美術館春の定期上映会“ザッツ・アジアン・エンタテイメント”


『龍門客棧』['65]台湾 監督 胡金銓(キン・フー
『侠女・上集』['70]台湾 監督 胡金銓(キン・フー
『侠女・下集』A Touch Of Zen['71]台湾 監督 胡金銓(キン・フー
『破戒』['74]韓国 監督 金綺泳(キム・ギヨン
『肉体の約束』['75]韓国 監督 金綺泳(キム・ギヨン
『異魚島』['77]韓国 監督 金綺泳(キム・ギヨン
『ラジュー出世する』['92]インド 監督 アズィーズ・ミルザ
 今回の企画の目玉ともいうべき胡金銓と金綺泳の特集は、ザッツ・アジアン・エンタテイメントというよりも、ザッツ・アジアン・ハチャメチャ映画とでも言ったほうがふさわしいプログラムであった。ここ十数年くらいの間にやにわに脚光を浴びたアジアの映画にあって、二十~三十年くらい前にもこんな破天荒な映画が作られていたということを知る資料的な価値は充分にあったが、個々の作品の出来栄えとしては、興味深い箇所が散見されるものの、全体的には冗長でチープな上に、展開が滅茶苦茶といった印象のほうが強い。四方田氏の講演によれば、彼らの数ある作品のなかでも傑作のセレクションだということだから、それなら格別に驚愕するほどに抜きん出た作家とも思えない。

 講演では、金綺泳監督が50~60年代に活躍した作家で、日本で言えば増村保造や中平康、大島渚たちと時代的にも傾向的にも重なり、胡金銓監督がそれより少し後で、篠田正浩や寺山修司と重なるとの話があり、二人に共通するものとして、当時の常識であったスタジオシステムから一線を画し、インディペンデントな製作姿勢をとっていたことと、ともに国内では別格扱いされ、ある意味では孤立もし、晩年は不遇だったところに再評価の波がやってきたことを挙げていた。そのうえで、シュトロハイムやブニュエル、ポランスキーなどの名とともに両者には人間的苦悩や感情に関心を見せずに人間を只の生き物として見るような傾向の人間観、四方田氏の言によれば自然主義ないしは生物学主義とでもいうべきものが窺えるという指摘がおこなわれた。

 しかし、僕には引用された作家たちと並べられるべき存在だとはどうにも思えなかった。言うところの生物学主義という点では、彼らの名を挙げるよりも今村昌平のほうに近いような気がするが、かつての今村監督のほうが遥かに凄みがあったように思う。人間観としては、指摘されたような厳しさを支えるような知性や認識力を感じるよりも、浅薄さや無頓着さを感じ、人間的苦悩や感情に関心を見せないというのではなく、関心は持っているのだが充分に描けないでいるように思えた。
 金綺泳の過激さエグさという点でも日本の50年代から60年代にかけてのピンク映画の拷問ものの過激さエグさには遠く及ばないのではなかろうか(十五年前にあたご劇場『日本の拷問』[高橋伴明監督]を観たときだったと思うが、女性器を畳み針で縫い付けて閉じ合わせるなんていうとんでもないシーンがあって、それがかなりエグい描写で仰天した記憶がある)


 胡金銓では、『龍門客棧』が整っていて、マカロニウェスタン風の味があって最も出来栄えが良かったが、話の種に面白がるという点では、『侠女』であろう。くだんの竹林の決闘シーンは確かに見応えがあったし、李白の「月下独酌」を女主人公が吟じて主人公の男を誘ったり、主人公が戦いの後、諸葛孔明さながらのいでたちで扇をあおぎ、例の軍師の椅子に腰掛けている姿が突如現れたり、高笑いしながら戦果を挙げた仕掛けを一人で辿っていくと、それらがやはり孔明が考案したと言われるものだったりすることには興味を惹かれた。えらく中国色が濃いなぁと思っていたら、北京出身で共産党政権樹立時に香港に逃れ、そのあと台湾へと流れた漂泊の人らしい。禅の扱いがオリエンタリズムへの憧れにも似たやたらと神秘主義的で観念的なものだったことには、妙に西洋人的なものを感じて少々奇異に感じた。


 金綺泳では、やはり『破戒』か。全身金粉塗りの若き尼僧の裸形というのはインパクトがあったし、禅に対しても変に美化せず、俗な目で見下しているようなところがあって面白かった。しかし、少し浅薄な気がして物足りなくもある。『肉体の約束』では、チープでノイズィな音楽の使い方が、同じ頃の日本のピンク映画などとあまりにも似通っていて滑稽だった。『異魚島』には、けっこう期待していただけにがっかり。いやはや何とも呆れてしまった。

 結局、二人の監督がそれぞれの国々で次世代の監督たちからある種の敬意をもって認められているのは、個々の作品の力や才能ということよりも、当時、映画産業が隆盛を誇っていたなかで確立されていたスタジオシステムから一線を画し、インディペンデントな製作姿勢を貫いたことやそのために国内では別格扱いされつつも孤立し、不遇だった映画人としての生き方のほうにあるのではなかろうかという気がする。


 今回のプログラムでは、かねてから一度は観てみたかったインドの大娯楽映画が四十二年振りに日本公開されたという『ラジュー出世する』が、何と言っても楽しく面白かった。娯楽映画の原点ともいうべき要素のほぼ総てを網羅し、シンプルな力強さと楽しさで満喫させてくれる。刺激過剰の曲者映画が溢れるなかで、こんなに明るく健全でまっとうな映画に感動できることに我ながら驚きつつも嬉しくなるような幸福なひとときを味わった。定番の連続で何の新味もないように思えるものがやたらと新鮮で、単純な明るさにこんなに力があることを教えられるとは、だてに年間八百本もの映画を製作しているのではないのだなと改めて思った。さすがに世界一の映画大国だけのことはある。

 役者の魅力が何とも眩しいのだが、なかでもレヌを演ずるジュヒー・チャウラーの大仰にくるくる変わる表情が何ともいい。あどけない笑顔や少しふくれた顔、ツンと澄ました顔、不安に曇る顔、官能に陶酔する顔。目と唇が本当にいろんな形に変化して思わず見とれてしまう。少し太目の肉感的なところも好もしい。裸身どころかキスさえ見せず、仕種と表情であどけなさと官能を共存させて悩殺するなんぞマリリン・モンローにも通じる魅力だと感じた。また、香具師ジャイを演じるナーナー・パーテーカルのシブいカッコよさが実に際立っていて、ラジューを演じるシャー・ルク・カーンの陰りのない純真さにもくさみがない。こういうインド映画ならもっともっとたくさん観たいとつくづく思った。




参照サイト:「高知県立美術館公式サイト」より
https://moak.jp/event/performing_arts/post_241.html

『ラジュー出世する』
推薦テクスト:「ユーリズモ」より
http://yuurismo.iza-yoi.net/hobby/bolly/RBGG.html
by ヤマ

'98. 4.18.~ 4.19. 県立美術館ホール



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