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『犬身』を読んで | |||||
松浦理英子 著<朝日新聞社 単行本> | |||||
八年前に『親指Pの修業時代』を読んだときに、読書好きの友人から薦められていた宿題を今頃になって片付けた。タイトルからして、愛犬が高じて性的領域に立ち入る話だろうと察しをつけていた部分は見事に外された変身譚で、さすが松浦理英子だと思った。そして、八年前に「僕と同じ生年の作家だから、昔から名前は知っているものの、三十代前半時分に書いた本作によって今回初めて読んでみて、その思考回路と感覚に非常に興味を覚えた」と記した部分については、またしても大いに感心させられながら読み始めた。 小説の冒頭、主人公の名前が「八束房恵」となっていて八犬伝の八房じゃないかと思っていたら、早々に「滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』」(第一章 犬憧 P19)の名が出てきた。そして、「性同一性障害ってあるじゃない? 『障害』っていうか、体の示す性別と心の性別が一致していないっていうセクシュアリティね。それと似てるのかな、わたしは種同一性障害なんだと思う」(P22)との房恵の台詞が現われ、玉梓を彷彿させる「玉石梓というその二十代の女性陶芸家」(P29)が登場するに至って、ほぼ確信したのだが、そうすると、魂のコレクターを自称する「Bar 天狼 朱尾献」(P38)は、赤岩一角に化けていた妖怪猫かと思いつつ、名前こそ由来するにしても、物語は八犬伝から離れ、近年とみに耳目を集めるようになったSOGI【性的指向・性自認】の問題を炙り出すうえで、性の越境どころか大胆にも、種の越境を設えた意欲作なのだろうと思ったわけだ。 だから、房恵の台詞に「わたしにセクシュアリティというものがあるとしたら、それはホモセクシュアルでもヘテロセクシュアルでもない、これは今自分でつくったことばだけど、ドッグセクシュアルとでも言うべきなんじゃないかと思う。…そして、犬だから相手の人間の性別にはこだわらない、と。これで納得してもらえる?」(P82)との台詞にほくそ笑んだのだが、第二章 犬暁で、そのドッグセクシュアルにまつわる描出が進むにつれ、なるほど愛犬家ならではの筆致(P142,P156~P157など)に感心しつつも、いっこうに“Sexual Orientation”のほうに向かっていかないことに焦れていたら、玉石梓と兄の彬の只ならぬ関係のほうに展開していった。そして、そこに母親の娘と息子への向かい方の問題が絡んできて、もっぱら家庭内性暴力のほうに主題が移行したように感じられた。 そういう意味では、いささか拍子抜けした感のある作品だったが、「「少しいやがられて、でも結局は受け入れられるのがいい」と自分の性癖を説明していたけれど、実際に彬が梓に対してやっているのは、「少し」ではなくてものすごくいやがられているのに、恩を着せたり、暴力はふるわないにせよ女が男の腕力に逆らえないのを利用して、強引に受け入れさせるという行為にほかならない。しかし、彬はそんなことにも気がついていない、というか無頓着なのだった。」(P275)との記述が象徴する関係性に戦慄を覚えつつ、五歳下の妹が中一の時に口腔性交をさせ、中三のときから性交を強いてきた(P270)当の梓に「おれは女に少しいやな顔をされないと途中でやる気をなくすんだ。少しいやがられて、でも結局は受け入れられるのがいい。おまえにつけられた癖だぞ。だから、おまえとするのがいちばん手っ取り早い」(P274)などと言ってのける彬に対して、フサが房恵だった時分に知った「彬のようなタイプの人間」(P179)として朱尾に挙げていた中学校の同級生だった美香のことを思い出し、「この子には謝るべきところで謝らない変な癖があって」と語るフサに、朱尾が「わかるよ。その美香とやらは、自分が遅刻したせいでサイン会に間に合わなかったという取り返しのつかない大失敗を認めたくないばかりに、次々に他の物事に責任転嫁して、あげくのはてにありもしなかった話まででっちあげている。その責任転嫁のしかたにどんなに無理があるかは誰にでもわかるのに、どうしたわけか本人は自分の言い分は理にかなっていて人にも認めてもらえると信じてるんだな」(P180)と返していた部分に「アベ美香?(笑)」と思ったことを想起した。 (TAOさん)2020年07月24日 06:25 ついに読んでいただけましたね。 安直に愛犬が生じて性的領域にという趣向に行かないところがさすが松浦理英子でしょう? まさにそこがおすすめのポイントでしたが、当の私は中身をすっかり忘れてます(笑)。彬のそのいけしゃあしゃあとした台詞には改めて怒りが沸き起こってきました! 今この時点で読めば、たしかに「安倍ミカ」ですね。 ヤマさんにまたまたおすすめしたい本がありますよ! 『聖なるズー』という本なのですが、今度こそまさに愛犬高じて性的領域に越境した人々の主張を探るルポで、ただしいわゆる獣姦とは次元が違う。なにしろ書き手は10年間性的虐待に悩まされた女性で、トラウマを解消すべく性と暴力を相対化するために文化人類学を志し、前人未踏のフィールドワークに向かった結果がこの本なのです。 いやもうここ数年、いや『犬身』を読んで以来、これほど目からウロコが何枚も落ちた本はありません。ヤマさんにはとくにおすすめです!!! ヤマ(管理人)2020年07月24日 09:49 ◎ようこそ、TAOさん、 中身をすっかり忘れるほど日だけてしまい、恐縮です(詫)。 でも、僕的には、セクシャル・オリエンテーションやらジェンダー・アイデンティに耳目が集まり始め、家庭内性暴力の問題が今までになく社会的関心を集めている今が、タイミング的にはよかったようにも感じています。 つい先ごろ、トランスジェンダーの方の話を直に伺う機会を初めて得たところでしたし。 話をする相手と場所を限ってトランスジェンダーであることを表白しておいでるようでしたが、肉声というのは言語化されている部分以上の情報量があって、とても興味深かったです。 『聖なるズー』お薦めありがとうございます。 今度は「中身をすっかり忘れる前に」と思いますが、図書館にあるかなぁ。 河合香織の『セックス・ボランティア』を推薦いただいたときは、近所の書店では売り切れで図書館には入ってきてませんでしたから、今回も心許ないですが、せめて「すっかり忘れる」前の「記憶が薄れかけている」あたりまでには宿題を済ませたいな(苦笑)。 (TAOさん)2020年07月25日 09:30 ほんとに、『犬身』は今こそ読まれるべき本かもしれませんね。 トランスジェンダーの方に関する肉声の情報量のお話も興味深いです! 私は最近、男でも女でもない、もしくはどちらでもありうると表明する「ノンバイナリー」の人たちのドキュメンタリーを見ました。 直接会ったわけではなく、字幕を通してではありますが、肉声とか表情のもつ情報量は豊かですね。 「トランスペアレント」というアメリカのTVドラマも刺激的でした。 60代の父親がある日「女になる」と宣言、元妻も3人の子どもたちもそれぞれにセクシュアリティに関わる問題を抱え、ジェンダーはもちろん、異常と正常、被害者としてのユダヤ人と加害者としてのユダヤ人などなど、まあありとあらゆるボーダーをトランスさせられました(笑)。 その結果、すべてはグラデーションであって、もともとボーダーなんてものは人為的につくられたものに過ぎないという認識をますます強くしています。 それと、ヤマさんが『セックス・ボランティア』で指摘された“納得感”と“自己決定権”は大きなキーワードだと思います。『聖なるズー』においてもそうでしたよ。 この本、いろんな人に熱く薦めているのですが、語れば語るほどドン引きする人も(苦笑)。 あ、夫は読んで面白いと言ってました。 ヤマさんにはきっと興味深く読んでいただけると太鼓判押します。 ヤマさんご利用の図書館にはリクエスト制度はないですか? リクエストされた書籍を購入もしくは他の自治体の図書館から借りるシステムなんですけど。 「開高健ノンフィクション賞受賞作品」なので、購入してもらえる確率は高いかと思います。 ヤマ(管理人)2020年07月25日 20:07 >ほんとに、「犬身」は今こそ読まれるべき本かもしれませんね。 「安倍ミカ」の部分も含めてね(笑)。 肉声の持つ調子や間合い、表情が言葉に与えるニュアンス、これらは、字幕であるか原語理解ができるかに拠らず、大いに情報としての力を持ってますよね。 >もともとボーダーなんてものは人為的につくられたもの まさに国境がそうであるように、全てのボーダーがそうですよね。 『聖なるズー』、当地の県立図書館にありました。 利用カードの有効期限が昨年秋に切れていて、予約できなかったけど、近いうちに行ってこようと思います。 参照テクスト:濱野ちひろ 著 『聖なるズー』読書感想 | |||||
by ヤマ '20. 7.23. 朝日新聞社<単行本> | |||||
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