『親指Pの修業時代(上・下)』を読んで
松浦理英子 著<河出書房新社>


 上巻を読んで滅法面白かった部分は、下巻に至って失速感があった。だが、この歳にもなれば、それが一般的か否かはともかく、大概の事には自分なりのイメージというか概念形成が出来ていて、性愛でも敬愛でも友愛でもそれなりに掴めているのに、恋愛というのは今だによくわからないでいる僕にとっては、非常に刺激的な小説だった。
 僕と同じ生年の作家だから、昔から名前は知っているものの、三十代前半時分に書いた本作によって今回初めて読んでみて、その思考回路と感覚に非常に興味を覚えたので、別の作品も読んでみたいと思っている。

 女性が女性であるままに、右足の親指のみがペニスのように刺激によって勃起と萎縮を繰り返すばかりか形状もそっくりで性感をも備えた器官に変形してしまうという設えが単なる奇抜に終わらずに、性行為の意味及び性的アイデンティティの根幹を問い掛ける物語になっているところに大いに感心した。やはりペニスへの囚われは、男以上に女性のほうが強いのかもしれないと思いつつ、前世紀にフロイトが果たした影響力の大きさを改めて感じた。

 最近は少し回帰傾向が出始めている気もするが、世間の男女がしたがっているのは、しち面倒臭くなく傷つかない恋、手軽で心地よい恋、重荷にならない恋なんですよ。辛いこともあれば邪魔になることもある本物の恋なんか誰も求めてやしません。恋愛の甘い部分だけがほしいんです。(上巻 P8)との彩沢遙子の弁は、ほぼ二十年前の著作ながら、今もあまり変わっていないような気がする。その遙子が金持ち好きの女たちは、必ずしも打算ずくで金持ち男とつき合っているわけではないんです。…打算からではない、おいしいものを食べさせてくれたり高価なプレゼントをくれるからではない、そういう得をする面とは関係なく、自分は純粋に彼を愛しているのだ、と思い込んでいる子たちが案外いるんですよ。…そんな女の子たちを身近に見て私は、非難するよりもむしろ、錯覚や思い込みだとしても、利益と引き換えに胸の内に愛情らしき情熱を生み出せる彼女たちの能力に、感嘆せずにいられませんでした。(上巻 P6)として、一種の風俗産業なんですけど、性を売るんじゃないんです。愛情を売るんです。(上巻 P5)という事業に成功しながら、マスコミも含めて、うちに集まってくる男女を眺めていると、人間が嫌いになるんです。やっぱり私は人間の悲しさや滑稽さを愛せないみたいです。特に女が嫌ですね。何の志もなければ自分の手で人生を切り拓いて行こうという積極性もない-(上巻 P11)などと言って自殺してしまったことを前段においたうえで、前記の問い掛けをしているところに時代的意味があるように感じたのだが、それが物語の進展とともに時代性を超えた普遍性へと向かっていっていたような気がする。

 それゆえに、作品的評価はもしかすると性にまつわる器官に普通の人と大きく違った特徴がある(上巻 P222)特別なメンバーによる見世物一座<フラワーショー>に真野一実が同行し参画するようになる“異形の者たちの遍歴”のなかに込められた哀しみや象徴性のほうにあるのかもしれないが、僕自身は、僕、恥ずかしいって気持ち、よくわからないな(P323)と語る盲目の音楽家の犬童春志の感覚や、この男は子供なのだ、と私は思った。もはや一人前なのに、慰めと“深い愛情”と性を三つとも同時に要求しないでいられないお坊ちゃんなのだ(上巻 P82)などと思われながらも人と別れたいとか絶交したいと望んだことは私にはない。いったん気が合って友達になったら、一生友達だし、男に好意を抱いて恋人になったら結婚して死ぬまでともに過ごすのが自然だと思っている。それはあまりにもおめでたい考えかただと遙子は言ったが、近寄ったり離れたりを繰り返している世の人々の方が、単純なことをわざわざ複雑にするゲームに囚われているように見え(上巻 P41)知り合ったばかりの人とのお互いに関する情報交換の楽しみよりも、充分に馴染みになった人と会って覚える安らぎの方が私は好きだ。だから、人とはできるだけ長くつき合いたい(上巻 P33)一実が三年以上つき合っていた小宮正夫との関係や、春志の従姉で夢ではない。現実の快感だ。快感に引きずられたかのように瞼が開く。下半身の方へ眼が行く。声も出なかった。視界に飛び込んで来たのは、あられもない姿で私(一実)の親指ペニスを陰部に収めているチサトだった(上巻 P193)というチサト(サトコ)、あるいは正夫が僕は晴彦に引っかかり、一時期夢中になったんだ(上巻 P56)といい春志の後にチサトが付き合っていた岩合晴彦の存在や彼らの一筋縄ではいかない関係のほうだった。

 恥部と恥部で繋がった仲になると、一種官能的な心地よさに包まれるんだ。同性同士でもね。と言うか、もしかすると男女の仲より心地いいかも知れない。男と女は性器で、つまり文字通り恥部で結ばれ合うんだけど、この頃僕は思うんだ、性器は恥部じゃないって。だって、誰でもあたりまえに備えてるちっとも恥ずかしくなんかない器官じゃないか。性器で繋がり合うのだって気持ちいいけど、精神的恥部での繋がりには強い安心感と信頼感がある。全面的にもたれかかって身を委ねたくなる。(上巻 P56)と正夫が晴彦との関係について語ったことは、むろん異性間でも言えることで、当然ながら論理的には精神的恥部に加えて性器でも繋がるほうがより強力で、そこに異性・同性の差異はないということになるのだが、性器は恥部ではないとする正夫の言以上に目に留まったのが、これに続いて君はいつも淡々としているから。と聞かされた一実が浮かべた想念だった。自分では気づかないうちに人を苦しめていたと知った時の辛さを、私は学んだ。知ったところで改められる保証はなく、これからも同じように人を苦しめるかもしれない自分に対して込み上げる歯痒さも。私は冷淡に生まれついた人間なのだろうか。人は私の示す行為に満足しない。私の心からの好意は通じず、人はもっともっとと要求する。正夫も、そしておそらく遙子も。私はまた人の好意を身悶えするほど欲した経験がない。いつでも人が自発的に与えてくれるだけの好意で充分満たされる。人がなぜ私のようではないのかという点こそ疑問である。先ほど正夫が言った、誰かと恥部で繋がると安心感と信頼感が生まれるという心性も、自分に置き換えて納得することはできない。だいたいのところは推測できるが、そもそもなぜそれほどまでして安心感と信頼感を得なければ気がすまないのか。なぜ日常の人とのふれあいで安心できないのか。普段は不安と猜疑心でいっぱいなのだろうか。どうやら世間にはたいへんな人生を送っている人々が少なくないようだ。それに、精神的恥部とは具体的にどんなものなのだろう。(上巻 P58)との思いは、遠い若かりし頃に自分が抱いた覚えのある感覚と通じているような気がしたからだった。そして、このような感覚が一実を春志との親和性に向かわせたような気がした。

 なかなか笑えたのがまず正夫は彼の目前で親指ペニスの性能を披露することを注文した。人前でなんかできない、と言うと、『昔おまえは俺に同じことをやらせたじゃないか』と責めた。事実、私は正夫に射精の瞬間を見せてくれるよう頼んだことがある。やむなく私は正夫の注文に応じようと試みたが、やはり人眼があると親指ペニスは萎縮してしまって、言うことを聞かなかった。『やあい、インポテンツ。』正夫は嬉しそうに笑った。『な、男ってデリケートなものだろう? 案外苦労があるんだよ。』(上巻 P60)との段で、『俺はよくよくホモの気がないんだな。自分のものにしか触れないんだよ。…自分のを掴まれるのはまだいい。人のを掴むのが本当に辛かった。わかるかい?』…『自分じゃ嫌なことを人がしてくれるのは平気なの?…あなたは口でやってもらうのが大好きじゃない。』…正夫は笑った。『だって、君は女じゃないか。それとも嫌なの?』『嫌じゃないけど。』答えたものの、どこか割り切れない思いが残った。…『フェラチオしてもらうのは好きだよ。愛されてるという感じがするからね。女の子って、本当に男が好きじゃなければ口に含んだりしないだろう?』鈍い私だが、この時ばかりは素早く頭が働いた。『それって、ペニスとはとにかく汚い物だという前提に立っていない? 汚い物なのに口に含んでもらえるから、愛されてると感じるわけでしょう?』『そうだよ。』正夫は頷いた。『そこまでしてもらわないと、愛されてると思えないの?』『そんなことはないけど、深く愛されてると思いたいじゃないか。』また私を混乱させることばが出た。『もっと好きになってほしかった』だの『深く愛されてると思いたい』だの、全く正夫の望みは一貫している。先日は彼はそんなに愛情に飢えているのか、たいへんな不安と猜疑心に満ちた人生を送っているのか、と心配になったけれども、今度は何だか贅沢な望みを持ったお坊ちゃんのように思えた。同時に私は、これまで単なる愛情表現のつもりでしていた行為が、正夫にとっては『深い愛情』の表現という重要な意味を担っていたのだと知って、感慨を催した。なるほど、ペニスを汚い物とする感受性の持ち主であるから、フェラチオに重要な意味を持たせいっそう愉しむことができるのだろう。偏った感受性にも便利な側面があるものだ。しかし、自分が汚いと思っている物を好きな相手の口に押し込むことに抵抗はないのだろうか。さっき正夫は『だって、君は女じゃないか』と言った。女は男ほどペニスに嫌悪は感じないはずだ、と考えているのだろうが、正夫は『汚い物なのに口に含んでもらえるから、愛されていると感じるんでしょう?』との私の問を肯定したし、『女は本当に男を好きじゃなければ口に含んだりしないだろう?』とも言って、女もまたペニスを汚い物と思っているのでなければ彼の歓びが深まらないと言外に語っている。もしかすると、彼がフェラチオで得る歓びは残酷な性質のものではあるまいか。胸がもやもやしていた。もやもやを振り払うために、事をいい方向に考えようと試みる。…正夫は彼が女性向けの『深い愛情』の表現だと考えている行為を始めた。私はこの行為に魅力は覚えるが格別な愛着はない。しなければしないですむ。この行為で正夫の愛情を測ろうとしたことは一度もない。まあ、これが『深い愛情』だと言われれば、何やらありがたい気持ちも湧いて来る。正夫が体勢を変えた。私の番なのだ。正夫の手に導かれて、彼のゆるやかに勃起したペニスに顔を近づける。私は息を止めた。突然、正夫のペニスが“汚い物”に見えたのである。(上巻 P62~65)には唸らされた。

 一実に親指ペニスが出来たことで、二人の関係に潜んでいた潜在的なズレが顕在化し、私が再び怒りに囚われたのは、私を『かわいそう』と言った正夫の表情と声音に奢りに満ちた満足感が感じられたためである。私は強い語調で言った。『あなたは勝手に私をかわいそうな女にして、そのかわいそうな女を捨てられない自分をもっとかわいそうに思って気をよくしてるんじゃないの?』(上巻 P85)との応酬をした挙句、親指ペニスを切り落とされる恐怖を味わい、声変わり前の少年としか思えない甘みを含んだ優しい声(上巻 P87)が象徴的な犬堂春志のもとに逃げる展開になっているのは、正夫のマッチョとは尽く対照的な造形を春志に与えているからなのだろう。

 男は皆親指ペニスを嫌がるだろうか。誰でもペニスを“汚い物”と決めて、フェラチオで女の愛情を確かめようとするのだろうか。(上巻 P78)と思うようになった一実が途端に[性行為に関心を持っているのかいないのかはっきりしなかった(上巻 P106)]春志は私を抱き締めた。小柄なわりには案外な力で、息が詰まりかけた。意外だったのはそれだけではない。一瞬の後、春志は片手で私のブラウスの裾をスカートから引っぱり出しにかかったのである。『何をするの?』声が裏返った。『仲よくなろうよ。』平然と言うと、春志は引っぱり出したブラウスの裾から手を差し入れて来た。私ははね起きて春志の両腕を押さえ込んだ。…振り飛ばされるかと思ったが、春志は従順に動きを止めた。不思議そうな表情で私に問いかける。『どうしたの? 仲よくなる気がないの?』答えるには呼吸を整える必要があった。『仲よくなろうって、どういう意味で言ってるの?』『どういう意味って、みんながやるようにさ。』『みんながみんな、仲のいい人の服の下に手を突っ込むわけじゃないでしょう?』『そう? でも、仲がよければよく触り合うでしょう?』春志の顔つきが大真面目なので、私も大真面目に反論する。『それはおかしな考えかたよ。触り合わなくたって仲よくなれるわよ。だって、男同士、女同士だったら仲がよくたって触り合わないじゃない。一部の変態の人たちを除いては。』『そうかなあ。』…『触って来る男ってよくいるよ。仕事で知り合う人の中に。珍しいことじゃないと思うけどな。』…『触らせるの、あなたは?』『人と仲よくなれるのは嬉しいよ。』私は絶句したが、春志は淡々と話を続ける。『でも正直言うと、男と触り合うのはあんまり愉しくない。ペニスにばかり触りたがるんだもの。やっぱり女の人の方がいいな。女の人は全身を触ってくれるから。声も気持ちいいし。』『待って。』たまらず遮る。『あなた、まだ十九歳でしょ?…あなたと仲のいい人は何人いるの?』『何人かな。六七人かな。でも、ずっと仲よくしてるのはチサトさんだよ。』…春志の話は衝撃的だった。性欲など持ち合わせていないのではないかと思わせるところのある春志が実は性経験が豊かだったとか、彼が男とも性行為をするとかいった点はまあいい。…春志は人と仲よくすることイコール性行為を行なうことと素朴に信じるようになったらしいことである。…そして、親指ペニスが頭を出すと有無を言わさず口中に収めた。…『僕たち、仲よくなれるかな?』“仲よくなろう”ではなく“仲よくなれるかな?”と言ったことに、私ははっとした。春志は無闇に性行為をしたがっているわけではないのだ。仲よくなることイコール性行為をすることと考えているとしても、先に立っているのは仲よくなりたいという気持ちなのだ。だからこそ、性的ではないスキンシップで人を寛がせることができるのだし、親切で優しいのだ。なぜこんな簡単な事柄がさっきは理解できなかったのだろう。(上巻 P109~116)という出来事を契機に、本書のタイトルでもある“修行時代”を迎えることになる。

 一実の親指ペニスを行かせたあと『どうしてみんな、ひとりでに勃つんだろう? 僕がひとりでに勃つのは、朝起きた時くらいなのに。ねえ、どう思う?』『わからないけど、ちょっと抱き合ったり撫で合ったりしたら、昂奮するんじゃない?』『昂奮だって? 抱き合ったら落ち着いちゃうんじゃないのか?』『私もそう思うけど。』『抱き合うたびに昂奮してたら落ちつく暇もなくて、くたびれちゃうんじゃないか?』『みんなは寛ごうと思って抱き合うんじゃないのよ、たぶん。』『そうか、スポーツか何か始めるつもりで抱き合うのか。』『ちょっと違うんじゃない?』なぜ私が男に向かって男の性欲の解説をしなければならないのか、疑問である。(上巻 P129)といった按配の春志に馴染んでいくうちに、私は正夫を好きだったのだろうか。三年半もの間、ずっと正夫とのつき合いに満足し、別れたいなどとは考えなかったし他の男を物色したこともなかった。しかし、今となってはそんなことも正夫を好きだった証拠にはならないと実感する。好きなつもりでいたけれども、本当には好きではなかった。…私は大勢の男の中から彼でなくてはならないと思って正夫を選んだのではない。たまたま近づいて来た比較的感じのいい青年を受け入れ、馴染んだだけなのだ。前の彼は好きなつもりでいたけれど錯覚だった。今度の彼こそ本物の恋人だ-これでは、遙子に<LOVERSHIP>考案のヒントを与えたちゃっかりした女の子たちと変わらないのではないか。私はお金目当てで春志に乗り換えたわけではないし、正夫とのつき合いが終わったのも私が無下に終わらせたのではなく成り行きで破綻したのだが、正夫に対する気持ちのいい加減さを自覚しないでいたことを振り返ると赤面する。…悪かったのは正夫に対してだけだろうか。…大勢の男の中から正夫を選んだのではないように、私は大勢の人の中から友達を選ぶということもしたためしがなかった。同性の友達とは性行為はしなくてもいいから、よほど嫌な性格でなければ誰でも構わなかったのだ。…遙子に対しても悪かったのではないだろうか。…正夫や遙子への罪悪感だけが私を悩ませたのではない。選ぶことを学んでしまった自分の先行きが不安だった。自分が遙子のように自殺したくなるとは思わない。だが、何かを選べば何かを捨てなければならなくなる。春志を選んだ私は、春志以外の物事への関心が急速に衰えていくのを感じている。そして、春志がもし私への興味をなくしたら、と想像すると、どうやって生きていけばいいかどころの話ではなく、想像だけで眼の前が真暗になる。選ぶということは自分を追い詰めるということだ。なぜこんな恐ろしい行為を始めたのだろう。(上巻 P136~139)などと考える一実の思念を辿りながら、自分にも思い当たるものを感じて少々狼狽した。

 しかし、実際のところ“選ぶ”ということにどれほどの意味があるのだろうかと今の歳になってみると思わぬでもない。少なくとも重要なのは、選ぶことよりも選んだ後のほうだ。だから一実の親指ペニスが恨めしくなった。こんなものがなかった頃の方が人間関係もスムーズで幸せだった。しかし、私が満ち足りていて他人に関心がなかった分、私に強い関心を寄せてくれていた人たちは苦しんだのだから、私が変わるきっかけをもたらした親指ペニスに感謝した方がいいだろうか。それにしても、親指ペニスのおかげで変わった私を受け入れてくれたのが、かつての私以上に特別扱いし合う相手を必要としない春志であるのは、皮肉なめぐり合わせである。春志に唯一の相手として選びきってもらうのは絶望的ということが、かつて似たようなタイプの人間だった私にはよくわかる。どうしようもない。(上巻 P150)という感慨にいかにも若々しさを感じたときに、作者が春志を視覚障害者として造形しているのは“恋は盲目”という慣用句から来ているものだと気づいた。逆説的に、ハナから盲目の春志というのは“仲よく”はしても“恋”には陥らない存在ということなのだろう。春志との出会いによって一実が愛し愛されているという思いが性感を昂める。誰でも知っていることなのだろうか。しかし、私はこの間まで知らなかった。知ったからにはもう、好きでもない男との性行為はどんなものか戯れに考えようという気もなくなる。淫乱な人々はきっと心がインポテンツなのだ。性感も貧しいに違いない。それとも、愛情ではなく、私には想像のつかないようなテーマを頭に置いて性行為に燃えるのだろうか。私は昂奮に任せてそんなことにまで思いをめぐらせた。(上巻 P175)のに対し、春志の側の性感は、思えばきちんと綴られることがなかったような気がする。

 他方近代人の病ね。愛がなければセックスができないなんて、そんな不自然なことがある? 愛とセックスを結びつけて欲望を抑えつけるなんて、それこそ不健全じゃない?(上巻 P199)と言うチサトから、眠っている間にチサトの股間に親指ペニスを挿入させられていた一実がそうとわかった瞬間、夢うつつに覚えていた心地よさは激しい嫌悪感に一変した(上巻 P194)ことに対し、同情するどころか、春志は思い掛けない感想を呟いた。『気持ち悪いから触らないでくれなんて人から言われたら、凄く辛いだろうなあ。』これはかなりこたえて、私は絶句した。しかし、触られて覚えた私の嫌悪感はどう始末せよと言うのだろう、と疑問が突き上げる。(上巻 P204)わけだが、まさに心地よさが嫌悪感に一変するということは、その分かれ目が享受する側の意識一つに掛かっていることを示していて痛烈だ。性感を昂めるものも、生理的嫌悪を感じさせるものも、相手側の発しているフィジカルなものではなく、受け手側の心理によるもので、同性愛タブーというものも生理的嫌悪だと意識しても生理と言うよりは心理であることを浮かび上がらせていたように思う。生理的嫌悪を口にしていた一実が後に映子との同性愛に春志とのセックス以上の性感を得るようになるのは、まさしくその嫌悪が生理的なものとは言えなかったことの証のようなものだ。

 そのチサトは、春志とはまた異なる形で性行為にタブーのない存在として登場するわけだが、セックスだけではなく恋愛面でも一実に衝撃を与える存在だ。『今日は君に謝りに来ただけだから。ゆうべはチサトも悪かったと言ってたし-』『あなた一人がいい子になる気?』鋭く言ったチサトを、晴彦は心底呆れた風に見た。『全くおまえがいい奴になるのはセックスの直後だけだな。』『あなたがセックスのときしか私に誠実じゃないからよ。』晴彦は皮肉な笑顔になる。『セックスのとき以外でも下僕でいるのはごめんだね。』チサトが憤然と立ち上がった。私は春志の腕を掴む。『じゃあ、セックスだけのつき合いにする?』『そりゃありがたいね。』チサトが右手を振り上げた。チサトは男も殴るのだろうか、と思ったが、晴彦はさっと立ってチサトと向かい合った。…『俺が殴らせてやると思うか?』陰湿な威嚇だった。鼠に対する猫の嘲弄だった。チサトは晴彦の厚い胸を目の前にして、屈辱に顔を歪めた。『帰って。』言い捨てて身を翻したチサトの腕を、晴彦が掴む。チサトは逃げようともがくが、晴彦はしっかりとチサトを捕えている。二人の揉み合いでテーブルが揺れた。…チサトが叫び声を上げかけたが、顔を晴彦の胸に押しつけられた。チサトは啜り泣きを始めた。晴彦はチサトの背中を撫でた。『馬鹿だな。殴らせてやったのに。』胸の悪くなるような声音だった。晴彦は腕力と体格の差でチサトを威圧しきったことに満足し、優しい言葉を恵む余裕まで誇示している。チサトにとっては二重の屈辱だろう。見ていた私まで屈辱的な気分になった。喧嘩をしかけたのはチサトだが、私はチサトに同情し、私がチサトから受けた準強姦など侮辱のうちに入らないから怒るのはやめよう、とまで考えた。ところが、チサトの反応は違っていた。晴彦の胸でしばらくは反抗の身悶えをしていたが、やがて啜り泣きは甘い鼻声に変わり、拳を解いた手は晴彦の背中にまわった。先刻の激しい対立の気配は名残りもなく、チサトは恋する男に寄りかかって甘えていた。私は唖然として恋人たちの姿に見入った。…チサトと晴彦のカップルが私の眼にはどんなに奇異に映っても、恋愛のかたちは人それぞれだからけちをつけるつもりはない。だが、あんな風にことさら激しく我をぶつけ合い、愛情以外の感情まで惹き出し合って緊張を昂めて愉しむなどという真似は、私は一生したくない。そこまでしなければ彼らは愉しめないのだろうか。果てしない欲望である。(上巻 P217~221)と一実は反発していた。

 そして、チサトの恋人で正夫に一時期夢中になったと言わせた岩合晴彦は、『一夫一婦制にはそれなりの合理性があるとは思うけどさ。俺が世界で一番いい男っていう自信が持てるなら女に堂々と他の男とは寝るなって言えるけれど、俺よりいい男が世の中にはごまんといるとわかってたらさ、浮気はするな、俺で我慢しろとは言えないよ。』女を口説き落とすのが得意な晴彦にしては、意外に謙虚な理由づけである。ことばを切って唇の端に弱い微笑を浮かべる晴彦は、そうありたいと願うほどには自分はいい男ではないという事実を一抹の悲しみとともに受け入れた、充分に聡明な青年に見える。ふと、彼を図太い男とばかり思っていたのは私の誤解だったろうか、との反省が頭をよぎる。だが、一方で口先ではへり下って外見と内面の違いを印象づけるのが彼流の女の気の惹きかたなのかも知れない、という気もする。『それに、セックスに過剰な意味づけをする気もしないんだ。ただ気持ちのいいことっていうだけでいいじゃないか。愛がなければセックスができないなんて、近代人の病だね。』またもチサトと全く同じ科白である。チサトは心なしかうっとりと晴彦を見つめている。どうやらチサトに性愛の理論を吹き込んだのは晴彦のようだ。チサトが晴彦にぞっこんなのは知っているが、恋人のことばまで丸呑みにするというのは可愛らしいと言うよりも気恥しい。私は疑問を口にする。『でも、相手を好きであればあるほどセックスも気持ちよくない?』『それはそうだけれども、好きじゃなくても気持ちがいい。』晴彦が答える。『そこそこに気持ちがいいだろうけど、大した感動もないのに好きでもない相手とわざわざベッドをともにしようという気になれる?』…『君は惚れ抜いていない相手とは絶対にやらない?』『ええ。』『たとえば、君の方では好きじゃなくても向こうは君がとても好き、という間柄の知り合いがいるとしよう。彼が凄く孤独で苦しい状況にあって、君が一時縋らせてやれば救われる、といった場合でも君はベッドをともにしないかい?』…『僕はそういう時に相手を突き放すほど無慈悲にはなれないね。』(上巻 P212~214)と一実を挑発する。

 その後<フラワーショー>に参加し、痛ましさで胸がいっぱいになって、私は言った。『あなたは保の恋人なんでしょう? 玩具じゃないんでしょう?』『玩具になってもいいと思えるような相手を恋人って言うんじゃないの?』(下巻 P96)という映子との同性愛も経験し、接吻を交わしている間中、歓びに浸りながらも私は不思議に感じないではいられなかった。映子の舌使いや愛撫は繊細で優しいという以外に際立った技巧的特色があるわけではないのに、どうしてこんなに快いのか。…唇と舌以外の部分でも相手の貴重さを味わいたいと思えば接吻と愛撫の範囲が広がり、パジャマ越しの抱擁がこれほど心地いいなら素肌で抱き合えばどんなに心地いいだろう、と思えば邪魔な物を脱ぎ去りたくなるのは、自然の成り行きだった。…正夫との性行為も春志との性行為も、その時々で発見もあれば感動もあり、大いに愉しんで来たのだけれども、素肌を合わせたいという欲望が起こってからそれを満たすまでの行程を完全に経験するのは、やはり今回が初めてなのだ。性交の回数だけは重ねながら、今の今までそのような性の基本的な行程を経験していなかった、と知って私はがっかりせずにはいられなかった。ではなぜ今経験できたのか、…不意に思い当たった。正夫や春志と戯れる際、私は性の基本的な行程を濃密に味わおうという気がまえをもって臨んでいなかったのではないか。なぜならば、彼らは男であったから。男と女がどのような心理的経緯を経て性行為へ進むのか、性行為に際してどのような愛戯を交わし、最大の愉悦をもたらす性器結合に至るのか、といった事柄について、私は…常に一般的な性行為のイメージを範として、現実の性行為を実践して来たように思う。こうするものだ、と思えるなら欲望とは関係なく行なった。いや、イメージに頼りっ放しだったから、そもそも自分の欲望を見定める必要がなかった。行為を受ける際も同様だった。こうされればこう感じるものだ、とイメージ通りに快楽を味わおうとしていたのではなかったか。イメージに頼る分、私は自分自身の感受性を開放していなかったのだ。春志は男の中でも変わり種だったから、でき上がっていたイメージに当て嵌まらない部分も多く、かなり柔軟な愉しみかたができたけれども、正夫との性行為はまさにイメージ通りの性行為だった。…これまでイメージに囚われて性の快楽と誠心誠意つき合って来なかった自分の愚鈍さには呆れたが、同性愛への抵抗に打ち克つほど映子を好きになり、やっと性の快楽とまっとうにつき合えたことは、掛値なしに嬉しかった。(下巻 P115~120)という境地にまで“修業”を積んだ一実が“汚さ”についても、もし映子に対して友達としての好意しか抱いていなかったら、どんなに異形の小指の爪にいとおしさを誘われても、汚さを感じて口をつけられないと思う。汚いと感じないのは性的な好意を抱いているからで、そうすると、足の小指を口に含みたいという望みの内にはわずかながらも性的な動機が混じり込んでいる、ということになるのだろうか。いやおそらく、性的な好意が普通なら他人の足に対して感じる不潔感を取り払った結果、友達としての好意を親密な触れ合いのかたちで存分に表わせるようになった、ということだろう。性的な好意が友達としての好意を増強した、とも言えるかも知れない。もしそう言えるなら、性欲というものは人間関係においてきわめて役に立つ、ということになりはしないか。新鮮な思いつきに心がときめいた。(下巻 P142)との進境著しい変化を見せるようになる。

 そして、巻末に至り最終的には、視力を得た春志との元の鞘に収まって理想的な性行為とは何だろうか。いつか私の前で『愛のあるセックスがしたい』と嘆いた政美の理想とする性行為は、当然愛情の通い合う性行為だろう。しかし、愛情を抱き合っている相手との性行為なら私は経験があるが、春志や映子との性行為を理想的だったと言いきるのにはためらいを覚える。流儀だけなら春志との性行為は理想的だったが、強い昂奮と快楽に欠けていた。映子との性行為には強い昂奮と快楽があったが、流儀が合わなかった。二人との性行為のよいところだけを合わせれば、私の理想はでき上がる。愛情だけでは足りないのだ。…理想的な性行為をする機会には一生恵まれないかも知れない。親指ペニスが消えようと残ろうと。けれども私は、理想的な性行為がしたいと思い詰めることはないだろう。愛情には恵まれているのだから。喪失感が少し薄らいだ。(下巻 P315)との心境に至るわけだが、その特異な遍歴のわりには凡庸な帰結に思えるようでいながら、そのようには感じさせなかったところがなかなかの作品だった。
by ヤマ

'12. 2. 8. 河出書房新社



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