『ダスト』 (Dust)
監督 ミルチョ・マンチェフスキー


 六年近く前に観た前作『ビフォア・ザ・レイン』は、卓抜した構成力で、鮮烈な時代感覚や地域性に根ざした深みのある問題意識を象徴性に富んだ豊かな映像世界で綴り、強い印象を残してくれる作品だった。そのせいで自ずと湧いてくる期待を抑えがたいままに臨んだせいか、少々期待外れに終わってしまったのが残念だ。
 構成や映像展開の意外性は、前作同様に健在で、前作がマケドニアとロンドンだったものが、今回は、マケドニアとニューヨークになっている。しかし、前作において、時空を越えているかのように感じさせる形で切り取られた“同時代性”の持つインパクトが、スケール感と強烈さを効果的に印象づけていたことに比べると、今回は物語的には、実際に100年の時を隔てて人の心のなかに息づいている記憶とその語り継ぎによって紡がれた話なので、意外性のもたらす驚きという点では、割り引かれてしまうし、前作のあれだけの状況的な差異と相同性を包括したうえで成立している“同時代”というもののスケールの大きさについては、今回はむしろ個人のなかに密やかに息づく歴史に焦点を当てているから、却ってスケール感が宿りにくいのかもしれない。僕が少々期待外れと感じたのは、抑えがたく寄せていた期待の一番大きな部分が、このスケール感だったからではないかという気がしている。
 ただ、人の営みとしての“物語り語り継ぐ行為”というものが、ある意味で性行為とも同じくらい人にとって根源的なものであるという感覚を作り手が持っているようには、確かに感じた。子を産み、命を継いでいくという目に見える形での創造継承行為と物語を生みだし語り継ぐことは、目には見えないけれども、同じことなのかもしれない。そして、命の創造継承行為に携わる関係者を“家族”と規定するように、物語にも家族があり、一家や系譜がそれぞれの個人たちにとってあるのだという感覚が窺えるように思う。この映画のオープニング・シーンで、エッジ(エイドリアン・レスター) が盗みに押し入ったアンジェラ(ローズマリー・マーフィー)の古いアパートの一室をカメラが捉える際に、下のほうの階から舐めあげていく形になっていたのだが、そのときに、とある一室では性交のさなかにある姿を映し込んでいっているのは、まさしくその現れだという気がする。
 そういう点では、兄に代わって、マケドニア人のネダ(ニコリーナ・クジャカ)と「教師」と呼ばれる独立運動の闘士(ウラード・ヨバノフスキ) との間の娘アンジェラを自分の娘として引き取り育てたイライジャ(ジョセフ・ファインズ)が、アメリカ西部のガンマンで、ひょんなことから動乱のマケドニアで賞金稼ぎをやっていた兄ルーク(デビッド・ウェンハム)の物語を生み出し、それを語り継がれたアンジェラも、彼女から語り継がれた黒人青年エッジも、さらにはアンジェラの遺灰をマケドニアの地に返すべく向かう飛行機にたまたま乗り合わせ、エッジから語り継がれる物語に関心を示す女性客も、みなこの物語を継承していく家族なのだという観方ができるように思う。そういう意味では、病院でアンジェラとエッジが共に親子の感覚を持ち始めたとしているのも故ないことではないわけだ。
 そして、口伝による物語なればこそ、継承されながらも語り手を経ることで次世代において物語が変わっていくという点で、まさしく命の創造継承行為としての家族の系譜とイメージ的に巧く重なる。正確に事実として伝わるよりも物語として息づいていることに意味があるのは、命の創造継承行為において、クローン人間を求めることより遺伝と文化の継承による次世代の進化を期待することにも重なるような気がする。そういう意味での口承物語としての変化の様相なりダイナミズムは、巧みに映像化されていたと思う。
 さればこそ、語られる物語におけるルークに伝説化に足りる、善悪を超えたスケール感での人間的魅力が欲しかったのだが、弟嫁リリス(アンヌ・ブロシェ)を巡る弟イライジャとの確執においても、ネダに命を救われたことによる変化においても、今一つ存在感に乏しい気がした。むしろ、さまざまな登場人物のなかで一番影が薄いような気がする。そこが致命的だ。兄弟に確執を生じさせる運命の女リリスの存在感もやや乏しい。
 リュミエール社とおぼしき映画創生期の興行の様子を巧く取り込んだり、ジグムント・フロイトの手帳へのサインを登場させたりして、二十世紀初頭を上手く感じさせつつ、人の心のなかに物語を見い出し、映画として語り継ぐ作品であることを提示しているようにも感じた。
 つい先頃、立松和平の『光の雨』を読み終えたところだが、あの作品も孤独な死を目前にして、老いた玉井潔がたまたま接点の生まれた若者たちに物語を託していく小説だった。命の継承以上に、語り継いでおきたいと思う物語を人は持っていて、余命少なくなればこそ、それを果たしてから死にたいと願うものなのかもしれない。少なくとも、大量の金貨を残すことなどには、いささかの意味も見い出したりしないものなのだろう。

推薦 テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0211-2seibei.html#dust

推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dayfornight/Review/2002/2002_08_05.html

推薦テクスト: 「マダム・DEEPのシネマサロン」より
http://madamdeep.fc2web.com/dust.htm
by ヤマ

'02.11. 6. 県立美術館ホール



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