『パリ・テキサス』(Paris,Texas)
監督 ヴィム・ヴェンダース


 トラヴィスが記憶の喪失と沈黙の世界への自閉というほどの憔悴の果てにも尚放さなかった、たった二つのもの。それが妻ジェーンの写真と彼が買ったというパリ、テキサスの土地の写真である。そこは砂漠の荒野でありながら、彼にとっては自身の存在の原点となる土地であり、同時にいつかは愛する家族とともにトレーナー暮しをやめ、マイ・ホームを建てるという、人生の目標の土地でもあった。しかし、彼が傷つき易く繊細であり、しかも現実を生き抜く逞しさを資質として欠いていたことと、妻が若過ぎる母として生活を耐え抜く力を持てなかったことのために、実生活において彼らは破綻してしまう。愛し合いながらも生活の営みに失敗してしまった家族は、別れ別れになる。彼が人生の目標としていた夢の実現は、実生活の中での着実な歩みという連続性があって初めて達成されるのであるが、彼はその連続性からドロップ・アウトしてしまった訳である。

 病的なほどの憔悴のなかで、彼が奇妙に連続性にこだわる(飛行機に乗れない→大地から切り離されるから。眠ることが余りできない。弟と交換したブーツを履いた後、それまで履いていた靴と靴の裏をこすりつけ合う→彼の歩みの継続のための儀式etc)のも、彼自身が実生活での連続性を失ったからこそであり、そういった神経症的な痕跡を残すほどに、その喪失は大きな心の傷だったのであろう。

 そんなトラヴィスが四年間の空白の後に、弟のウォルトに引き取られ、息子のハンターと再会する。ウォルト夫妻はハンターを実子同然にして育ててくれていたし、ハンターも彼らをパパ、ママと呼んでいた。トラヴィスは、その人生の半分を放置したままであった息子ハンターとの絆をおずおずと、少しづつではあるが、確実に取り戻していく。そして、死という認識を持たない子供の感覚に呼び起こされ、目の前に存在しないことが心の中でも存在しないことにはならないことに気づき、自身の心の中で殺していた妻への想いを蘇えらせる。ハンターとの絆を取り戻すことができた喜びは、わずかとはいえ、妻の消息を知り得た今、ジェーンとの間にも幻想を抱かせないではいられない。

 かくてトラヴィスは、息子とともにジェーンを求めてヒューストンへ向かう。そして、いかがわしげな覗き部屋に勤めるジェーンに再会する。マジック・ミラーを隔てて、初めて自身を語り合うことのできたトラヴィスとジェーン。互いの心の絆は切れていなかった。トラヴィスは、憔悴の末にもジェーンの写真を手放さず、ここまで追って来たのだし、ジェーンがマジック・ミラーの向こうから語りかけて来る客達の声のなかにトラヴィスの声を得てきたのは、彼女の心の中でトラヴィスが死んでいないからである。二人はマジック・ミラー越しに、ちょうど自らの心の中に置いてある相手に語りかけるように自身を語り合う。そして、初めて互いの絆の深さを純粋に確かめ合った。しかし、それは現実の生身の相手と向き合って得たものではなく、マジック・ミラー越しにして漸く得たものである。一度現実の生活のなかでそれを得、維持していくことに破れたトラヴィスにとっては、ようやくにして再び得たジェーンとの絆を、今一度現実生活のなかで試す勇気も自信も持てなかったのであろう。ハンターを残して二人の前から去る、二度と再び失わないために・・・。

 日常生活の場面を全く描かないのに、日常生活というものの重苦しさ、煩雑さ、そして、それが人と人との心の交わりを阻害していくものであることを痛切に描いている。絆が深ければ深いほど、ともに暮していきたいものなのに、ともに暮せば暮すほど絆は壊れていってしまう。人と人との関わりの微妙で哀しい宿命なのかもしれない。

 まず、演出の類稀なる巧妙さと映像の訴えてくるものの豊かさに驚かされる。そのはかなさと一方での力強さということも含めて、人と人との関係の微妙さを実に抑制の効いた温かさで捉えている。決して情緒過多に堕することなく、極めて豊かな抒情性を保っている。また、演技陣の充実ぶりも特筆に値する。全員が名演技であるが、なかでもトラヴィスを演じたハリー・ディーン・スタントンは、傷つきやすく繊細で、ひよわだが温かみのある男の傷の深さと淋しさとを実に感性豊かに演じている。彼の名演なくして、この作品は成り立たない。そして、久々に耳にしたボトルネック・ギターの音楽。ボトルネックといえばライ・クーダーであるが、やはり音楽はライ・クーダーで、これがまた実に作品にマッチしていた。




推薦テクスト1推薦テクスト2:「Fifteen Hours」より
http://www7b.biglobe.ne.jp/~fifteen_hours/Paris-Texas.html
http://www7b.biglobe.ne.jp/~fifteen_hours/RyCooder.html

推薦テクスト:「Silence + Light」より
https://silencelight.com/?p=986
by ヤマ

'85.11.14. 名画座



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