『JFK』(JFK)
監督 オリヴァー・ストーン


 以前プラトーンを観た時には、兵士の物語の背後にエスタブリッシュメントの持つ権力の傲慢さと醜怪さが透けて見えていて感心したのだが、その後の作品は、『ウォール街』『7月4日に生れて』と次第にダメになってきていたように思う。しかし、今回の『JFK』は、かつて背後に描いた部分をストレートに取り上げただけでなく、怖さをも描いたうえで、忘れずに語り継ぎ監視していくことだけが彼らに対抗し得る唯一の手段だと呼び掛けてくる分、より直接的なメッセージを含んだ力作である。この映画のなかでケヴィン・コスナーが演じたような地方検事が実際にいて裁判が行なわれたということは、恐らくは、なかったのであろうが、いずれにしても、その評決が無罪と出てしまうことは想像に難くない。地方検事の不安や孤独、家族の動揺や周囲の困惑、それらのものが充分に描けていたとは決して言えないし、挿画の処理もちょっと乱暴な気がしないでもない。しかし、彼の作品にはいくつもの難を補って余りある志が、しかも誰にでも判かるように貫かれているところがいい。

 けっして誰かが言うようなケネディ賛歌や暗殺事件そのものの謎解きが主題なのではない。その辺に関して言えば、JFKにまつわる数々の黒い噂やスキャンダルと同様にジョンソン・クーデター説、軍部謀略説、CIA、マフィア主犯説、いずれも初めて聞く話ではない。殺されたケネディが偉くて、殺した連中が悪かったなどということを言ってるのではなく、グルになってとんでもない横暴を働いておいて平然としているエスタブリッシュメントたちの傲慢さと醜怪さ、そしてそれを許す国民の無知と従順さについて異議の申し立てを行なっているのである。'63年の暗殺から75年後の西暦2038年には総ての文書が公開される。自分で見ることができない者は、子供や孫に託してその日を待つのだ。国を愛するアメリカ国民ならば、何が行なわれたのか決して忘れ去ってはならない。人々にそう呼び掛けるこの作品は、それ故に、よくあるようなアメリカの内部告発力とか自浄力を誇っているだけの作品とは一線を画している。その辺りを混同して、いわゆる内幕もの的な見方しかされない傾向が強いのが残念である。

 それにしても、映画のなかでは産軍共同体が企てて、それに乗ったのがジョンソン副大統領だったという流れであったが、主人公が黒幕として名指しした科白のなかでは、「ニクソンとジョンソン」とあり、唐突な出方でありながら、むしろニクソンの名前のほうが印象的であった。ウォーターゲート事件を思い起こすまでもなく、その後のアメリカを思えば、ジョンソンよりもニクソンのほうにより暗殺の必然性があったし、彼のほうがいかにもという感じがする。戦後の冷戦構造に乗っかって軍需産業にアメリカを売り渡したアイゼンハワー、とてつもない選挙工作で最年少大統領になり死後ゴシップにまみれたケネディ、そして疑惑のジョンソン、ウォーターゲート事件のニクソン。アメリカの戦後の大統領は錚々たるものである。




参照テクスト:BS世界のドキュメンタリー『嘘(うそ)と政治と民主主義 ―アメリカ 議会乱入事件の深層―』前後編
by ヤマ

'92. 4.16. 高知にっかつ



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