『ノー・マンズ・ランド』(No Man's Land)
監督 ダニス・タノヴィッチ


 見事な作品だ。最初にユーモアを湛えた調子でボスニア側から始まったから、例によってセルビアが悪の側に置かれているかと思いきや、そんな俗な視座にはないシンボリックで豊かなイメージを湛えた作品だった。後でチラシを観ると、ボスニア生まれの32歳の監督デビュー作だとのこと。この年齢で、ボスニア出身でこういう作品を生み出すことができることに敬意を覚えた。

 戦闘場面は、ほとんど出てこない。最前線に挟まれた誰もいないはずの中間地帯で、思わぬ形で身動きが取れなくなったボスニア兵士とセルビア兵士の三人を軸に国連保護軍[UNPROFOR]やマスコミを絡め、笑うに笑えぬ滑稽さを湛えて、この戦争の状況というものを寓話的に語っている。その語り口と舞台装置が素晴らしい。そして、正にこういうことなんだろうなぁという哀しい嘆息を誘い、愚かで哀しい人間の営みを焙り出している。

 武器の始末一つ見ても、どこか大雑把で感情的なチキ(ブランコ・ジュリッチ)と敵であろうと初対面の相手には先ず名を名乗り、握手の手を差し出してしまう、妙に律儀で融通性のなさそうなニノ(レネ・ビトラヤツ)のキャラクターは、それぞれボスニア人とセルビア人の民族性までも投影させたものかどうかは判らないが、両者共に、平時における市民としての平凡さを確かに窺わせるような人物造形で、そこがいい。二人はまた、互いに一方だけが武器を手にしたときに起こる力の不均衡に対していかにも脆く、バランス・オブ・パワーに翻弄される愚かさからは、一歩も抜け出ていないことも露呈している。そこには、二人が個人であると同時に、それぞれの民族そのものを示す形でも位置づけられていることが窺える。

 だから、共通の知人がいて、思わずその話で盛り上がるところには、両民族が敵対し、殺し合うことが似つかわしくないことが端的に現されていて、前線で戦う彼ら兵士には、争い合っている理由について、相手が仕掛けてきたからだと投げ掛け合う以外に根拠を見い出せないでいることが浮彫りにされている。美しい国土を荒廃させていることに対する慚愧の念は双方ともに強く、戦争に勝って得られるものへの展望がないことも同じだ。状況的には、全く本末転倒してしまって、戦争を報じるマスコミや介入してきた国連保護軍に仕事を与えてやるために、両民族が人民の命を差し出しているようなものなのだ。それなのに、互いの小競り合いのなかで理由なき争いが憎しみに彩られた殺戮へと高じていくさまは、こうしてシンボリックに描き出されると、馬鹿馬鹿しいほどに無意味なのだが、実際にこじれていくときの行きがかりというものは、こういうことなのだろう。

 しかも、最前線では、わずか二人の不審者の調査のために停戦命令が出ると簡単に停戦状態が確保されるのに、国際会議の場で調停を行っても、戦争自体の停戦合意が整わないのは何故で、誰が戦争をしたがっているのか。中間地帯での不審者であるということで、マスコミが嗅ぎ付けたということで、わずか三人の命を救うために多大な動員が果される一方で無造作に大量の犠牲者を輩出していたりもする。すべての事々が何処かおかしく変で、ただただ愚かしさばかりが浮かび上がってくる。そんななかで、愚かしさの真っ只中に放り込まれ、翻弄されている最前線の人々に対しては、たとえマスコミや国連保護軍の人々に対してさえも、作り手の視線に糾弾的なものがないところが気に入った。

 批判的な視線は、専ら直接的に国連保護軍の本部司令官ソフト大佐やマスコミの局ディレクターに向けられる。紛争解決に尽力しようという気など更々ない大佐は、愛人とおぼしきミニスカートの秘書を囲っていて、当初は両陣営からの出動要請に取り合わず、その理由として双方の陣営に相手側が受け入れないからだとする虚偽情報を流せと言う。マスコミに嗅ぎ付けられ、しぶしぶ乗り出さざるを得なくなった事態を前に現場の軍曹を咎め、ヘリで現地に乗り込むパフォーマンスには、くだんのミニスカ秘書を伴う。挙げ句、うまく処理できそうにないと見るや、双方の陣営に虚偽情報を流して戦闘勃発を促すことで、証拠隠滅を図ろうとさえする。局ディレクターは、ひたすらセンセーショナルな映像やインタビューを取ることを現地報道員に求め、これまた煽ろうとしているかのようだ。

 本来、見識を発揮すべき立場にいる者がその使命を負うことなく、無責任に身勝手な権力行使に終始することが、この愚かな状況を一層困難にしている。それは、戦争当事者側の指導者たちにも当然にして言えることだが、良識の名の元に介入してきている彼らがこのていたらくであることへの作り手の怒りと失望には実に深いものがある。現場にきちんと権限が付与されていれば、事態はもう少し変わるのではないか。最前線で、ニュースフィルムとして戦地を撮影していたというタノヴィッチ監督には、その思いがあるような気がする。

 背中の下に特殊な地雷を仕掛けられ、国連保護軍の爆発物処理の専門家の手にも負えず、もはや誰にも手出しができなくなったアンタッチャブル状態で最後に捨て置かれたボスニア兵士ツェラ(フィリプ・ショヴァゴヴィッチ)。戦闘など止めて糞がしたいのに、身動き一つできずに酷暑のなかで脂汗を流しながら横たわる彼の情けなくも絶望的な姿が、まさにボスニアの置かれた状況だというわけだ。




推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dayfornight/Review/2002/2002_07_15.html
推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0206-1nomans.html#noman's
推薦テクスト:「神宮寺表参道映画館」より
http://www.j-kinema.com/rs200206.htm#ノー・マンズ・ランド
by ヤマ

'02. 9.11. 県民文化ホール・グリーン



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