阿寒鉱山跡  探検: 北の細道 阿寒硫黄鉱山跡

阿寒硫黄鉱山でレシーバーを見る




北海道足寄町

  天然に存在する石のような鉱石から、不要な化合物を取り除き、
経済的に必要な金属だけを抽出する工程を「製錬」または「精錬」と言う。

採掘された鉱石の中から、鉱物の濃度を高めて複数の鉱物を分離する
「精錬」または「製錬」の前工程を「選鉱」という。これには浮遊選鉱比重選鉱、手選、磁力選鉱などの種類がある。

選鉱の終了した精鉱から化学反応によって金属を取り分ける工程を「製錬」と言う。
これは酸化物鉱石を加熱して、還元剤(主に炭素)を用いて粗金属を抽出する乾式製錬と、
精鉱から必要成分だけを水溶液に取り込む湿式製錬などに大別される。

これに対して「精錬」とは、「製錬」で化合している相手とほぼ切り離された金属を、
更に利用できる純度まで酸化・電解・溶媒などを用いて再処理することである。
つまり工程の流れとしては「選鉱」⇒「製錬」⇒「精錬」となるのである。



本坑は十勝支庁、阿寒湖を挟んで雄阿寒岳と対峙する標高1499mの雌阿寒岳山頂付近に位置する。
明治39年頃から採掘されていたものの、昭和13年に資本投入されるまで開発に至らず推移した。
そして昭和18年の戦時鉱業政策の一環である、硫黄鉱山整備に該当し一旦休山の止むなきに至る。

その上、鉱区が阿寒国立公園内にあることから、自然保護団体による資源開発反対運動に遭遇する。
その後、厚生労働大臣より「例外中の例外」として条件付き稼行と相成る。

期間は5年間、露天掘りとし採掘区域には運搬用軌道の設置のみ、鉱山事務所や索道支柱などは
展望地から望見されないように配慮、精錬所は国立公園区域外に設置、登山最盛期の7〜8月は採掘休止、
精錬は原始的なダラニ法や焼取法ではなく、近代的な蒸気製錬を行うことなど非常に肩身の狭い条件であった。


しかしながら稼行は盛況で、ピークの昭和30〜32年には2万t/年の生産を行い、
松尾鉱山(岩手)に次ぐ小串・吾妻とともに国内第2グループを形成する。
しかしながら、世界的な供給過剰や雪崩による施設破壊などを機に昭和37年5月30日をもって閉山を迎える。

前述のとおり大噴・A・B・C・第8の5鉱床から山麓に設けられた選鉱所間は延長5.8km。
その間の索道は容量3/8tバケットを60m間隔で連ね、速度は7km/時、30t/時の運搬能力であった。

蒸気製錬はオートクレーブ(=高圧蒸気容器)に硫黄鉱石と容積比2倍の水を入れ、
蒸気を吹き込み加熱・加圧することで溶融する製錬方法である。
30分で150℃まで上昇、圧力4〜5kg/cm2、3時間後に撹拌を止めてオートクレーブ底部から硫黄を排出する。
焼取法などと比較して蒸気製錬は、煙害が無く作業環境が良好、実収率80%と効率も良かった。


今回は鉱床付近ではなく、これら精錬設備付近を探索する。
条件付き稼行のなかで採掘期間終了後は一年以内に施設撤去、原状復帰が条件だったと言うが、
果たして遺構に到達できるのであろうか。









遺構・ラワンフキ・噴火・・・


木漏れ日
( ̄u ̄;)木漏れ日



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