美術館開館10周年記念「高知の美術150年の100人展」関連映画上映会“高知ロケ映画”


一日目[9/6]
 ①『あなた買います』('56) 監督 小林正樹
 ②『いたづら』('59) 監督 中村 登
 ③『雲がちぎれる時』('61) 監督 五所平之助

二日目[9/7]
 ④『高知県視聴覚ライブラリー
    所蔵ビデオテープ』
・『戦前の高知風物詩』('36)
・『ありし日の牧野富太郎博士』('36)
・『1946年12月ノ南海大地震ニヨル
 高知縣ノ災害記録』('47)
・『物部川総合開発・拓け郷土』('51)
・『新土佐日記』('63)
 ⑤『南国土佐を後にして』('59) 監督 斎藤武市
 ⑥『次郎長社長よさこい道中』('61) 監督 瀬川昌治
 ⑦『喜劇 よさこい旅行』('69) 監督 瀬川昌治

 都合で二日目からの鑑賞となったが、先の“怪談映画大会”ほどではないにしても上々の入りを果たしていて、展覧会「高知の美術150年の100人展」との関連上映としての企画のよさを感じた。特に一昨年の“気骨のカメラマン三木茂特集”に続き、県の視聴覚ライブラリーから貴重な映像群を掘り起こしてきた浜口真吾氏の労に感心した。1930年代から '40、'50、'60と各年代が揃うよう目くばせがされている。

 『戦前の高知風物詩』は、旧制中学に在学中の青年が残したものだそうだが、動きを捉えられる特質ゆえに、映画の誕生時から未だ常に密接な関係を保ってきている乗り物の動きが、陸・海・空に及んで捉えられていて、改めて映画の原点というか、撮り映す喜びの原形が素朴な形で宿っていて好もしく、景色事物が物珍しかった。
 『ありし日の牧野富太郎博士』は、まるで大学病院の教授回診のごとく、牧野博士が従者をたくさん引き連れて山野を散策しているのが、さもあらんと思いつつも、少々滑稽な記録映像だった。
 『1946年12月ノ南海大地震ニヨル高知縣ノ災害記録』は、近年地震に対して関心が高まってきているなかでのタイムリーなセレクトだ。揺れそのものよりも水害のほうが大きかったことが生々しく観察できた。
 『物部川総合開発・拓け郷土』は、今から振り返ってみると、その後どうなったのかと訝しくすらある奥物部開発への期待と投資の状況が、鮮烈だった。戦後復興の象徴的事業である“総合開発”が本県にも舞い込んでいたことと、それがちっとも総合的には開発されなかったことが偲ばれて、ある種の感慨を誘う。
 県の観光課が高知のPRのために製作したとの『新土佐日記』では、『物部川総合開発・拓け郷土』から十二年たっても、まだ観光面での一番の売出しが奥物部だったことが推察できる。桂浜、竜河洞、足摺、四万十などよりも奥物部が強調されていたが、四国カルストに全く言及していないのが意外だった。また、お座敷芸としての“よさこい踊り”を映し出していたり、県が製作した映画ながら、キャバレーのなかにカメラを持ち込み、肩越しにホステスの胸に手を伸ばして脂下がっている酔客の姿を捉えていたりするところに、まだまだ大らかだった時代の様子が偲ばれた。

 午後からの劇映画は、ペギー葉山の歌う『南国土佐を後にして』の大ヒットからの十年間に製作された映画だった。興味深かったのは、前回の“怪談映画大会”で集中的にピックアップされた大映と新東宝のこの頃の作品を、ここでカバーするかのように、日活・東映・松竹からそれぞれ拾い出していて、それがまた、当時の製作各社のカラーを実に反映しているかのような抽出になっていたことだ。気障ったらしくさえあるほどカッコよさを指向した日活、身も蓋もないとさえ言えるほどの通俗性に確信的だった東映、お行儀のよさが物足りなくさえあるほどに庶民的な笑いと人情にこだわった松竹。同時代的に体験しているとは言えない、少し遅れてきた世代である僕が、日本映画の黄金期の各社のカラーとして伝え聞くものがまさしく反映されていたかのような三作品であった。
 日活作品『南国土佐を後にして』では、小林旭が土佐弁を全く使わない土佐っぽを演じているのが妙に可笑しく、西村晃が先の“怪談映画大会”で観た『牡丹燈篭』のときと似たような役回りを演じているのが目を引いた。昨年閉店した西武百貨店が土電西武となる前の土電会館が、このころは「ホテル土電会館」という看板を掲げていたことを今回初めて知った。
 日活作品が菊水酒造なら東映は司牡丹というわけでもあるまいが、酒と博打は、土佐を舞台にして欠くことができないのかもしれない。『次郎長社長よさこい道中』での土佐っぽの役回りは中村賀津雄で、進藤英太郎と三木のり平の繰り出すお下劣ギャグを繋いでいく、喜劇の進行役でもあった。
 松竹の『喜劇 よさこい旅行』では、はちきれんばかりの若さの倍賞千恵子が、イメージと少々異なる御転婆な“ハチキン”の若妻を演じていたのが新鮮だったが、長山藍子ともども女性がみな働いていて、共働き率の高い本県事情をちょうど反映していた。フランキー堺の醸し出す笑いには、柔らかな味があって乙なものだ。

 それにしても、三作品ともに締めが“よさこい鳴子踊り”となっていて、しかも俯瞰の捉え方までが似通っているのには、少々苦笑を禁じ得なかった。今も昔も、高知の一番の看板は“よさこい鳴子踊り”なのだろう。もちろん踊りのスタイルは激変しているし、当時は県庁前から山内神社に至る南北の通りを使っていたようだ。追手筋に移動したのは、いつの頃からなのだろう。また、はりまや橋付近の電車通りでも豪快に踊っていたが、あれは映画のための特別なものだったのかもしれない。そんなふうにして、今現在と当時を比較してみる楽しみが満載されていた。まことに映画は、時代を捉え映すものだ。そこに真骨頂があることを改めて強く意識させてくれる好企画だった。




参照サイト:「高知県立美術館公式サイト」より
https://moak.jp/event/performing_arts/post_151.html

by ヤマ

'03. 9.6~7. 県立美術館ホール



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