『ロード・トゥ・パーディション』&『チョコレート』をめぐって
Across 211th Street」:Tiさん
シネマの孤独」:スーダラさん
TAOさん
Camera della Gatta」:Gatta@Pegasoさん
ヤマ(管理人)


 

(Tiさん)
 『ロード・トゥ・パーディション』の日誌を拝読して、「息子でいたときは、それを『だけ』と軽く言えるのに、父親になると自分の息子たちに対して、そのことを『だけ』などと軽く済ませられないのが悩ましい。」というくだりにまさに本物の実感としての重みを感じて、ため息が出ました。


(管理人ヤマ)
 まぁ〜、要はボヤキなんですけどね(苦笑)。


(Tiさん)
 自分自身を振り返ってみても、こっちにはこっちの言い分もあるんですけど(笑)、父親から見れば僕は間違いなく、マイケルではなくコナーの方だなあと思います(苦笑)。


(管理人ヤマ)
 僕だってそうだし、みんなどっちかって言われたらコナーって言うしかないですよね(笑)。


(Tiさん)
 でも、僕は映画の題材としては、父と息子の距離感って好きです。母親だともっと接近したドロドロの愛憎劇が多いですし、父と娘だと離れすぎてて、そもそもコミュニケートできないって感じで…(笑)。


(管理人ヤマ)
 実は僕、娘もいるんですよねぇ〜(苦笑)。


(スーダラさん)
 前にも父と子の関係について、こちらに書いた憶えがあるのですが、何の映画だったかな? 思い出せません。


(管理人ヤマ)
 より年寄りに期待してもダメですよ(笑)。


(スーダラさん)
 僕は人の親になった事がないので、もっぱら息子としての視点からしか語れなかったのですが。


(管理人ヤマ)
 三組の父子がそれぞれ「様々な父子の距離感を代表しているようでした」というのは、なるほどそうなのかもって感じですね。僕は、単純に対照的な関係の有り様として観てましたが、確かに代表させているのかもしれません。作品からある種の普遍性を受け取ることができるのは、そういうこともあるからなんでしょうね。


(スーダラさん)
 ヤマさんの仰るように、父親と息子の認識のズレ、微妙な距離感というのは、いつの時代も変わらぬもので、他にハケ口を持つ息子に比べて、苦悩を背負い込むのはいつも父親の方なのかもしれませんね。


(管理人ヤマ)
 苦悩というか、まぁジレンマありますよね(苦笑)。かつて僕の親父が思ったであろうように、子供が親になるときまでのモラトリアムだから仕方ないってことで、一世代ずれて繰り返されるんだろうなって思ってます(笑)。


(スーダラさん)
 割と昔から、可笑しな想像をしています。父親の葬式で僕は初めて父に対して「本当に言いたかった事」を口に出来るのかもしれない・・・。そんなことです。


(管理人ヤマ)
 父親の葬儀の時には、ひとつ驚いたことがあります。既に退職して何年も経っていたのに、昔の職場の人たちが随分とたくさん告別式に参列して下さって、正直、驚きました。どちらかというと社交性に乏しく、マイホーム主義みたいなイメージを持ってましたから。


(スーダラさん)
 前に此処で書いた時、ヤマさんに「言い足りない事があるのなら、ちゃんと今のうちに言っておいた方がいいですよ。」って言われました。やはりヤマさんは父親なんだなぁと、今回の文章を拝見して改めて感じました。


(管理人ヤマ)
 まぁ、既に成人した長男以下、三人も抱えてますからね。


(スーダラさん)
 でも僕の方は結局、言い出せぬままです。この映画でも、父は息子に対して必死の思いで自分の気持ちを伝えていますが、結局息子は、父親が死んでからしか、本当の意味で父親の存在を消化できていなかったように、僕には見えました。


(管理人ヤマ)
 それはそうでしたね。これってすごく普遍性のあることなんじゃないかな〜。だからこそ、父親って哀しいというか、とほほなんですよ(笑)。
 威張り散らす父親ってのもその哀しさの代償行為なのかも。ますます哀れで、ちょっとヤバイですね(笑)。


(TAOさん)
 「ロード トゥ パーディション」の父と息子について、考えがまとまらず、書くのをためらっていたら、もう次の更新が…。「チョコレート」の親子3代にわたる差別意識の薄まり方についての指摘を読んで、あ、これだったんだと思いました。


(管理人ヤマ)
 こういうふうに言っていただけるのが日誌を公開していて、いちばん嬉しいことですね。自分の書いているものが何かの触発を促したなんて望外の喜びです。


(TAOさん)
 「ロード…」や「チョコレート」で私が思ったのは、息子の存在というのは、ときとして、父親がそれまで生きてこなかった可能性を暗に示唆し、それまでの生き方の総決算を強いる宿題のようなものなんだなということでした。


(管理人ヤマ)
 なるほどねー。そのひとつのバリエーションが自分の果たせなかった望みを息子に託するっていうことでもあるのでしょうが、そういうたったひとつのバリエーションで語るのではなく、存在として、このように捉えるというのは、ずっと深みがありますね。


(TAOさん)
 サリヴァンは、ルーニーを父として仰ぎ、ふたりは実の親子以上の親愛に包まれていたけれど、父親としては息子と十分に通じ合えてなく、…


(管理人ヤマ)
 案外というか、大概の場合、実の親子のほうが難しかったりするんですよね(笑)。スタート地点が他人という離れた位置にあるからこそ、接近ということについて選択や確認を含めて自覚的でありやすいですよね。実の親子関係だと、まず最初の「離れた位置」というのをなかなか前提にはしにくくて、逆に関係性のなかで知らされていくとしたもんですから(苦笑)。


(TAOさん)
 実感がこもってますねー(笑)。私も実感をこめて言いますが、親から「離れた位置」を保つのに、四苦八苦しました(苦笑)。


(管理人ヤマ)
 僕も親に対してはそうだったんですよ。でもって、子供に対しても、基本的にはその自覚を持って臨んでいるつもりなのです(苦笑)。
 ところが、そのつもりでいても、ふっと無意識のうちに勘違いしている部分を自分に見つけたりしてとほほ気分を味わったりするんですよ。
 そこで今になって学ぶのが、僕の親にしてもそうだったんだろうなーってこと(笑)。


(TAOさん)
 なるほどねえ、それは人の親になってこその実感でしょうね。ほんとにそうかもしれないですね。


(管理人ヤマ)
 子供の時には、この距離感ということについて、親たちは何も解ってないって思ってましたからねー(苦笑)。


(TAOさん)
 そうそう。ぜったいそうだと思いましたよね。


(管理人ヤマ)
 実のところは、判っていても...ってとこがあるんだってことでした(たはは)。


(TAOさん)
 その力無い笑いが、すべてを物語ってますねえ。
 でも、この「距離感を知ること」から初めて敬意なり共感なりが生まれてくるんですよね。


(管理人ヤマ)
 そーなんですよねー。わかっちゃいるんですがねぇ、これがなかなか難しい(苦笑)。けっこう無闇に接近しないようにしてもいるんですよ。


(TAOさん)
 ええ、ええ。がんばってくださいよ、ヤマさん! いつか報われるときがきますからね。


(管理人ヤマ)
 一世代ずれて繰り返されるという意味では、子よりも可愛い孫とかいうことが言われるのは、ひょっとして自分に代わって、子に報いを返してくれる存在だからでしょうか(笑)。


(TAOさん)
 それじゃあ、ヤマさん、嫁姑ですってば(笑)。でも、最近の嫁は強いから、かつての姑の恨みも晴らせず、かえっていじめられてるみたいですよー(笑)。
 私は、子供の立場からしか言えませんけど、この歳になってくると、親子の立場もそろそろ逆転してくるじゃないですか。経済力では相変わらずかなわないけど、精神的・体力的にね。


(管理人ヤマ)
 僕の場合、親父は十年前に死んでますから、もうかなり前からそうなってるんですよね。


(TAOさん)
 で、ますます依存を感じるようになって、逃げ回ってるわけなんですけど、


(管理人ヤマ)
 隣家に住んでいると却ってそういうとこでは、それほど強く感じてなくて、おふくろがあちゃこちゃ旅行ばっかしている様子に、感心しつつ一息ついてます(笑)。


(TAOさん)
 それはいいあんばいですね。それにしても、夫に先立たれた妻は、かえって溌剌とするみたいですねー。そして長生きするらしい(笑)。


(管理人ヤマ)
 平均余命の差は、このへんにその秘密ありなのかな?


(TAOさん)
 私の場合、依存から逃げ回ってばかりいると、ときどき気の毒になって、まあ多少の思いやりを示すわけです。そうすると、かえって、向こうが依存を自粛する気配が感じられるんですよ。それでただ逃げ回ってるだけじゃいかんなあと深く反省してるわけです。


(管理人ヤマ)
 この呼吸っていいですね〜。片方の態度としてだと成立しないんですけど、TAOさんの反省も含めて、双方がってとこ。


(TAOさん)
 はぁー、まるで綱渡りみたいで、おそろしく不安定なんですけどね。このまま気を抜かずにやっていくしかなさそうです。
 まあ、こんなこと言ってられるのも、親が元気なうちなんで、なんとか今のうちにほどよい距離のいい関係を築けたらなあと、柄にもなく思ってたりします。


(管理人ヤマ)
 誰しもが負っている生涯の課題ですよね。ほどよい案配っていうのが肝要なんですよね。


(TAOさん)
 で、彼らの場合、息子が起こした事件によって、初めて父として息子に真っ向から対峙するようになりますね。


(管理人ヤマ)
 ええ。でも、そういう事件というものを「絶対的に」必要とするのが実の父子関係なら、やっぱり哀しい関係ではあります。


(TAOさん)
 ルーニーのほうは、実の息子の不始末によって、サリヴァンという理想の息子を失い、不肖の息子の父として、どう行動すべきかの決断を迫られます。
 ヤマさんは、二組の親子の違いを象徴する行為として、サリヴァンが息子に車の操縦法を教えるところを挙げてましたよね。これは、アメリカ人や日本人のおとうさんたちが必ず夢見る「息子とキャッチボール」とも通じるんでしょうか。


(管理人ヤマ)
 そうです、そうです。
『チョコレート』での、あの一夜とも通じます(笑)。


(TAOさん)
 あ、なるほどー。それは気づきませんでした(笑)。


(管理人ヤマ)
 身体感覚を伴った共同作業って大事ですよ。でもって、その過程において何かの獲得と達成感を喜びとして共有しつつ、たわいもないへまやへぼを許容しあいながら、はしゃぎ、笑う。
 とっても大事なことだと思いますね。


(TAOさん)
 でも、「息子とキャッチボール」とも通じるのだとしたら、何かを教えることによって、父が息子に伝えられることには、年齢制限もありそうですよね。


(管理人ヤマ)
 僕は必ずしも年齢制限だとは思ってないんですよ。多分に年齢にも関わってくることが多いとは思いますが、要は距離感のほうでしょうね。


(TAOさん)
 たしかに! 問題は距離ですね。近すぎても離れていくのが難しく、遠すぎると、縮めるのに大手術が必要となると、じつに難しい問題ですね。親子の距離って。


(管理人ヤマ)
 息子が幼いときであっても、既に手遅れとなるくらいの距離が生じているとそれをつめていくのは、なかなか難しいでしょうし、年は食っていても、幸いにして、そこまでは離れていなかったら、必ずしも手遅れにはならないかもしれません。
 他の人間関係においても基本的には同じことが言えるんですが、とりわけ難しいのが男女関係と親子関係で、なかんづく親子関係が最も難しいんでしょうね。
 万能ではないにしても、とりあえず、くっついてみて失地回復ってなカンフルさえも使いようがありませんし、全く難儀です。考えようによっては、そういうまやかしにもなる要素がない分、判りやすくはありますが、それだけに対処はむずかしいですよね(笑)。


(TAOさん)
 少なくとも、ルーニーは、息子のつきつけてくる宿題に応えるのが遅すぎたように思えました。


(管理人ヤマ)
 年齢的なもの以上に、距離的な意味合いで確かに遅すぎましたね。きっとチャンス自体は、それまでにもあったんでしょうけど。
 ただ距離を生じさせやすい状況として、父親が偉大だと余計にそうなりやすいってことがありますよね。『チョコレート』でのバックがハンクに対してそうだったように、別に大物ではなくっても息子にとって父親は強く大きな存在であるわけで、ましてルーニーは、回りの大人達がみんな一目置いている大物なんですから、コナーにとっては、遠い存在になりやすかったでしょうね。サリヴァンがマイケルに「父親であること以上の存在感」を家庭に持ち込んでいなかったのは、幸運だったのかもしれません。


(TAOさん)
 ええ、その点で、長嶋茂雄・一茂親子は、たいしたもんだと注目してます。


(管理人ヤマ)
 そうそう。僕もどこかで引き合いに出した覚えがあります(笑)。


(TAOさん)
 あんなに偉大な父親を持ち、途中まで同じ道を歩んだりすれば、ふつう萎縮しそうなものなのに、一茂っていつものびのびしてるでしょう?
 真顔で「うちの父も野球をやってたんですが」なんて言ったりするし。そんなの知らない人なんてどこにもいないのに(笑)。


(管理人ヤマ)
 そーなんですよー(凄い)。


(TAOさん)
 あの小学生並みの屈託のなさは、すばらしいなと感心してしまう。


(管理人ヤマ)
 父親にもそれありますが、そういう点では父親よりもエライですよね。


(TAOさん)
 でしょー。


(管理人ヤマ)
 あれは母親が別の意味で偉大だったのだろうか?
 それとも、羨むべき遺伝子かなー。


(TAOさん)
 すごい遺産ですよ。あの息子は。きっと、おかあさんも偉かったんでしょうね。
 それはともかく(笑)、話を映画に戻しますと、「チョコレート」のハンクと息子の<距離>は、ハンクがマッチョな父に心の中で反撥しながらも、ずっと隠してきた自分の弱さややさしさを、息子から見せつけられることを怖れていたからでしょうね。


(管理人ヤマ)
 自分がネガティヴに思っている自身の部分を我が子に見つけるのが、一番コタエマスからねー(苦笑)。


(TAOさん)
 「ロード…」のルーニーが、息子のつきつけてくる宿題に応えるのが遅すぎた一方、「チョコレート」のハンクは、息子に何かを伝えることはできなかったけれど、息子から課せられた宿題には着手できたような気がします。


(管理人ヤマ)
 僕は、例の一夜に目を奪われて、この宿題の発想がありませんでしたが、まさしくこのように語るべき物語でもありますね。父子ものとの視点を提示してくださっている方は、何人もお見かけしましたが、それさえ僕には新鮮に思えたくらいですから、この捉え方は、僕にとってはとっても新鮮でした(感謝)。


(TAOさん)
 作家の柳田邦夫と亡くなった息子さんの関係にも近いかな。


(管理人ヤマ)
 これについては、僕はよく知らないんで、なんとも(とほほ)。
 そもそも僕は、ハンク一家の親子三代の部分については、ハンクとレティシアの物語の背景ぐらいにしか受け取ってませんでしたからねー(苦笑)。


(TAOさん)
 私はまるで逆でした(笑)。
 ハンクが父親から自立し、息子からもらった宿題をクリアする成長物語の背景に、レティシアとの恋愛が必要だったんだなと。ハンクに比べて、レティシアの背景があまりに足りないんですよねえ。


(管理人ヤマ)
 反論の余地なしだな、こりゃ(笑)。悔しいから、ちょっと抵抗するんですが(笑)、父子ものであれ、恋愛ものであれ、要はハンクの話だから、どっちにしてもハンクの背景しかないって、一応は言ってみたりして(苦笑)。ソニーの背景としての母の話、ないし(笑)。


(TAOさん)
 ハンクにとってレティシアの存在は必然に思えるけど、レティシアの相手がハンクでないといけない必然性が、私にはあまり感じられないんです。


(管理人ヤマ)
 これには全くのお手上げですね(笑)。主人公はハンクってぼやいても、生活力の話しても、虚しいなぁ〜。


(TAOさん)
 虚しいですよ(笑)。ま、この人でもいいか、これも縁かもしれないし、という程度にしか必然性ないんですから。例の一夜も含めてですが(笑)。


(管理人ヤマ)
 いやぁ〜、あれは大事なんですよ、あれは(笑)。編集でいまいちでしたけどね(苦笑)。


(TAOさん)
 あ、でもヤマさんの日誌を拝見して初めて、そうか、ちゃんとラブストーリーだったんだと思いました。ただねえ、と愚痴を言ってるだけですからね(笑)。


(管理人ヤマ)
 お気遣い、恐れ入ります(笑)。


(TAOさん)
 もちろん、自分を必要としてくれる人の存在は、女にとってはありがたいことだし、共に傷を抱える者同士としても、スタートとしてはこれで十分なわけで、計算とは言うよりは直観的な判断で、あのラストの彼女の微妙な表情が生まれるわけです。


(管理人ヤマ)
 これは絶対的にそうですよね、あの物語では。そうじゃないとちょっとツライ(笑)。ガソリンスタンドの名前までそうしてるんだし(笑)。


(TAOさん)
 でも、このふたりがお互いにかけがえのない相手になれるかどうかは、この後のハンクの精進にかかってるような気がしますね(笑)。


(管理人ヤマ)
 あれ? 両者じゃなくってハンクの精進にかかってるんですか?
 きびしいなぁ、女の人は(笑)。でも、そうかも...。


(TAOさん)
 いえ、ふつうのカップルの場合は、両者の精進が必要だと思いますよ(いちおう)。でも、このふたりに限っては、レティシアのほうがアドバンテージ高そうだから(笑)。


(管理人ヤマ)
 確かに。
 ですが、ハンクには例の脳天気な一言を見ても、レティシアとの関係においては、既に「一茂的屈託のなさ」を抱いているかもしれませんよ(笑)。とすれば、それを持続させられるかどうかの鍵は、レティシアが握っているのかもって気もしますね。


(TAOさん)
 おっと、これは一本とられたなあ(笑)。


(管理人ヤマ)
 ちょうど良いあんばいで、ネタ仕込みをして下さってましたから(笑)。


(TAOさん)
 そうだ、あの屈託のなさに負けたからこそ、レティシアはだまってチョコレートアイスを食べちゃったんですよね。


(管理人ヤマ)
 そーなんですよ(笑)。男ってみんなそーゆーとこあるんですよ。一茂ほどに一流ではなくても、ね。
 そして、アドバンテージとったほうが負わされるもの多いってのは、世の常ですからねー(笑)。


(TAOさん)
 たしかにー。 アドバンテージがどうあれ、油断すると足を救われるというのは、男女の関係では、よくあることですよね。そして、アドバンテージが高い方が、油断しがちかも。


(管理人ヤマ)
 ですよねー。だから、ずるっこしーは、それがイヤさにアドバンテージとろうとしなんでしょ(笑)。


(TAOさん)
 うーむ、レティシアも安心してはだめだわ。ハンクもいまや一茂だしぃ(笑)。
 とはいえ、どうもこの映画は、本筋は父と息子のほうで、父親の恋愛は、脇の話のように思えて仕方ありませんでした。


(管理人ヤマ)
 成人指定の父子ものってわけですよね(笑)。珍品ですな(笑)。もっともTAOさんは、家族もの、特に親子ものはツボなんだと、ここに初めておいで下さった頃におっしゃってましたよね。やっぱりそれぞれがそれぞれのツボに引っ張り込んじゃうんでしょーね。無理矢理とまではいかない、充分な妥当性があれば、なおのこと。


(TAOさん)
 ほんとに。 だから、ツボのちがう人の見方を聞くと、ハッとしますね。


(管理人ヤマ)
 そうそう、全く同感。でもってこの作品については、父子ものって御覧になる方のほうが多いのかなって、あちこち拝見しているうちに感じてきたりもしましたね(笑)。
 日誌読み返しても窺えますが、僕はレティシアばっか観てますね(とほほ)。お尻にタトゥーがあったとかまでは書いてませんが(苦笑)。


(TAOさん)
 ヤマさんいうところの「編集」のせいかもしれません(笑)。


(管理人ヤマ)
 いやぁ、お話を伺ってますと、あんなとこに文句つけたりしちゃってるのが、僕の性根のほどを物語っているようで、いやはやなんとも(笑)。


(Gatta@Pegasoさん)
 昨日「チョコレート」を見ました。
 「ブラックコーヒーとチョコレートアイスクリーム」をプラスチックスプーン付きで食べたくなりました(笑)。


(管理人ヤマ)
 僕は、それを夜中の買い出しに行くことをも厭わない心境のほうに憧れちゃいますね〜(笑)。(全然、性根がなおってませんな〜(苦笑)。)


(Gatta@Pegasoさん)
 最後のチョコレートアイスクリーム、ブルーバニー印が気になって仕方がなかったのは、きっと私だけですね(笑)。


(管理人ヤマ)
 少なくとも僕は、ちっとも気に留まってませんでした(笑)。


(Gatta@Pegasoさん)
 個人的にはソニーくんをもっと見ていたかったのですけれど、初めの方のソニーくんとローレンスのやりとりのシーンが好きです。


(管理人ヤマ)
 家族に電話を掛けさせてくれって件についての話ですか。


(Gatta@Pegasoさん)
 ローレンスの最後の食事が運ばれ、描かれていく似顔絵のシーンが結構印象に残っていたりします。もちろん、食いしん坊なので(笑)アイスクリームとチョコバーも気になったのですが・・・・。


(管理人ヤマ)
 似顔絵のことは覚えてますが、食事のほうは...。
 メニューを覚えておられるんですか? Gattaさん(おそるべし!)。


(Gatta@Pegasoさん)
 「ベッドからラストに至る一連のハル・ベリーの表情の演技は、実に魅力的で見事だった」と日誌にありましたが、ハンクとレティシアが対称的にも見えました。


(管理人ヤマ)
 あ、ここ、よろしかったら、もうちょっと詳しく願えますか?(にこ)興味ありありなんですよねー。


(Gatta@Pegasoさん)
 最後の解釈は人によって様々な気がします。


(管理人ヤマ)
 そうなんですよねー。
 実は、僕は観たときはこれしかねーだろって心境だったんですが、考えてみたら、そうとばかりも言えないなーと(笑)。


(Gatta@Pegasoさん)
 あのお墓も印象的でした。そしてレティシアのアイスクリームを食べてる表情も・・・。
 書いているうちにまたアイスクリームが食べたくなってきました(苦笑)。
(結局アイスクリームのことしか頭に残っていないアホアホなGatta)


(Tiさん)
 『チョコレート』は「ヤマさんの脚本家養成講座」といった趣きで、なるほど〜と思いつつ、手品のタネを見てしまったような気分にもなりつつ(笑)、楽しませていただきました。


(管理人ヤマ)
 ちょっと興醒めでしたかね〜(苦笑)。あんまり感心したもんだから、ついついくどくど書いちゃいました。演技のほうばかりが脚光浴び過ぎって気もしましたし(笑)。


(Tiさん)
 「継承」についての作品としては、善悪両面を捉えているという点でも、僕も『チョコレート』の方が好きなのですが、『ダスト』の場合はその逆の、現実から物語へのフィードバックも描かれていたことにメロメロになってしまったんですよね。


(管理人ヤマ)
 そういうことで意図的に今回並べてアップしたわけでもなかったのですが、言われてみると、両方とも「継承」についての作品とも言えますね。でも、そういう意味では、TAOさんがお書きになっているように、継承という側面での「逆からのフィードバックとしての宿題」がソニーからハンクに返されてきているところが、効いていますよね。


(Tiさん)
 故人というのは不変でもう手の届かない存在なのではなく、いつでも双方向にコミュニケーションがとれる相手として物語の中に息づいてるんだよっていうメッセージが、特に『ダスト』のあのラストシーンに込められていた気がして。


(管理人ヤマ)
 もしかしたら、ハンクにとって、ソニーは故人になってから初めてコミュニケーションを取り始めた相手だったのかもしれません。


(Tiさん)
 『ビフォア・ザ・レイン』もぜひ観てみようと思いました。


(管理人ヤマ)
 ぜひぜひ御覧ください。僕にとっては『ダスト』を霞ませる作品でしたから(笑)。


(Tiさん)
 過去ログの「知識」のお話は、たぶん645番のミキさんのご発言が発端だと思います。


(管理人ヤマ)
 おおー! 探し出してくださったんですね。恐れ入ります。僕も再読してみましたが、すんごく難しいことについて、果敢にみんなで意見交換していますね〜。
 みなさんの非常に真摯なお言葉に僕なんか途中でお詫びの言葉を添えて、きちんと構え直して言葉を足し直しておりましたね(苦笑)。
 おー、恥ずかしー(とほほ)。


(Tiさん)
 感動しつつ興奮しつつ再読して、今回はちゃんとコピー&ペーストして保存しておきました。


(管理人ヤマ)
 これはまた掲示板の管理人としては、冥利に尽きますね〜(感激)。
 それにしても645ですか、改新ですね。会心(笑)。いま約3000番でしょ。随分と遡ってくださったんですねー(感心)。でもって、その頃からROMして下さっていたってことですよね(驚)。なんか、しみじみ感動しちゃいました(深々)。


(Tiさん)
 自分がほとんどカレーのことしか憶えてなかったことに呆れましたけど、おかげでまた新鮮な気持ちで味わうことができたので、まあいいかなって(笑)。


(管理人ヤマ)
 いやぁ、僕はそれも言われるまで忘れちゃってましたから(苦笑)。あんなにマジメで見識豊かな御意見を皆さんから戴いておきながら、不届きな管理人ですよ、全く。
 あのときのみなさま、失礼しました。この場を借りてのお詫びです(笑)。
by ヤマ(編集採録)



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―