『青の炎』をめぐる往復書簡編集採録 | |
「チネチッタ高知」:お茶屋さん ヤマ(管理人) |
|
(ヤマ) それはそうと『青の炎』、きちんと余り期待せずに観に行ってくれたようだね。 よかったやろ〜(にこ)。 (お茶屋) うん、よかったよかった。 おかげさまで、おもしろい映画を見逃さずにすみましたm(_'_)m。 (ヤマ) 『ピンポン』以来の[鬼の対談](お茶屋さんのサイトのコンテンツ名)にでもする? (お茶屋) うん、私も他にも言いたいことあるし。 話が転がっていくかどうかは、わかりませんが(笑)。 (ヤマ) お、えぇぞぉ。それは何よ? (お茶屋) いや、たいしたことじゃないです。 (ヤマ) いやいや、神は細部に宿ると言うし。 (お茶屋) 『ラヴァーズ・キス』は鎌倉で、『青の炎』も似たようなところで、青春映画はやはり海ですかとか(笑)。恐竜の骨のところで死んで骨になる話をするのはいいねとか。水族館きれいねとか。挿入歌がよかったけどクレジットを見逃したので、パンフレット買ったら歌詞まで載っていて嬉しかったとか。トンビもよかったとか、そんなことでして。 (ヤマ) う〜む、神よ、神よ〜(笑)。 (お茶屋) ほらぁ、たいしたことないって言ったでしょ(笑)。 (ヤマ) けど、青春映画はやはり「海」というのは、ふむふむと思ったりするんだけど、お茶屋さんは、どういう映画が念頭にあるの? (お茶屋) 高知では公開されてないけど、『ラヴァーズ・キス』です。 それと、海に向って「バカやろー!」ってドラマも(笑)。 (ヤマ) 森田健作(笑)? 歳がバレるよ(笑)。 (お茶屋) ええー!? せめて、中村雅俊くらいにしてもらいたい(笑)。 (ヤマ) 逆に、夏木陽介だったりしない?(笑) (お茶屋) えー、知らんでぇ〜。ちょっとしか(笑)。 (ヤマ) さすがにそれはないよね、僕より若いし(笑)。 (お茶屋) そうそう。 ところで、ヤマちゃんは、日誌に書くとしたら何を書きたかったの? -----青い怒りと哀しみ--------------------------------- (ヤマ) あ、これ、見送ってたんだから、特に意識はしてなかった。 はっきりした何かがあったら、書いてますもん(笑)。 ただ、書いておけばよかったかな〜って思ったのは、まず「青い怒りと哀しみ」いうお茶屋さんの感想に書いてあるフレーズに触発されたからだね。 「怒りと哀しみ」って連ねられてるのを見て、あの映画を観てて、怒りが義父に向けられているものというよりも、母親や妹に向けられているように感じられたところに感心したのだったということを思い出させて貰ったような気がしたんですよ。 (お茶屋) へぇ〜、言われてみれば、秀一は母親に関しては確かに怒りを感じていたようで。特に母親の喘ぎ声を耳にして力が抜けていく感じ、あれ、よかったですね〜。母に向って怒れないから、義父に怒りが向くという。 (ヤマ) うん。義父に憎しみは元々抱いてたんだろうけど、現実的に殺意に転じたのは、あそこだったよね。 (お茶屋) 私は、母と妹を守るというのは、秀一に家長的自覚(それとも自負?)があったからで、やっぱり男の子の発想だと思って見ていました。群れにボスは一匹。紛れ込んできたヤツとは闘うぜみたいな(笑)。 (ヤマ) それもあるだろうけど、いたたまれなさから生まれた怒りの矛先を最も向けやすかった義父に向けたように僕は思ったんだよね。八つ当たりとまでは言わないんだけど(笑)。 (お茶屋) うん、こっちの方がより当たっているかも。 (ヤマ) それまで、殺意まではなかったよねぇ。だけど、それくらい激しい感情にとらわれたのは、母親に裏切られたような気になったところがあったからだろうし、ね。 まぁ秀一は、どういう状況でそうなったかは知らなかったわけだし、たとえ仕方なく応じたことだったにしてもって思っただろうし。 (お茶屋) 裏切られたような気になったというのは、そのとおりですね。 このあたりのことは、帳場の山下さんの感想が大変おもしろかったですね。 (ヤマ) まだ読んでなかったんで、さっき覗いてきた。アヤヤはともかく、和也はしっくり来なかったみたいだね。でも、相変わらず読み応えがあるね(感心)。 (お茶屋) ヤマちゃんが、妹に怒りが向けられていると感じた場面はどこですか? (ヤマ) やっぱり父親に対しての部分だね。部屋の入り口のところで父親に押さえられて、妹が悲鳴をあげてたところがあったよね。そのあと秀一がバットで殴りかかろうとした、あの場面。 男の子が、女の人にある種の弱さを見て取るとき、それが同情や庇護してやりたい気持ちになるときと、怒りや憤りという形の感情になるときというのがあると思うんだよね。 (お茶屋) あ、これは男女間に限らずありますね。「やられてばかりいないで、やりかえせ」って。やり返せないのを見ていると腹が立つってことがあります。 (ヤマ) そうなんだぁ(笑)。うん、でも確かに言われてみたらもっともだね。むしろ女の人のほうが、男の弱さに対しては腹を立てることが多いくらいだろうね(笑)。 (お茶屋) やりかえせないから、やられてるわけだから、大変残酷なことですが、怒りが弱い者に向かうことがあります。 (ヤマ) そうなのよぉ〜(とほ)。 あのときの秀一には、義父への怒りと憎しみだけではなくて、母親に対しても、妹に対しても、もちろん自分に対しても、強烈な怒りを感じてて、抑えられないほどになってたように僕には見えた。 そういう怒りのエネルギーの噴出みたいなものが画面に宿っていて、むしろ一番激しくて強い感情は女の人に対して向いたものだったのを、ぐいっと自分や義父に転化させたように感じられたところが、映画の表現として、僕にとっては、凄い!と思えたところだったんだよね(笑)。 (お茶屋) なるほどね。私は、秀一が母親に対しては怒りを持っているとは思ったけど、ヤマちゃんのようには感じなかったです。でも、言われてみたら、なるほどだわ。 (ヤマ) へへ、そーでしょ〜。でも、山下さんなんかも秀一のその辺については想像を巡らせながらも、二宮和也の演技には宿ってなかったと感じているみたいだね。僕は、彼の硬質な懸命さの背後にそれが透けて見えるように感じたから、二宮和也がよかったと思ったんだけどねぇ。面白いもんだね。 それと義父が癌で余命幾ばくもなかったという設定についてのお茶屋さんの解釈をなるほどねぇと思いながら、考えようによっては「同情に値する人物だった」という設定にしたことで、秀一の殺しの観る側に与える印象がどういうふうに変わってくるんだろうと、あれこれ想像してみるきっかけも貰った気がするよ。 -----死ぬ運命にあった設定のもたらすもの--------------- (お茶屋) 哀しくなりましたね。哀れさが増したというか。 ヤマちゃんは、どういう風に変わってくると思ったんですか? (ヤマ) 人によっては、秀一の義父殺しについての悲劇性を高めただろうし、逆に、僕のように、あの義父殺しは、その存在をなくすことに一番の意味があったわけじゃなくて、噴出する怒りのエネルギーをぶつける行為として必要かつ止むに止まれないものであって、死ぬ運命にあったとかなかったとかは関係ないことだったということを再認識させてくれる楔になったりとか、お茶屋さんが言うように「殺されるにふさわしい人物などいないと言っていることになります」という観方も生まれるだろうし、あの設定によって、いろいろ出てくるよな〜って。 (お茶屋) ふむふむ。 (ヤマ) だけ?(笑) (お茶屋) ごめん、あんまりふくらまんで(笑)。 でも、あの設定によって映画がふくらんだということがわかってよかったです。 (ヤマ) ふむふむ(笑)。 (お茶屋) 私は、父親が余命幾ばくもないってことについては、秀一の想像力が足りなかったのね〜と思ったけど(笑)。 (ヤマ) そりゃあ、酷というもんや(笑)。 (お茶屋) だれも、そこまで想像できないでしょうね。それは青いか熟れてるかに関わらず。 (ヤマ) そうそう(笑)。 だから、一般的には、あの設定で悲劇性が増すっていうことなんだろうな。殺したということの事実自体はおんなじでも、ね。 お茶屋さんが言う「哀しくなりましたね。哀れさが増したというか。」に通じる部分だね。 (お茶屋) それと、義父が「同情に値する人物」であったにせよなかったにせよ、人を殺す体験の重さがよく描けていると思いました。 (ヤマ) これも、あの設定によってグッと浮彫にされてくる部分だよね。 (お茶屋) 私は秀一の殺しに「罪と罰」のラスコーリニコフを思い出して見ていたんですよ。二人とも(考えていることは違うけど)殺すまでは頭でっかちなんですよね。 (ヤマ) なるほど、なるほど。 (お茶屋) 殺害後は(罪悪感はないのだけれど)、他人を殺すのと同時に自分の一部を殺してしまって、以前の自分ではいられない。「体験の耐えられない重さ」ですわ(笑)。 (ヤマ) そうそう。念入りに、重ねての殺人に至らせてましたよねぇ。でも、あの映画がキリっとしているのは、秀一がそのことから逃れようとしたり、自分をごまかそうとしないところと、そういう秀一の姿を紀子がきちっと受け止めているところだったよね。 -----アヤヤの紀子------------------------------------- (ヤマ) それから紀子のキャラについて書いてるところも、うんうん、そやそや、という感じで妙に嬉しかったね。人によっては不興も買ったりしているらしいアヤヤのロングカットも、前に言うたように、僕は感心して観てたんだけど、 (お茶屋) へぇ〜、あのロングカット(ラストシーンですよね?)をね〜。 なぜ、不興を買うのでしょうね? (ヤマ) よくわからないけど、わざとらしいとか、押しつけがましいとかいうことかもしれないね。 (お茶屋) あのラストシーンで秀一だけじゃない、紀子だけでもない青春映画になったと思うけど。 (ヤマ) そうやね。 「なぜ、こうなるのかという答えのない疑問を発して、どうしていいかわからないけど、とにかく気に入らないのだという異議申立ての目」から次第に涙が滲んでくるところがグッときたでねぇ〜。お茶屋さんのこの表現は、「青の炎を燃えあがらせた、あのような目が出来るのは若いうちだけ」というところも併せて、読んで思わず、凄いやんって思ったんだよね(感心)、自分にはここまで鮮やかに言葉に出来るとは思えなかったから。 僕だったら、どんなふうに書いたんだろうな。 (お茶屋) ひゃー、そうですか。ありがとうございます。 見たまんま書いたのが功を奏したか(笑)。 (ヤマ) それをどう言葉にするかが難しいんじゃないですか(笑)。 (お茶屋) あと、想像力についてはどう思いますか? (ヤマ) んん? (お茶屋) 犬が寝言を言うと紀子から聞いて、秀一はちょっと目からうろこだったでしょ? ひょっとして犬にも想像力があるのかもって。 (ヤマ) おぉ〜、そのことか! ピンと来なかった。 (お茶屋) 秀一は自分の想像力に自信があって、優越感を感じていたと思うのですが、殺人で優越感どころじゃなくなってしまった。 (ヤマ) なるほど、なるほど、そう繋がるわけだね。確かに秀一は、そういう自信を持ってましたねぇ。想像する力以上に、考える力や認識力というものに対して強い自負を持っていたような気がする。それが殺人に手を出すことになって、かなり揺らいで余裕がなくなった感じだったよね。優越感を覚える余裕など、全然ないわけだ。 (お茶屋) 殺人後、紀子に犬のことを聴きたがったのは、どういう心境ですか? (ヤマ) あまり考えてもなかったことだけど、そう言われてみたら…、そうだねぇ、うなされて目が覚めたりしたことがあったのかね〜。それとも、自分が周到にやり遂げた殺人のように、まさか、あり得ないと思っていたようなことが事もなげに起こり得てしまう現実に対して、かなり認識を新たにしたということかもしれんね。 (お茶屋) うんうん、認識を新たにしたでしょうねぇ。紀子から犬のことをもっと聞きたかったのは、紀子が犬の「思い」をどれだけ受けとめているかってことを聞きたいということかもね。秀一は、想像力のある犬と自分を重ね合わせていたのかも。 (ヤマ) ほほう、なるほどね。言葉にならないものでも「思い」でもってだけキャッチする能力があるなら、秀一は、自分の思いを紀子がどれだけキャッチしているのか当然知りたかっただろうね。 (お茶屋) まあ、頭でそう考えたわけではないと思うけどね。 (ヤマ) うん。ふっと思い出すようにしてって感じだったろうね。にしても、想像力のある犬以上に、犬の想像をキャッチする異能のほうが凄いことだよね、その汎用性から言っても(笑)。 (お茶屋) ははは、確かに。 (ヤマ) だけど、紀子にしても犬の夢くらいで済んでいるうちはいいけど、人間の頭のなかが透けて見えてきだしたりしたら、むしろ紀子のほうが先に自殺したくなるよねぇ〜(笑)。知らぬが仏、知らぬが仏。人間そんなにタフじゃないもぉ〜。 -----体験の耐えられない重さ--------------------------- (ヤマ) それにしても、一線を越えることの重みというか、リセットのきかないことに手を出すことで、それまでには想像もできなかったような自分自身と出会うことに、不安と興奮を覚えていた部分があったように感じられるところがきちんと出てきててよかったよね。 (お茶屋) うんうん。ちょっとハイになって、イライラして。 (ヤマ) このへんの感じ、二宮クンうまかったよね〜。 ちょっと地に足が着いてない浮遊感のような感じ。それをいっぺんきちんと地面に足をつけさせてやったのが紀子だったように思うな。 (お茶屋) おお!そうやねえ!地面に足! (ヤマ) でも、そのせいで自分自身に決着をつける意志を秀一に固めさせたような気がしないでもないんだけどね〜。 (お茶屋) そうかもね。あの遺言テープ(涙)。 自殺を決めた秀一の、身体に力が入らない様子がリアルやったなあ。 -----青く燃える怒りの炎------------------------------- (ヤマ) そういう身体的に表出されてくる部分での演技力というのが(これは演出力のほうなのかもしれないけど)割と充実してて、それで映画のトーンができてたような気がするよね。 そんなこんな含めて、紀子には納得できない現実なんだろーねー。だから「とにかく気に入らないのだという異議申立ての目。青の炎を燃えあがらせた、あのような目が出来る」んだろうね。 (お茶屋) やはり、あの目につきますか。神(のような存在)に向っての異議申立てですからスケールが大きい(笑)。 (ヤマ) そうやねー(笑)。けど、若いときのあんなふうな怒り、懐かしいというか、眩しいね〜。 (お茶屋) そうですね。瑞々しいですね。 (ヤマ) 理不尽やら不条理に鈍感にはなりたくないもんだけど、現実にはそういうことが多すぎて、そんなもんやと受け止めるようになりがちで、いちいち自分の感情力を投じてまで反応できなくなってきたりするもねぇ(とほ)。 (お茶屋) 私はそこまで枯れてないで(笑)。 (ヤマ) うん、そうやね。僕よりは瑞々しい気がする(笑)。それは書いてるものを読んでても、よく判るな〜(天晴れ)。 (お茶屋) でも、怒るにも体力精神力がいるからねぇ。私は体力はないくせに、理不尽、不条理にいちいち怒っているんで、消耗が甚だしいですわ(泣き)。 (ヤマ) もっとも僕にしても、そんなもんやでだけ済ますほどには枯れてないつもりだけどね。でも、怒る力じゃあ、確実に負けてるだろうなぁ。驚き、呆れ、嘆き、ぐらいには心が動いても、なかなか怒りにまで結実していかんもぉ〜(とほ)。 なんせ我が事でも、なかなか怒りの感情を持てないほうだからねぇ(苦笑)。 (お茶屋) これ、マジで(いい意味で)長生きすると思うよ。心臓の打つ回数は、だいたい決まっているそうで、怒らず鼓動がゆっくりの人は長生きするんです。 (ヤマ) 僕、あんたは早死にするいうて、言われたことないも(笑)。悩みなさソーで長生きするろーとか、憎まれっ子、世にはばかるとか(笑)。 でも、「怒るにも体力精神力がいるからねぇ」というのは、耳に痛いね。 ただ自分がもう怒りの感情を持てなくなっていたとしても、少なくとも、そういうことを青臭いとか言ってバカにしたりする大人族にはなりたくないよね〜。 (お茶屋) 私もヤマちゃんと立ち位置は同じかな(笑)。 (ヤマ) いや、少なくとも歳の差の分くらいは、確実に僕より瑞々しいって(笑)。 (お茶屋) 睨みつけるというような威勢のよいものじゃなくて、静かだけど神様も思わずドギマギしそうな(笑)訴えかえる視線で、まさに青の炎でした。 (ヤマ) 青臭いなどとは言わせないぞってとこがあったから、世間ズレした大人をドギマギさせるようなとこが、あったよね(笑)。 (お茶屋) 自分は安全圏にいながら、若者をそそのかす大人ってのは善し悪しですが、映画になったら面白いと思う〜。 (ヤマ) うん。極端に言うと、若いもんは愛国心を捧げて銃を取れ! 儂は行かんけど、みたいなお爺と似たことになりかねん(笑)。 (お茶屋) それと、若者のエキスをもらうというより、生気を吸い取られて消耗する大人ってのも悲惨でいいな〜(笑)。 (ヤマ) かなり倒錯気味だね〜、これ(笑)。でも、こっちの精気を吸い取るくらいの青い炎を燃やす若者に出会う機会もあんまりないとしたもんだけどね。 もし、そういう子であっても、こっちにそれを見せてくれるとは限らんし(笑)。 (お茶屋) 若者を惹きつける大人になるのは、難しいですよね。そんな大人になりたいとも思わないけど(笑)。 (ヤマ) はは、そういや、今日、僕は『わたしのグランパ』を観てきたのであった!(笑) (お茶屋) どうでした?シネマノート書くの? なんか、『青の炎』とは離れてきたね(^_^;。 推薦 テクスト:「チネチッタ高知」より http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0304-4aono.html 推薦テクスト:「神宮寺表参道映画館」より http://www.j-kinema.com/rs200304.htm#aonohonoo 推薦テクスト:「多足の思考回路」より http://www8.ocn.ne.jp/~medaka/diary-aonohonoo.html 推薦テクスト:「THE ミシェル WEB」より http://www5b.biglobe.ne.jp/~T-M-W/movieaonohonoo.htm 推薦テクスト:「K UMON OS 」より http://www.alles.or.jp/~vzv02120/imp/a.html#jump26 推薦テクスト:「eiga-fan Y's HOMEPAGE」より http://www.k2.dion.ne.jp/~yamasita/cinemaindex/2003acinemaindex.html#anchor000922 |
|
by ヤマ(編集採録) | |
|