『あずみ』
監督 北村 龍平


 世評高く長期連載を続け、数々の受賞歴もあるという小山ゆうの原作漫画を僕はほとんど読んだことがないが、このいささか情けなく感じられる脚本からすれば、原作と映画は、いくつかのキャラ設定を除いて、ほとんど関連性はないのだろう。それにしても、最後に生き残ったあずみ(上戸 彩)が、南光坊天海(佐藤 慶)の語る何とも嫌らしい詭弁で化粧を加えて正当化した論理に基づく、徳川の覇権のための使命を、爺たる小幡月斎(原田芳雄)の遺言にもかかわらず敢えて意を汲む形で継承するのでは、どうにも気分が悪い。この物語では特に前半部で繰り返し“使命”という言葉が出てくるが、本来は美しい言葉でありながら、使われ方次第で実に胡散臭く、嫌なニュアンスを帯びてくることにおいて“愛国心”そっくりだと思う。
 そのせいか、殺人マシーンとして幼時から教化された刺客である、あずみたちが、僕には妙に嘗ての軍国日本の特別年少兵や文革時代の中国の紅衛兵、ポルポト軍政時のカンボジアの少年兵あるいは今、自爆テロに命を投じているアラブ原理主義の若者のように感じられ、娯楽作品として楽しめはしなかった。最初の能書きや“使命”の強調がなければ、もう少し印象は違ったはずなのに、何とも残念だ。
 キャラクターとしての上戸彩の魅力は、充分に引き立てられていたように思う。オダギリジョーも美女丸の異常性格をよく演じていて、存在感があった。けれども、その異常さは、どこか漫画的で、そう言えば、飛猿(松本 実)の最期や悪辣佐敷三兄弟の描き方にしても、随分と漫画的であったように思う。漫画的であること自体が気に入らないわけではないが、いささか安っぽく調子外しをしている印象が残ったのが不満だ。
 日本の娯楽映画に対しては、昔からハリウッド映画との比較で物量や技術における見劣りが指摘されてきたけれど、こんなふうにハリウッドをグローバル・スタンダードとしたような日本映画を“JIDAIGEKI”と触れ込まれて観ても、僕にはむしろ味わいの貧弱として感じられ、映画的感興に繋がらなかった。骨格的には、ハリウッドのアクション娯楽作品とほとんど同じ作りで、映像的にもプロット的にも主題的にも実に似通ったテイストだ。日本映画もここまで来たという観方をする人もきっといるだろうけど、僕には好もしいことだとは思えなかった。

by ヤマ

'03. 6. 8. 東宝3



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