巨大竪坑
昭和32年当時、三笠市制施行の頃の人口は6万人超。
夕張や美唄と共に一代炭都であった。
今回は幌内方面ではなく幾春別近郊を探索する。
幌内線は北海道で最初に敷設された鉄道だ。
幌内産の石炭を積出港である小樽へ輸送するのが目的だ。
昭和62年には廃止された幌内線であるが
この情緒ある唐松駅は昭和5年の開業だ。
唐松駅付近の新三笠炭鉱には坑口が残存する。
「本御」「密封完成年月日」
昭和48年9月18日とある。
更に近くには「連御」と書かれた斜坑がある。
こちらも同時期に密封されたようだ。
幌内炭鉱の入気竪坑跡。
腐食激しく、すでに劣化著しい。
工業地帯の真ん中に鎮座する。
現在は竪坑だけがその土台に鎮座しているが、
以前は大きな袴を履いていた。(マウスon)
竪坑の下部に潜る。
絶えず遥か上部のトタンが風で煽られ、不気味な音が聞こえる
立坑の分類としては電動機が地上にあるグランドマシンの中の「A」型となる。
いよいよ高さ40mの竪坑直下だ。
階段や鋼材が幾何学的に組み合わさる。
昭和41年建設、その深さ915mだ。
付近には忘れ去られたように、
トロッコが残る。
弥生には炭住街が残る。
使用されなくなって久しいようだ。
弥生坑や藤松坑、市来知坑など、
街の北側の山中にはかつていくつもの炭鉱があった。
それらに付随して炭鉱集落が形成されていた。
三角屋根の棟割平屋の炭住。
こういう建物はどんどん少なくなってしまっている。
付近から廃坑の中心部へ入る。
剥がれ落ちたコンクリートの、
谷間を歩く。
ホッパーや坑口の一部だ。
街に近い。
何か「カチカチ」と云う音が聞こえる。
スズメ蜂だ!
北洋鉱山でも遭ったが、
秋までは注意が必要だ。すぐ撤退する。
奔別付近には大きな煙突の廃墟がある。
ここから歩いて竪坑を目指す。
幾春別からスイッチバックして奔別を目指す、
運炭線跡の流れに従って歩く。
奥にはホッパーらしき遺構がある。
いよいよ炭山の中心部だ。
ホッパーだ!
ここからは遺構が並ぶ。
藪で見にくいが、廃墟が連続する。
貯炭の設備らしき廃祉もある。
コンクリートの巨大な遺構だ。
更に奥へ進む。
広大な敷地に出た。
竪坑の裏側で、
巨大なホッパーがある。
その大きさに圧倒される、
国内最大規模のホッパーだ。
羽幌炭鉱をも凌駕する迫力だ。
昭和35年にそれまでのホッパーに、
「増築」する形で現状の姿となった。
その大きさは長さ100m幅13m高さ20m。
屋根が残存するホッパーは珍しい。
北海道遺産にも指定されており、
圧倒される迫力だ。
それでは通り抜けてみよう。
100mとはいえ、
内部は暗いかもしれない。
内部は白く光が差込む。
アーチ状の回廊が続き、
最近の資材も保管してある。
RCは劣化していない。
やはり屋根があるからかも知れない。
約1/3の距離まで来た。
中央部に来ても破壊の跡なく、
所々で光が差込む。
やっと半分まで来た。
ようやく終点付近に到達し、
入り口方向を望む。
内部も広く大きく、しかし出口を抜けると開放感がある。
終点から通り抜けた坑内を振り返る。
やはり外から見ると内部は暗い。
いよいよ竪坑に接近する。
しかも裏側だ。
裾野の諸建築物を見てみよう。
2階建ての事務所のような建物だ。
少し劣化している。
内部はがらんどうで、
しかし工業的な施設のようだ。
二階の屋根は破れ、
そこからは竪坑を望むこととなる。
「強度試験室」・・・。
検査的な施設だ。
内部には様々な資材が残っている。
切り出したテストピースのようなものもある。
こちらは倉庫のような平屋だ。
トタン屋根の腐食は激しい。
内部に何もなく、
しかし劣化は著しい。
いよいよ竪坑に最接近する。
当時は「東洋一」と謳われた。
内径6.4m、高さ50.5m、深さは750m。
築壁コンクリートブロック及びホローブロック2重巻、厚さ750mm
昭和35年製、石炭と資材・人員を併行して昇降させるシステムとしては国内初だ。
竪坑へ
直下は錆色で、
資材も木々も赤茶けている。
腐食の進んだハンマー。
付近を象徴しているかのようだ。
キタキツネの頭部と思われる骨。
こういう場所にはよく骨が落ちている。
巻上室へ
竪坑のすぐ脇に立つ。
風で骨材の触れ合う音が聞こえる。
街から見る竪坑。
山上の慰霊碑に一礼した後、下山した。
程度良く保存された遺産を現状維持するために、
無理な侵入は控えましょう。
(本内部撮影は保存以前のものです)
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