ。仕事の知識は、美とか品性とかいった価値とは、むしろ縁遠い法令や規程に縛られた事務的なものですからね(笑)。

(TAKUMIさん)
 以前行った時はひたすら食い倒れ、飲み倒れで終わってしまって、文化を感じるゆとりも無かった私でしたが、 何だか勿体無いことした気分ですわ(^^;)。

ヤマ(管理人)
 当地においでになったことがおありなんですか(喜)。まぁ確かに飲み食いのほうが主流の土地柄ですから(笑)、それで観光はハズしていらっしゃらないと思いますが、県立美術館はじめ、文化的スポットなら、いくつかご案内できますので、その節には、是非お声かけください。

(TAKUMIさん)
 ありがとうございます。以前行った時はレンタカーを借りて急ぎ足で四国一周という感じでした。

ヤマ(管理人)
 車なしでは不便極まりない土地柄です、確かに。でも、北海道と違って、広いんじゃなくて交通の便が悪いだけのことですが(笑)。

(TAKUMIさん)
 地元の方の案内で回れたらまた違った面が観られて幸せかも。

ヤマ(管理人)
 地元の者は地元を回ったりあまりしないので、案内とかでないと出回る機会は少ないですし、もっけの幸いは、むしろこちらかも(笑)。

(TAKUMIさん)
 機会があれば是非、よろしくお願いします。

ヤマ(管理人)
 はいな、はいな。


-------リベラがモテることへの納得について-------

(シューテツさん)
 TAKUMIさんとのツリーに横入りしようと思っていたのですが、出張で出遅れてしまいました。f^_^;;

ヤマ(管理人)
 ようこそ、シューテツさん。そうですか、参入しそびれましたか(笑)。それは残念。

(シューテツさん)
 とりあえず『タイタス』はオススメですよ。多分ヤマさんも気にいられると思います。それと『フリーダ』は未見なので、一度その妙にモテる男を見てみないといけませんね(笑)。

ヤマ(管理人)
 でもまぁ、映画を観てもアヤツがモテることに納得は得られないはずですが(おそらく(笑)。)。

(TAOさん)
 フフフ、女から見るとそうでもないですよー。

ヤマ(管理人)
 およよ、そーなのかぁ(とほ)。ようこそ、TAOさん。

(TAOさん)
 たしかに彼、女に見境なしで人間として壊れてるけど、どこか太っ腹なところに魅力がありました。

ヤマ(管理人)
 僕も肉体的には太っ腹なんですがね(笑)。

(TAOさん)
 そういう魅力でもなきゃ、フリーダだってさっさと捨てるでしょう。

ヤマ(管理人)
 捨てられてない事実が何より雄弁とな!
 まぁね、そりゃそうなんだけど、太っ腹でちょび納得してもらえるアヤツはやっぱり妬みの対象でしかありませんな(笑)。「セックスなんて俺には小便みたいなものだ、気にするな」だなんて言い放つ奴なのにな〜(笑)。

(TAOさん)
 そのかわり、嫉妬心も束縛欲ももたないから、太っ腹なんでしょうね(笑)。

ヤマ(管理人)
 トロツキーには妬きましたよ。

(TAOさん)
 おお、そうでしたねー。相手が自分より大物だと妬くんだな(笑)。

ヤマ(管理人)
 そのへん、なんかいじましいでしょーが(笑)。

(TAOさん)
 でも、私が太っ腹と感じたのは、同業者である妻の才能を妬まずつぶさないところなんですよ。

ヤマ(管理人)
 あ、これはそうだな。カミーユを潰したロダンとは違いますね、確かに。

(TAOさん)
 そうですそうです。高村光太郎と智恵子とかね。

ヤマ(管理人)
 彼女も絵描きでしたね、そう言えば。

(TAOさん)
 マイナーなところでは、澁澤龍彦と最初の妻、矢川澄子。

ヤマ(管理人)
 これは知らなかったなー。

(TAOさん)
 澁澤の死後に矢川が書いた本を何冊か読みましたが、いやもう恨みつらみ未練の凄まじさにびっくりしました。

ヤマ(管理人)
 ふーむ、読むの忍びないな(苦笑)。

(TAOさん)
 こういうのを読むと、澁澤が築きあげた堅牢なユートピアも、ずいぶんいい気なもんだなーと思えてきます。

ヤマ(管理人)
 リベラもね(しつこい(笑))。

(TAOさん)
 物事は一面だけを見ていては面白くないですね。

ヤマ(管理人)
 ほんま、そーですねー。このへん、相手ある関係のなかで、自分の思う“適度”というのを都合よく実現するのは、はなはだ困難ですよね。そもそも自分の思う適度というもの自体が、時々で振幅のあるものですし(笑)。

(TAOさん)
 そうそう、なによりそこが問題です(笑)。個人対個人の相性以上に、時期とかタイミングによっても、うまくいったりいかなかったりしますからねえ。

ヤマ(管理人)
 タイミングってのも、とっても大きいですね。

(TAOさん)
 フリーダ自身は夫に束縛されたかったかなあ。いやいや、束縛は肉体の不自由だけでたくさんだったはず。だから、不実でも自由を尊重してくれる夫が好きだったんでしょう。

ヤマ(管理人)
 日誌には「フリーダの性的アヴァンチュールは、リベラへの当て付け以上にフリーダの満たされない愛が行き場を失ってさ迷っていたような色づけのほうが強かったように思う。」と綴りましたが、TAOさん的には、フリーダの求めていた自由の発露の一つでもあったというご見解ですかな?

(TAOさん)
 えーと基本的にはヤマさんの意見に同意します。ただ、たとえ誠実な夫に恵まれたとしても、フリーダは息苦しくなって、なにかしらやらかしただろうなと思うんです。

ヤマ(管理人)
 交通事故に遭う前の若い時分の描写にも窺えましたね。

(TAOさん)
 そして、苦しんだでしょう。

ヤマ(管理人)
 いいとこ取りはできないとしたもんですからね(笑)。そうでしょう、そうでしょう。

(TAOさん)
 たぶん一般的な幸せには収まれない人なんではないかと。

ヤマ(管理人)
 確かに、ね。破格なわけですね。

(TAOさん)
 そういう意味で、この二人は割れ鍋に綴じ蓋とでもいうか、器の大きさと規格に合わないところがつりあっていたような気がします。

ヤマ(管理人)
 そうですねー、似合いの組み合わせだったんですね。宿命のライヴァルならぬ、宿命のカップルってとこですか(笑)。
by ヤマ(編集採録)



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―