【宇佐美】 続きまして、「アルファ」の同人で、大石ともみさん、お願いいたします。

 永谷さんから何か一つ読むようにと言われて、まずはじめに頭の中に浮かんだのが、『いまは誰もいません』という詩集のいろいろな詩の言葉でした。だけどちょっと長いかなと思って、その次に頭に浮かんだのが、「風の話」という、黒部さんの第二詩集ですよね、 『空の中で樹は』 という作品の中で、お電話いただいたときにすぐこの作品が浮びましたので、短い作品ですけど、読ませていただきます。
  もうひとつ、黒部さんの思い出――今日柏木先生が最初にお話しになったんですけど、 柏木先生の出版記念会 の帰りに、偶然黒部さんと二人で帰ることになったんですね。永谷さんが他にご用があるようで、黒部さんと一緒に帰るとができなかったので、 同じ名鉄で岡崎に帰る ということで、ご一緒させていただいたんです。そのときに初対面だったもんですから、黒部さんがとても困ったような顔をされて、私が「アルファ」の詩は難しいですって申し上げたら、何か困ったような顔を(笑)されていたことを思い出しました。




●『空の中で樹は』(66年)

●柏木先生の出版記念会
柏木義雄氏詩集『パスカルの椅子』(79)の出版記念会(80年春)

●同じ名鉄で岡崎に帰る
大石さんの御宅(岡崎市伊賀町)は、黒部家(岡崎市六供町)のすぐ近くで、相互の家から見える場所にある。名古屋から帰るときには、名古屋駅から東岡崎駅まで名鉄本線を利用する。



風の話 

黒部節子

ながいあいだ
次郎は 風とは動く木の葉のことだと
思っていた
とりわけ アカシアの細やかな繁みが
夕暮れざわざわとざわめく時
かぜ、かぜ、といいながら
おびえて走ってきた
丸い風
棘のある風
背の低い 細長い風たち
病気のときなど 熱のある眼で
窓の中からじっと見ていた
ほんとうに彼は 風を見ていたのだ
少し大きくなった頃 
次郎は 風は音なのだ と思った
その答えは合理的であって
彼はもう 風を怖れなかった
唇をとがらせて ときどき
不器用な口笛で 真似をするときもあった

やがて次郎は思うようになった
風とは 目にみえないものの手なのだと
机の上の手紙の落ちるのも 
犬小屋の前に残っていた
平皿のミルクがこぼれたのも
自分のノートがなくなったのも
みんな 風のせいだと言った
そして今
次郎はもう 風のことなど考えない
ふりむきもしないで
風がつよい とはっきり言い
風が少しあるとか 風が飛ばすとか
ああまったくなんはっきり言うことだ
夏の日の下で
ぴちぴちしたセピア色の手足を 羚羊のように伸ばした次郎は

詩集『空の中で樹は』(初出「暦象」52号、61年5月)から
黒部節子さんを偲ぶ会