奔別炭鉱 巨大竪坑 探検: 北の細道 奔別炭鉱

奔別炭鉱でスズメバチに遭う




北海道三笠市

 昭和30年代に入った奔別礦は奔別坑と弥生坑の二坑口によって操業されていた。
奔別坑は-340mまで1,000mの斜坑を、そこから-480mまで、
弥生坑は-175mまで1,000mの斜坑でそこから-340mまでをそれぞれ卸していた。

当時、それぞれ年平均出炭34万tとすると、約4年間程度の炭量寿命と推定されていた。
しかも、その深部には5,825万tという膨大な炭量が眠っていた。
そしてこの石炭を従来の採炭方式で奔別・弥生坑がそれぞれ単独操業すると、
坑道の延長が伸びることとなり、強いては通気抵抗負荷が増加し保安通気上の問題が指摘されていた。
坑道の維持管理、運搬経路の複雑化、保安上の問題から深部採炭は断念せざるを得なかった。


そこで運搬・通気・坑道短縮などの合理化等を一気に進める改善策が立坑による統合開発であった。
現場への往復が1時間以上であったものが、わずか10〜15分に短縮される。
通風の合理化も二次的効果として得られ、多くの不具合の解消が期待された。

立坑の構造計画は21億円の巨費(当時)を投じ、内径6.4m、深さ750m、櫓の高さは地上50.52m、重量450tという
東洋一と謳われたもので、二重巻交互築壁法による、 「ケージ」エレベータ部分の人や炭車を載せる箱、2〜4階建てとなる (4階建て、64人乗り)と
「スキップ巻揚げ機」エレベータ部分の石炭を流し込んで積む箱 を交互に巻上げる複式捲揚とされていた。

形式としては動力機が地上にあるグランドマシン方式の中で、 「ヘッドシープ」無動力の滑車=ガイドシーブと地上の 「ケーぺプーリー」動力滑車=ドラム
ワイヤーに接地する角度が大きくなることでスリップしにくくなる、
深部・高速の運搬能力が高いH型櫓となっている。


昭和30年着工、広島造船所で櫓は仮組され、昭和35年に完成。
これに伴い、奔別は23年間にわたる五坑の時代に終止符を打ち、
弥生坑は16年の斜坑時代に別れを告げることとなる。

巻上げ速度毎時430t、時間当たり昇降人員1,800名、石炭搬出量246tのスペックを誇った立坑操業時代、
しかしわずか11年の運用だった、

立坑を中心に新幌内・唐松・幾春別の各遺構を見てみよう。



 







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竪坑
( ̄u ̄;)竪坑



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