『フリーダ』(Frida)
監督 ジュリー・テイモア


 この映画は、高知県立美術館で開催中の企画展“フリーダ・カーロとその時代 メキシコの女性シュルレアリストたちの関連企画として上映されたが、展覧会関連の上映会としては、地元で自主上映を続けている外部団体との初の共同主催となる映画会だ。上映会を担うムービージャンキーの設定している当日一般料金の1800円が、一般前売で650円の展覧会観覧券の半券を持参すると当日料金で1000円になるという大幅な割引設定をすることで双方の販促を図るとともに、美術館は共同主催として会場使用に係る経費に支援措置を講じたり、広報面での上映支援を行ったようだ。

 2001年末に成立した文化芸術振興基本法に、映画は国や自治体の支援すべき芸術文化であることが明記されたのち、国の文化行政のなかでも、映画の振興が独立した事業として取り出され、予算の格段の重点化配分がされ始めている。また、財団法人国際文化交流推進協会が提唱する“コミュニティ・シネマ”をキーワードにして、従前にはないほどに公共的な映画上映への関心が寄せられるようにもなってきた。十年前の開館以来、映画上映には積極的に取り組んできた高知県立美術館が、今回このような形の上映会開催に着手したことは、まことに時宜に適っており、好企画であると高く評価すべきだ。上映会当日は、最近のオフシアター上映では珍しい人出で賑わっていた。


 映画作品としても、今からちょうど五十年前の1954年に若干四十七歳で没したフリーダ・カーロの濃厚な生涯を激しく美しく描き、その展覧会への興味と絵画鑑賞に役立つ知見を与えるうえで充分な作品だった。第75回アカデミー賞2部門受賞作だけあって、娯楽性への目配りに怠りなく、自身がプロデュースにも当たったというメキシコ出身のサルマ・ハエックの熱演が見事だった。

 映画のなかでフリーダにパリでの個展の開催を誘っていた白服の人物がシュルレアリズムの提唱者アンドレ・ブルトンではないかと思うが、彼が「フリーダの芸術は爆弾に結んだリボンである」と評し、絶賛したことから、彼女はシュルレアリストとされているのであろう。しかし、僕のイメージにあるフリーダの絵というものは、夢とか幻想や潜在意識といったことよりも、壮絶な事故の後遺症によって生涯負っていた身体的苦痛やら性的に放埒な夫ディエゴ・リベラ(アルフレッド・モリーナ)に悩まされる精神的苦痛から逃れられないなかでの彼女の内面的現実そのものだという印象だったから、映画のなかのリベラの口から「外側の世界を描く自分には描けない人間の内面を初めて描いた、自分以上の才能を持った画家だ。」というような言葉が出ていたことに大いに納得を覚えた。

 映画の序盤のほんのいくつかのエピソードで、彼女が十代の時分から強い自我を持ち、奔放で早熟で多感なうえに負けず嫌いで茶目っ気に富んだ女性だったことが鮮やかに描出される。また、不慮の事故で瀕死の重症を負ったときの金粉にまみれて折れ横たわっているイメージやそれに続くメキシコ風に不気味でユーモラスな死神たちの浮遊するなかから生還してくるイメージには、シュルレアリスト画家と呼ばれるフリーダを意識して映画の作り手が施した巧みなレトリックが窺えるのだが、その一方で、しばしば絵のなかから抜け出して動き出し、現実場面に繋がる映像展開を用いていたり、窓外に見える衣服を吊した現実の光景が絵になったりするあたりには、先のリベラの言葉と相まって、作り手がフリーダを実のところはシュルレアリストの画家だとは観ていないことを主張しているような気がしないでもない。いずれにしても、映像に豊かな情報と触発力が盛り込まれていたように感じる。


 それにしても、苛烈な生を歩んだ女性だった。二十一歳も離れ、ほぼ倍の歳に当たるリベラと結婚しながら、いささかも年齢差に怯むところを見せない向こう気の強さのなかで、リベラに憧れ、導かれるようにして汎世界的な共産主義にもテワナの土着性にも深く傾倒する。実の妹と夫の密通に愛とプライドを引き裂かれても結局は訣別できないのは、フリーダをフリーダたらしめる世界を拓き教えてくれるのが常にリベラであったことを骨身に泌みて知っていたからでもあろう。自画像の額に刻印した夫リベラの肖像には愛の証のような生易しさでは済まない強迫を感じさせるものがある。それゆえに、夫の放埒な性には自らも対抗し挑むように、同性愛も含めて奔放に身を投じてみたり、あるいは歳離れた夫を母性で包もうとしてみたりしながら、破綻という敗北を喫しないよう立ち向かっていたように感じる。

 そして、それらの総てを創作の糧にもしていた。その意味でも、リベラあってのフリーダだったわけだ。だが、障害と後遺症に悩まされ、終生苦痛にさいなまれながらも奔出し続けることができた彼女のパワーの源泉は、いったい何だったのだろう。到底、並の男に抗し得ようはずのないものだ。それが生来のものか、リベラの育んだものかは容易に決しがたいところもあるが、映画の序盤に登場したフリーダ像からは、リベラとの親交以前からのものとして描かれていたように感じられる。なにせ十八歳にして、生死の境をさ迷って生還したところに見舞いに来た恋人に、バスの手摺の鉄棒が腟から子宮を貫通するという重症を負ったことについて、彼と密かに交わしていた性体験を前提に「医者にはあの鉄棒が私の処女を奪ったのと言ってやった」などという軽口を叩く強靭さなのだ。そして最も支えていてほしいと思うときに、国外へ留学に出ることにしたという恋人に泣き言ひとつ零さない。

 それから言えば、フリーダの相手ができるのは、やはりリベラくらいの怪物でないとむずかしかったのかもしれない。親子ほども歳の離れた若き新妻に浮気を責められて「セックスなんて俺には小便みたいなものだ、気にするな」と言い放つのは相当なものだし、妻の妹に手を出すのも随分な話だ。そのくせ、フリーダの他の性的アヴァンチュールには気を留めるふうでもなかったながらも、トロツキー(ジェフリー・ラッシュ)との恋には傷ついたなどと言う。トロツキーの知性が、或は年齢が、リベラを上回っていることで初めてプライドが傷ついたのかもしれない。しかし、そもそも亡命したトロツキーを家に招き匿ったのは、リベラだった。妹をリベラの仕事場に招いたのがフリーダだったことからすれば、二人は同じような形で相手を踏みにじったことになる。しかし、この映画ではフリーダの性的アヴァンチュールは、リベラへの当て付け以上にフリーダの満たされない愛が行き場を失ってさ迷っていたような色づけのほうが強かったように思う。そして、その頂点とも言うべきものが、トロツキーとの恋だったような気がする。フリーダは、傷ついたと零すリベラに対して、トロツキーは恋人の魅力よりも妻への愛を採ったけれども、リベラにはそういう愛がないと言わんばかりに「彼は、愛する人のためにここを去って行ったわ、身の危険よりも。」と語っていた。そこには非常に淋し気な様子が偲ばれた。映画では、フリーダがリベラとの関係に決定的に欠落しているものが何であるかを思い知り、彼との関係を続けていくためにも母性によって包もうとし始める転機が、まさしくこのときだったと観る側に思わせるような風情だった。

 こんなふうにして、2002年のアメリカ映画の『フリーダ』を観た後では、従前にも増して1984年のメキシコ映画である『フリーダ・カーロ』(ポール・ルデュク監督)を観てみたく思う。随分前に、今はなき扇町ミュージアムスクエアで入手したチラシが手元にあるが、こちらは新ラテンアメリカ映画祭グランプリ受賞と、あまり聞いたことのないような冠がついている。展覧会の関連企画としての上映なれば尚のこと『二人のフリーダ』ならぬ二つのフリーダを見せてもらえると、気が利いていて面白かったのに、などと思った。




参照テクスト掲示板『間借り人の部屋に、ようこそ』過去ログ編集採録
by ヤマ

'04. 1.18. 美術館ホール



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